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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
寝込んでいると昔の患者のことをあれこれ思いだす。 A孃もその一人。 30才位だったか、とりわけキレイというわけではないが、可愛らしい女性だった。 以前何処かで隆鼻術を受けたが気に入らないので、入れ直して欲しいと言う。失敗と言うほどではないが、本人のいうことも分からないではないので再手術を引き受けた。 今と違ってコンピューター・シミュレーションなど便利はツールはなかった。石膏でお面を取り、赤い鑞を鼻梁につけたし本人の希望を聞きながら型を造り、赤い鑞をモデルにシリコンを切り出して鼻に挿入する。 手術そのものは至って簡単で、仕上がりも上々だと思った。 だが本人は気に入らない。 術前の石膏像に赤鑞を足したものを見せると,自分が希望した鼻になっていることは認める.だが,満足出来ない。 聖路加病院の大竹部長は鼻の名手として知られているが、当時は僕の助教授だった。 患者の承諾を得て、彼の手にゆだねた。 彼は器用で、凝りやで、生まれついての美容外科医である。A嬢の鼻はその時点での本人の希望どうりに改善された。だが,彼女は満足でない。 自分でも自分の気持ちが不合理なのは分かると言う。だが、どうにもならない。 このような精神状態を精神科では「パラノイア」と呼ぶ。 その後も大竹助教授の外来に通い詰めていたようだ。 そして今僕は思う。 A嬢がこだわっていたのは鼻の形ではなかったのではなかろうか、と。 子どものときから刷り込まれた「美貌の格差」を乗り越えたかったのではなかろうか。 心の底で彼女が欲していたのは「貴女は綺麗ね」と言う異性あるいは同性からの「言葉」ではなかったろうか。 美容外科の難しさを改めて噛みしめている。
by n_shioya
| 2015-10-21 17:40
| 美容外科
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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