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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
カテゴリ:コーヒーブレーク( 1479 )
スカイプとは?
今日は面白い男から、インターネット世界の最新情報を教えてもらった。
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マッツという名で、次男のエール大学のビジネススクール時代のクラスメートで、我々も付き合いは長いが、紹介された時からマッツで、改めて本名は何だったろうかと考えても思い出せない。

経歴はともかくとして、今分野は違うが次男と同じようにコンピューターがらみの仕事に携わり、
最近自分でベンチャーを立ち上げたところ。
会社の名前も失念したが、要は特別なサーバーとソフトを開発し、関係者がそれにアクセスすることで、情報を交換し合うということらしい。
重い画像やデーターをパソコン同士でやり取りするのではないので、重たい画像でもデーターでも、瞬時に共用し世界中と意見交換が可能だと言う。
医療面でも、チェーン展開をしているクリニックグループには役立ちそうな話である。

又、これはもうすでに誰でも、と言うのはコンピューター・オタクならの話だが、msnというソフトと使って、ビデオカンファランス同様のことを、手軽に行えるようになったと言う。
それにはスカイプというのを使うとよい、と言うあたりから話についていけなくて、一度クリニックにお越しいただいて、レクチャーを受けることになった。

もっとも僕が知らなかっただけで、クリニックのスタッフはとうにご存知か、すでに活用されているのかもしれない。早速明日にでも聞いてみることにしよう。
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by n_shioya | 2006-10-29 22:56 | コーヒーブレーク | Comments(2)
ザルツブルグ
秋の訪れとともに、隣のブロック塀を覆っているが紅葉し始めた。
以前訪れたザルツブルグのホテル、シュロス・メンヒシュタインを思い出す。
まだ9月と言うのに、この小さな古城ホテルは鮮やかに紅葉した蔦で覆われていた。

ホテルの丘からは、ザルツブルグの街が一望の下に見渡せる。
レストランからの夜景も素晴らしい、勿論料理も。
ここはモーツァルトの町であり、サウンドオブミュージックの舞台でもある。
二泊しただけだが、ここを拠点に市内見学は勿論、周辺のザルツカンマーグート、さらには氷河のあるグロスグロックナーまで足をを伸ばした。
今年はモーツァルト一色だろう。

発つ日の朝、ホテルのならびに小さなチャペルがあると教えられ、覗いてみた。
結婚式場として使われていると言う。席は二、三十人分ほどだろうか。
ここで挙式すれば、生涯の幸せを保証されるような可愛らしいチャペルであった。

サインブックを開くと、何組もの日本人のカップルの名前がずらっと書き記されていた。
南の島も悪くないが、まだこれからの方はザルツブルグのこの古城ホテルも候補の一つに考えられたら如何でしょう、モーツァルトに祝福されて。
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by n_shioya | 2006-10-25 23:59 | コーヒーブレーク | Comments(0)
ケムタンそして島田画伯誕生
バーリントンハウス馬事公苑で会議の最中、突然火災警報が鳴り全館の電気がストップした。
“火災探知機の誤作動なので心配はありません。”とアナウンスがあったが、何時までも警報はなり続け、やがて大きな赤い車が二台と救急車が到着した。

しばらくして警報は止まりスタッフが報告に来た。
新しい入居者の荷物を搬入中、長いポールが煙探知機にぶつかったための誤作動だと言う。
何だ、ケムタンか、居合わせたホテルオークラ会長の大崎顧問が言われた。
ケムタンとは煙探知機の業界での愛称のようだ。

このレジデンスでは法規上か、いったんケムタンが感知すると自動的に全館警報が鳴り、同時に消防署へ火災発生のメッセージが送られる。いったんそうなると、例え誤作動とすぐ分かっても消防車が出動するよう義務づけられているのだそうな。

それだけ安全だと言うことですな、と誰かが言った。
でもね、ホテルではこれはやりません、お客がパニックになりますからね。ホテルでは部屋ごとにまずケムタンから防災センターに個別に異常が伝達され、すぐさま当該ケムタンの部屋なり廊下で火災発生を確認した上で、消火活動とともに消防署に連絡をするという。

確かに誤作動と言うことはよくあるようだ。
十数年前、イギリスの学会で田舎の宿に止まった時のこと、明け方の4時に警報がなり、全員直ちに屋外へ避難せよと全館放送があった。
慌ててパジャマのまま飛び出していくと、スーツに着替えた男がで皆がパニクッテ出てくるのを涼しい顔で眺めている。
今慶応病院の院長の相川教授である。
用意がいいですね。
いや、先生、僕は昔サンフランシスコのホテルで同じ目にあって、以来必ずベッド脇に、パスポートを一番上に、着る順序で衣類を重ねてから寝ることにしているのですよ。
さすが相川先生、と皆感心した。ちなみにこの慎重さが、彼を慶応病院の院長に押し上げたのだと思う。
このときも誤作動とすぐ分かったが、やはり消防車がきて安全を確認するまで、全員寒空の下で一時間ほど待たされた覚えがある。

夜はこれも慶応の経済の島田教授の、小泉前首相の最高のブレーンといえば皆様もご存知でしょうが、画家としての再出発のお披露目の会が、シャネルのホールで開催された。
再出発と言うのは、先生は6歳の頃天才少年画家現ると、ライフで紹介され、一時は画家になることを真剣に考えられたからである。

実その天才少年の恩師が我々の友人の岡田謙三画伯だったとは、今回の催しで始めて分かった。
岡田画伯は僕の留学先オルバニーの近くに広大な別荘をお持ちで、貧乏な日本の画学生をその通称岡田ホテルに呼んでは面倒を見ておられた。我々も家族で岡田ホテルやグリニッチ・ヴィレッジのアトリエには頻繁にお邪魔したものである。
島田先生も時期は少しずれていたかもしれないが、同じようにニューヨークでは岡田ホテルやアトリエを訪ねられたそうで、これは本当に奇遇である。

今回の島田画伯の誕生を一番喜んでおられるのは、今は亡き岡田謙三画伯ではなかろうか。
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by n_shioya | 2006-10-19 23:43 | コーヒーブレーク | Comments(0)
日本の医療
今、NHKの特別番組、日本のこれから、「医療に安心できますか」と言う3時間番組を見終わったところ。

多数の患者側、医療関係者に医師会長、厚生次官医事評論家が参加し、激論を戦わした見ごたえのある番組だった。

①医師は不足しているのか
②高齢者医療の財源
③医療に市場原理を持ち込むべきか、それとも社会保障的な考えを守るべきか

などなど、現状の矛盾点、これから起こりうる問題等が網羅的に活発に議論された。

だが、やはり行政は痛いところを付かれると、わざとではないかもしれないが国会答弁のように、的をずらしてはぐらかすきみがあるし、評論家は何でも疑ってかかるが、それならどうすべきかまでは、自分の具体的提案を出さない傾向がある。
やはり患者側と医療現場の方々の議論が一番面白く聞けたように思う。

勿論すぐに答えの出る問題は一つとしてないが、やはり今決断を迫られているのは③であろう。
このの軸がはっきりしないと、他のことの議論は進まないような気がした。

ところで昨日の秋景色だが、紅葉の日光華厳の滝東照宮、そして休んだのが金谷ホテルとくれば、これはもうレトロの集大成といわざるをえないでしょう。
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愛車が車検に出ているので、ヤナセから借り出したベンツのBクラスでいろは坂を駆け回ったが、走りっぷりはなかなかだった。
ハンドルは軽いし、無段変速の威力は抜群である。
これで4駆なら言うことはないのだが。
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金谷ホテルの玄関口に車を乗り着けた時、あの男なら同じでもベントレーだったろうにとふと思った。
勿論あの男とは、もっとも格好いい日本男子だったと、昨今評判の白洲次郎のことである。
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by n_shioya | 2006-10-14 23:21 | コーヒーブレーク | Comments(2)
ワインと車と
デスクの後ろをワインセラーにしている院長先生のお気に入りのレストランとなれば、其のワインのストックと料理の程は想像に難くないだろう。
現にカウンターの後ろにはぺトリュスがずらっと並んでいる。
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きょうはそのレストランアルバスでその城西クリニック院長に銀座クリニックのスタッフとご馳走になった。
話題は今まさに国連でなされている北朝鮮の制裁論議を引き合いに出したら不謹慎になるが、それにも劣らぬ重要議題だった。

つまり2005年のワインの値段に対する疑問と最近のBMWの健闘振りである。
ソンムリエ嬢の愛車はZ4だという。
僕の見るところ、最近の“飛んでる美女”は皆、Z4に惹かれるようだ。
僕は最近でたというBMWのスポーツタイプを話題を持ち出したが、どうしても名前が思い出せなかった。
家に帰って、近着のニューズウィークで確かめると、M6であった。
読む限りではたいした性能のようだ。
だが保守的なこの男ベンツで満足している、念のため。

銀座クリニックの名誉院長が、こんな話題にうつつを抜かすようではクリニックの将来も?など余計な心配はしないで欲しい。
このところ名誉院長、キレーションのお陰でとみに若返っているだけである。
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by n_shioya | 2006-10-10 23:59 | コーヒーブレーク | Comments(0)
タイピンの女
このごろ何時も同じタイピンをしているがこれにはわけがある。

コペンハーゲンで白い貴婦人と呼ばれるホテルダングレテールを出て右に回れば、すぐにショッピングストリート、ストロイエがスタートする。
コペンハーゲンの銀座ともいえるが、こちらははるかにシックで、しかも世界初の歩行者天国といわれている。
中ほどまで歩くと、右側に銀器で知られるジョージジェンセンと陶器のロイヤルコペンハーゲンの三階建ての本社がある。
1,2階が店舗で、3階はティールーム。ここでロイヤルコペンのセットでお茶を味わうのが、デンマークでの僕の楽しみの一つでもある。

ジョージジェンセンのシルバーはティファニーと又違った重厚でデザインで、使うほどに味が出てくる。ロイヤルコペンも昔ながらのブルーフルーテッドがお気に入りである。
しかしこれらは日常は使わず、特別なときにだけにとってある。

昔気に入ったカフスボタンの一つ不注意でなくしたとき、日本では対応してもらえなかったが、本店では快く一つだけ求めることが出来、いっそうのファンになった。

ある時、ある女性からジョージジェンセンのタイピンを贈られた。シンプルだが洒落た新しいデザインである。
スッカリ気に入って、以来毎日そのタイピンが外せなくなった、タイはアルマーニ、ダンヒル、エルメスなどに変わろうと。

彼女はある大手の外資系の医療関係の企業に勤めている。ジョージジェンセンを人に贈るくらいだから、当然ながら聡明な美女で営業成績も抜群である。
僕も一般の啓蒙をかねて、彼女のプロモーションの手伝いをささやかながらさせてもらっている。
もちろん彼女と会うときも、タイピンはいつも同じである。
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彼女が言った、“そろそろ別のも差し上げなくちゃね”
“いやご心配なく、これがスッカリお気に入りなので”
と答えるにとどめ、でも君が又別のを選んでくれるなら、それはとても嬉しいけど、と口まででかかったが、そこはぐっとこらえておいた。
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by n_shioya | 2006-09-21 23:59 | コーヒーブレーク | Comments(3)
汽車の旅と車の旅
最近山小屋への往復は殆どといってよいほどに頼っているが、この週末、時間に縛られた約束があり、しかも日帰りが必要だったので、珍しく汽車で往復した。
車では通いなれた路だが、車窓から見る景色は又違った趣がある。
自動車道よりも人里離れた林野を走ったり、また思い切って渓谷と伴行したりするからかもしれない。
 
車での移動の習慣は外国旅行にも持ち越され、欧米ならまずほとんどの場合空港で車を借り、荷物を積み込んで、よほどの遠隔地への移動でなければ、車を乗り続け、最後に又空港で帰すことにしている。

なれないところでよくやりますね、と言われるが、正直なところ東京で運転できれば世界中、ニューヨークでもパリでも、運転ははるかにラクである。
又、汽車と違って時間を気にすることもなく、又、運転の決まりは右左の違いを除いて、標識を含め世界中同じである。
これまで運転を躊躇した国は中国インドだけだ。まだ、悪名高いエジプトには行ってないが。

だが、冒頭に述べたように汽車の旅も楽しいものだ。
短いコマーシャルで、「世界の車窓から」と言うのがあるが、あれを見るたびに今度こそ汽車に乗ってみようと思うが、何時も便利さに負けてレンタカーで走り回ってしまう。
気ままさと、荷物運びがラクだからだ。
そして当地で求めた地図を広げ、ルートを探索するのも又楽しみの一つである。

レンタカー使用のコツを思いつくまま2,3、挙げよう。
①出来れば予約をしておくこと。ことに日本でよく調べ、大手で契約したほうが安いことが多い。
②アメリカだと、宿泊しているホテルに手配させたほうが、配車などで便利なことが多い。
③保険はフルカバレージにしておいたほうが安全。
④ヨーロッパでは、並みのクラスの車はエアコンなしのことが多い。暑い時は特にエアコンつきを注文しておいたほうが無難。
⑤ベンツなど高級車は盗難防止のため、入国禁止の国を設けていることもある。今はどうか知らないが、昔はイタリアにはいけなかった。
⑥借りるとき其の国の特殊な規制をフロントで聞いておくこと。
⑦支払いは必ずカードで。現金では相手にされないか、べらぼうな保証金を要求される。
⑧返す時はガソリンを満タンにして。

などなどだが、日本での渋滞ドライブのフラストレーションの解消となり、しかも便利な移動手段として是非一度はヨーロッパ車の旅の醍醐味を。
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by n_shioya | 2006-09-18 22:56 | コーヒーブレーク | Comments(0)
アートトリエンナーレ
芸術が権力への奉仕をやめ、因習の桎梏から解き放たれ、芸術のための芸術に昇華する時、表現手段は時空を超え、その作品は越後の原野を乱舞する。
これこそ新潟県の十日町から津南の町までに繰り広げられた造形の祭典、アートトリエンナーレである。

自然の中で、自然を取り込む、われ等が友人の景山夫妻の作品も其の一つで、赤く染められた無数の割り箸が、信濃川河畔の津南の野山を茜色に埋め尽くした。
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明日が其の最終日ということで、今宵は其の割り箸供養のため、すべてを20以上の巨大なヘイスタックに積み上げ,午後8時の時報とともに、参加者一人一人がそれぞれのヘイスタックに、点火し炎の饗宴は始まった。
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轟々と燃えながら林立する炎の舞
場所をカリフォルニアの西海岸を俯瞰する広大な高原、ビッグ・サーに移し、紅蓮の中心にはピナ・バウシュひきいるヴッバタール舞踊団の群舞をなどと、と夢想したのは僕だけではなかろう。
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by n_shioya | 2006-09-09 23:59 | コーヒーブレーク | Comments(0)
女を見たら妊娠と思え
もし医師がつわりで苦しんでいる妻を、妊娠と気づかず精神科医に送ったとしたら?
実はそれを僕はやってしまった。以来、配偶者は会う人ごとに我が家は無医村ですので、と言い続けている。

50年ほど前、アメリカで結婚した僕は大学病院でで研修のまっさ中で、ハネムーンもそこそこに連日徹夜の勤務をつづけていた。
配偶者がづつうと吐き気を訴えてきた時、脳外科医を目指していた僕の頭には妊娠という考えはひとかけらもなかった。
うるせえな、(このアマとは言わなかったが)でも脳腫瘍で脳圧高進でもしてたらヤバイ、と神経科に送ったのである。
相手も専門馬鹿である。神経症状やご丁寧に腰椎穿刺で脊髄液まで検査し、異常は見つからないという。
“先生、奥さんは妊娠ですよ。”といったのは看護婦である。
“そんな馬鹿な!”
と怒鳴ったが検査してみると立派に妊娠反応陽性である。
“どうして分かった?”
“だって酸っぱいもの欲しがるんですもの。”

学生時代、女を見たら妊娠と思えとは、産婦人科の講義のショッパナで教わっていたにもかかわらず、結婚したら子供が出来るということすら忘れていた僕だが、生まれてみれば可愛いものである。
カトリックだからというわけでないが、素晴らしい宝物を神様から授かったと二人で感謝した。
その宝物は自分のもでなく、神さまからお預かりしたという感じだった。

ただ困ったのは当時のレジデントの月給は100ドルに満たない。其の頃300ドル以下は生活保護のレベルだった。
でも神様、貴方が預けてくださったのなら、養育費を出すのも貴方の義務ではないですかと開き直った。
こうして一セントを数える毎日のなかで、子供だけはすくすくと育ってくれた。
慈悲深い神様はもっともっとと五人まで子供をを授けてくださり、それなりの養育費も与えられ、皆結婚してひとり立ちするまでになった。

もし僕等があの時、生活にゆとりが出来たらなどと考えていたら、決して一人の子供も持てなかったろう。
何時までたっても二人だけの生活が優先したのではなかろうか。
又おそらく、子供は天からの授かりもの、という実感も生まれなかったかもしれない。

子供というのは其の子に与えられた目的のためにこの世に生まれて来るので、親の都合によって勝手に造ったり、中断したりするものではないというのが、見事に誤診したときからの僕の確信である。

近着のニューズウィーク誌少子化が世界的な問題で、いまやイタリヤやインドのような家族主義の国にまで波及しているとの記事を読み、いささかの感慨を覚え、神の摂理にまで思いを馳せた。

と、傍で女性誌の星占いを読みふけっていた配偶者が叫んだ。
“ちょっと、ちょっと。ここに出ている射手座の性格、貴方にぴったり。
絶えず走り回って、しりが落ち着かず又、自制心に乏しく子供がボロボロ出きる、ですって。“
これだから女は困る。
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by n_shioya | 2006-09-04 23:29 | コーヒーブレーク | Comments(2)
若月俊一先生
若月さんが亡くなった。
巨星落つ。といっても大げさではないだろう。
佐久総合病院の名誉総長で享年94才。

日本の農村医学を立ち上げ、長野県を日本一の健康長寿県に仕上げた立役者である。
僕もずいぶんとお世話になった。

大学紛争以来だからもう40年以上になるか。
当時大学での研修をボイコットした若手医師たちが、医学教育の改革ののろしを上げ、青年医師連合(通称青医連)を結成し、日本の医療改革の拠点としたのが佐久病院だった。
僕も形成外科の普及もかねて、年に数回佐久病院を訪れ、青医連とけんかをし、若月節を聞かせていただいた。
昼から水代わりに焼酎をがぶ飲みされる大酒豪で、サク病院でなくサケ病院のほうが通りが良かった。

私は戦時中の転向左翼で、とよく自嘲気味に言われたが、かえってそういう人のほうが筋金入りのコミーだぞ、などとささやかれてもいた。
笑顔で話されていても、目は鋭く発想は若々しかったのを思い出す。
本性は万年文学青年とお見受けした。

赤のレッテルを貼られ、行き場所の無い先生に恩師が世話してくださった田舎の一診療所を、瞬く間に大学病院並みの医学センターにまで発展させたご苦労は大変なものだったろう。

ソ連が崩壊したときは本当にがっくりされていた。
共産主義の矛盾は先刻ご承知のはずである。だが、挫折しても捨てきれぬ若い頃の理想。そして半世紀たっての偶像の壊滅。複雑な胸中をお察しして、慰めの言葉もでなかった。

謹んでご冥福をお祈りします。
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by n_shioya | 2006-08-25 22:07 | コーヒーブレーク | Comments(0)




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