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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
女の一生
お釜から出てきたお袋はあまりにも小さな骨片だった。
お袋は高度な骨粗しょう症だった。そのため大腿骨骨折をおこし、そのとき入れたチタンの人工骨頭だけが業火にも耐えてふてぶてしく鈍い鉛色をしてそのまま残っている。
そう、これがすべての始まりだった。

熱海のケアマンションに移ってから、骨折、入院手術そして退院後も寝たきり。
三島の産婦人科医の六人兄弟の末娘だった母は、終の棲家として伊豆に戻れたことを大変喜んでいた。だが4年ほど前、親父が体調を崩してから、二人とも横浜のケアホテルに移すことを余儀なくされた。

我々子供たちにとっては、なんでも一番、完ぺき主義の恐怖の教育ママであった。
奈良の女高師を出て、開業医の親父と結婚し、親父の両親と5人の弟妹の面倒を見、戦中戦後は我々4人の子供を飢えさせぬよう、闇米の買出しに走り回り、やっと晩年はお能の世界に安らぎを見出したようである。

歯車が狂ったのは親父が85歳で診療所を閉じ、熱海のケアマンションに移ってからである。
その頃親父はゴルフと自分が編み出した呼吸法を日本中、いや世界に広めることで頭が一杯だった。幾冊かの著書を出し、講演の依頼が来ると北海道から九州まで日本中を駆け回り始めた。
当然ファンが熱海のマンションまで押しかけてくる。
“老後は静かに暮らして、お父さんと昔の思い出を語り合うつもりだったのに”
よくお袋はこぼしていた。なぜか自分は好きなお能も止めてしまった。
そのうちお袋は親父と口もきかなくなり、やがて食事も別々に取るようになった。
“もう我慢が出来ない”といって、一つのマンションで顔も合わさない日々が続いた。

親父は強烈な信念の人、昔から自分と神様の区別さえつかないところがあった。さぞお袋も苦労させられたことだろう。
だがその親父も数年前、百歳の現役ゴルファーとしてもてはやされ、布教活動にさらに拍車がかかり、遂に大腿骨骨折脳梗塞を起こし寝たきりの療養生活に入り、今は伴侶の死さえ認知できない状態である。

夫婦の間柄は他人には、例え子供でもうかがい知れないものがある。強烈な個性のぶつかり合いと言えばそれまでかも知れぬ。でも親父もそれなりに我慢を重ねてきたと思う。
だからお袋さん、やがて親父がそちらに居を移した時は、是非温かく迎えてやって欲しい。
これは息子の切なる願いです。
女の一生_b0084241_13471523.jpg

by n_shioya | 2006-11-11 19:23 | QOL | Comments(3)
Commented at 2006-11-11 22:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by n_shioya at 2006-11-11 22:25
どうもありがとう。
Commented at 2006-11-14 16:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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