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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
ブログの愛読者のお一人だという横須賀米軍病院の研修医が銀座クリニックに現れた。
“これは美女軍団の方々へ”、とシャルパンティエのケーキの大箱を持参されのは、僕のブログの正真正銘の愛読者と言える。 すでに整形外科の医局生活は4,5年されているが、アメリカ留学を考え、あらためて米軍病院で研修をこの4月から受け始めたと言う。 50年前、僕が留学した頃は日本の医療はアメリカより20年は遅れ、卒後教育などないに等しい、悲惨なものであった。 あれからわが国の卒後教育はどれほど改善されたか。当時の医局支配と教授選の舞台裏の死闘を描いた映画「白い巨頭」が、又最近リメークで人気を呼んだということは、あまり医学界の封建制は変わってないと言うことかもしれない。 したがってこのようなばあい、僕が与えるアドバイスは、50年前自分が言われたことをなぞることになってしまう。 ①アメリカに永住したいか日本に帰るつもりか。 ②例えアメリカに永住するつもりでも、日本のどこかの大学に入局すること。さもないともし日本に帰った場合、日本の医療社会の中で無国籍者となって不利益も甚だしい。 ③がいして外国人がアメリカでレジデント、臨床研修に受けることは難しいが、最近ではもっと厳しくなった。 ④リサーチフェローのほうが取りやすく、又、帰国した時、研究業績、つまり論文中心の日本社会では評価されやすい。 など一般論を申し上げたが、実際に留学されるのは來春だと言うことなので、僕も最近の事情をよく調べ、又、しかるべき紹介者を探すことをお約束した。 若い医師が自分の希望で留学する場合、茨の道を覚悟しなければならない。 アメリカでの生存競争は自由主義経済と同じに苛酷なものがある。 かといって日本に戻った場合、アメリカ留学は決してプラスに評価されるとは限らない。 僕の場合、ともかく日本を脱出したかった。アメリカに永住するつもりで飛び出した。 若いうちにどんな辛くても、実になるトレーニングを受けたかった。 それでも母校の外科教室に籍を置いたことが帰国してどれほど役に立ったことだろう。そこにいたのは留学までの腰掛で、ほんの一月にすぎなかったが。 最近は、日本のぬるま湯にどっぷりつかって何の不満も感じない奴等が殆どである。 そんな時に、損得を考えず、自分の道を求めてリスクもいとわない若い医師を僕は何とか応援したいと思い、一月先の再会をお約束した。
by n_shioya
| 2007-06-19 22:56
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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