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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
僕は渋谷の生まれ,育ったのは下北沢だが。 そのどちらも,若者の街として大変貌を遂げた。 そして渋谷のスクランブル交差点は,世界的な観光スポットだと言う。 開発は今も進んでいるが、ハチ公の行き場がまだ未定だそうだ。 ハチ公の銅像は昭和9年,僕が三歳の時に建造された。僕は子守りの背中でハチ公とともに育ったと言える。 其の頃渋谷は田舎の,街とも言えない村のようなものだった。 舗装されてない道玄坂には夜店が立ち並んでいた。 七味唐辛子の店の隣は,蝮屋さん。 今でも瞼にその光景が浮かぶ。 その先は子供は見ちゃいけない筈のお店だが、何を展示していたか思い出せない。 なんか猟奇的な見せ物だったかもしれない。 見せ物と言えば,11月3日の明治記念日には代々木の練兵場が屋台で埋め尽くされ,見世物小屋も立ち並ぶ。 “イラハイ,イラハイ!お代は見てのお帰り!”という呼び込みの声が懐かしい。 宮益坂を青学に向けての左に入ったところ,美竹町に親父の診療所兼住まいがあった。隣が昔のカフェ、反対隣がビリヤード。何時も僕はカフェの女給さんに玉突き場で遊んでもらっていた。 これではイカンと孟母三遷ではないが、元祖教育ママが住まいを下北澤に移したのが6歳の時であった。
by n_shioya
| 2014-09-25 19:00
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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