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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。 東京大空襲の後、僕は父の田舎の宮城県の白石に家族で疎開していた。 米軍の本土上陸も間近いということで、我々中学二年生は毎日竹槍の練習にかり出されていた。配属将校は我々を国道沿いの雑木林に連れ込み、 ”あの国道にアメリカの戦車が現れたら、飛び出してって突き殺してやるんだ。いいか、わかったな” “はい” という毎日だった。 だが幸い、その前に日本は降伏した。お粗末なラジオで、雑音がガーガーと入り、天皇の声もうわずってとぎれとぎれで、かろうじてアナウンサーの、「国体は護持されました。しかし我が国は和を乞うたのです」と言う解説で、ああ、日本は負けたんだ、とわかったくらいである。 一寸した虚脱感と言うか、ああ、これで助かったんだという解放感が体中からわき出てきたのは、それから一寸間をおいてからだった。 その日、空は青空で、日の丸を付けた戦闘機が一機、「デマに惑わされるな、最後まで戦うぞ」と言うアジビラをまいていった。やっぱりそんなうまい話はないかと、一瞬、がっくり来た覚えがある。 その鬼畜米英は、ジープに乗ってさっそうと進駐してきた。後ろにトレーラーをつけて、後から後から仙台方面へと、泥道の国道を疾駆していった。 疎開先から戻った東京は焼け野原であった。そして銀座4丁目の交差点では、背の高いMP(憲兵)がかっこよく手を振りながら交通整理をしていた。そして街じゅうにあふれたGIが餓死寸前の子供達にチョコレートやチューインガムをばらまいてくれた。 その鬼畜米英に、我々が初めて使った英語は、“give me chocolate”だったのは言うまでもない。 そして今、バレンタインを前にして、こんなセリフをアップするのは我ながら浅ましい限りである。
by n_shioya
| 2016-02-09 20:53
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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