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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
カテゴリ:手術( 47 )
外科医はサイコパス?
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先日、中野信子さんの「サイコパス」をご紹介したが、その中に「サイコパス」が潜む可能性が多い職業の一つに外科医が挙げられているのがいささか気がかりである
「サイコパス」の特徴として
①人とのコミューニケーションが下手である。
②正常なら躊躇するような行動に及ぶ。
の二つがある。
問題は②の理由として、サイコパスは感情と判断の連携に乏しいことが挙げられていることだ。
つまり外科医は仕事遂行の上で、ときおり非情な決断を下す必要がある。それにはこのサイコパス的な資質がプラスするのではという話だ。
それはともかくとして外科医には変わり者が少なくない。
ことに日本と違い、変人でもその特質が欠点を上回れば、はやばやとその芽が摘まれることのないアメリカでは、エクセんトリックな外科医にはことかかない。あたかもエクセんトリックであることが、手術の名手の要件のようにもてはやされる気味もある。
僕が外科専門医試験で口頭試問で当たったゾリンジャーもその一人。
助手の介助が気に入らぬと罰として、水をなみなみと充したバケツを頭の上に持ち上げて、手術中壁際に立たせるなど。また、自分の駐車スペースに誰かが停めて居たら、自分の車をぶつけて、2台ともメチャクチャにしたとか。
今なら立派なパワハラものだが、当時はその外科医としての腕のゆえに尊敬さえされていた。
そのぞリンジャーから専門医の資格をいただいた僕も、やはりサイコパスの資格はありますかね・・・
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by n_shioya | 2017-07-23 21:37 | 手術 | Comments(0)
天野イズム
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学会は無事終了。
今日の収穫は天野教授の特別講演。
手術成果もさることながら、彼の外科医としての真摯な取り組みには感銘を受けた。
全身全霊をあげて、患者と戦い続ける姿勢。
感動するとともに、それを貫き続ける生き方が羨ましくもあった。
形成外科医の取り組む相手、患者と疾患は心臓外科医とは違うとはいえ、僕はそこまで全力投球をしてきただろうか、改めて忸怩たるものがあった。
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by n_shioya | 2016-06-12 21:31 | 手術 | Comments(0)
”神の手”はあるのか?
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今日もまた聞かれた
“先生、神の手ってほんとうにあるんですか?”
むむ、と返答に窮した。
ないよ、といえば己が神の手を持ってないことの僻みととられそうだし、あるといえば、マスコミのセンセーショナリズムに迎合することになる。
確かに外科医にも上手い下手はある。だが何を持って上手いとするか、その評価基準はまちまちである。
一口に手術といってもそれぞれで目的が違う。
緊急を要する救命の手術なら、命が助かること。たとえばくも膜下出血や盲腸炎の手術。
癌の手術では、当然ながら病巣を完全に取りきって再発を防止すること。
だが、整形外科のように機能回復が目的なら、たとえば関節なりが動くようになること。
これが形成外科となると、顔かたちが本人の希望通りに復元されること。
美容外科はもっと難しい。本人の変身願望をかなえて、コンプレックスを解消すること。
いずれの場合も目的を達成し、かつ後遺症はゼロか最小限に抑えること。
つまりは結果がすべてであって、テレビ写りのよい手さばきの鮮やかさとか、執刀時間の驚異的な短さなどは、同じ結果を生むならばという二次的な評価対象に過ぎない。
手さばきにしても、せかせか忙しいのがよいわけではない。糸結びのような簡単な操作でも、焦って2回3回とやり直すよりも、丁寧に一回で済ませたほうが時間も節約になる。
一番よくないのは、あっちをいじったり、こっちをいじったりもたもたが続く手術である。時間を取るだけで、結果も思わしくないことが多い。ただこういうときは当の本人も何をやっているのかわからないことが多いので、やむをえない??
また、よくハンドルを握ると人格が変わる人がいるが、メスを持つと人格が変わるというか本性が出てしまうようだ。
そのため、手術の上手下手を一番よく知っているのは麻酔医である、術中に露呈される人物像を含め。
麻酔医はいろいろな外科医のいろいろいろな手術にいつも立ち会わされるからである。
医学部で外科系の教授選のとき、当該候補者の勤務先の大学の麻酔科教授に、そっと評価をお伺いすることがしばしばあるのはそのためである。
前置きが長くなったが結論を言おう。
僕は“神の手”は誤解を招く表現だと思うし、また“神の手”をまねることもない。
それよりも、外科医が目指すべきは、“神の意思”に従って患者のために動くような手を目指すべきと思う。
この場合、指先以上に大事なのは、神の意思を戴した“判断力”である。
これこそが外科医の真骨頂と言うべきであろう。
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by n_shioya | 2016-03-16 19:35 | 手術 | Comments(0)
無事生還
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無事生還した。
何を大げさな、たかがヘルニアの手術ぐらいで、と言いなさんな。
昔、アッペ(盲腸)ヘモ(痔)ヘルニアと一括りにインターンの練習台にされていた頃と違い、今の腹腔鏡による手術ははるかに高度な技術を要する先端医療である。
この分野は慶応が先鞭をつけ、白金の研究所病院も其の流れを汲んでいて、大作外科部長は其のエキスパート。
従来の手術は外から開けてヘルニア口に詰め物をし、上からパッチで覆うといういわば「臭いものに蓋」方式だが、腹腔鏡は開腹せずに内側からヘルニア口を確認しパッチでしっかり閉じるやり方である。
腹筋を緩め、腹腔内にガスを入れて広げるため、全身麻酔が必要だが、今の全身麻酔は導入・覚醒も早い。
しかも開腹せず、小さな切開で行うため、傷の痛みも少なく、腹膜癒着の恐れもない。
ま,いいこと尽くめのようだが、手術は手術。麻酔から覚めてこの世が確認でき、手足が動いた時はホッとしたのが本音である。
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by n_shioya | 2015-12-28 16:30 | 手術 | Comments(0)
ターナー氏と両下肢切断。
ターナー氏はアメリカ空軍の元パイロットだった。
チーフレジデントとして僕は、動脈閉塞のため腐りかけた彼の両足を切断せざるを得なかった。。
しかも、膝上での切断である。
70歳を超えていたが、幸い体力は頑健で術後の経過は順調だった。
退院後は「車いすの生活」は余儀なくされるが、本人は,出来れば「両足義足での歩行」も強く希望した。

このようなとき,アメリカの病院では関連各科を交えた合同カンファランスで方針を討議する。当該科、外科部長、リハビリ、看護部,そして家族も交え。
整形外科部長は慎重と言うかいささか退嬰的な男で、主治医としての僕のプレゼンに対し、高齢でリスクも大きいから義足は止めた方がよい、とブレーキをかけた。
其のとき,真面目一方で“スマイリング。チャーリー”とあだ名された外科部長が怒鳴りつけた。
“本人が強く希望し,体力もあるとき,お前は医師の義務を放棄するのか!”
このようなカンファランスでは、相手が誰であろうと,又,メンツにはこだわらず意見をぶつけあうのがアメリカの大学の面白さである。
その後装具が造られ、(フォトの左端)リハビリの指導で車いすと義足の併用に習熟し,無事社会復帰を果たした。
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半年程して、我々夫婦はニューヨークの隣のバーモントに住むターナー氏の自宅に招かれた。
食事の後、両手だけでの運転可能に改造したフォルクスワーゲンで、秋景色のバーモントの野山をスイスイと案内してくれた事を、庭の紅葉を眺めながら思い出している。
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by n_shioya | 2014-11-09 18:09 | 手術 | Comments(0)
ガテマラからの患者さん
“その子は口が無いんですよ。何とかなりませんか、ドクトール?”と,駐日ガテマラ大使から相談を受けたのは,僕が米国留学から東大に戻って間もなくの事だった。

診察の為に来日した大使の友人のその娘さんは、子供の時に唇の痣に放射線治療を受け,上下の唇が萎縮して閉じる事が出来なかった。
見た目も可哀想だが,それ以上に慢性放射線皮膚炎をほっておくと癌になる恐れがある。
切除して皮膚移植で上下の口唇を造る以外に無い。
いまならばもっと簡便で,効果的な方法もあるだろうが,其の頃の常識としては皮弁,それも首に皮膚のチューブを造り,尺取り虫のように顔に這わし,唇を造るのが最適とされていた。
当然ながら一月おきで十回程の手術が仕上がるまでに必要だ。

幸い裕福な家庭らしく、そのまま一家で帝国ホテルに宿を取って一年近く日本に滞在し、手術を完了して帰国された。その間に十二分に日本観光も果たされたようである。
その後、経過観察をかね,是非ガテマラへどうぞと再三請われたが,何せ遠路である。果たせないまま50年経ってしまった。
経過は良好で,結婚し幸せな家庭を築いたと知らせを受けてはいたが。
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昨日、塩野さんの取材を受けているうちに、昔の患者の事をボロボロ思い出したので,これから時折ご紹介する事にする。
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by n_shioya | 2014-11-08 18:54 | 手術 | Comments(0)
僕はハグレ鴉ではあったが・・・
“では先生はブラックジャックという訳で?”
僕は答えた。
“とんでもない,塩野さん。ハグレ鴉ではありましたが・・・”
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塩野さんは伝記ライターだが,並のライターではない。本人からの「聞き語り」を本人の言葉だけを繋げて一冊に仕上げる。其の作品はこの手法で日本の伝統技術の「匠」の実像に迫ったものが多い。
其の塩野さんが去年から月イチで、僕の話を聞いてくださっている。
そして図らずも僕は、「自分史」を幼児から辿り,やっと今日、形成外科医としてデビューするくだりに辿り着いたところである。

確かにアメリカ帰りとして日本の医学界では50年ハグレ鴉ではあった。だが形成外科医としては・・・
其の修練過程からも、性格的にも僕は形成外科医である前に外科医であるという矛盾に悩み続けた。
僕の観るところ、世の中には「生まれついての形成外科医」という種族が存在する。彼等は器用なだけでなく、仕上がりが全てで、トコトン細部にこだわり続ける。
だが,仕上がりにこだわる程,リスクは高まるのが世の常である。
ねが外科医の僕は,リスクを冒すよりほどほどのところでメスを納めてしまう。だが彼等は其の先まで踏み込む。
其のため僕は,重大な過誤は犯さなかった代わりに,やり足りなかったという思いを残す事が多々あった。

という訳で塩野さん、僕はハグレ鴉ではあったが,形成外科医としても凡庸であったという自責の念にいまでも駆られるのですよ。
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by n_shioya | 2014-11-07 22:36 | 手術 | Comments(1)
メスは時代遅れか?
外科医のレーゾン・デートル(存在意義)は“切る”ことにある。
患者にメスを入れるという具体的な行為だけでなく、ゴールを定めたら余計なものはすべて切り捨て、最短距離で目的地に到達するよう習慣づけられている。
内科医は反対に、各段階を慎重に検討し、その積み上げの先にゴールが生まれてくる。
これは善し悪しの問題でなく、両者の本質的な差ともいえる。
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昔、医学部の頃僕はお茶を習っていた。
官休庵、又の名は武者小路千家である。
お弟子さんはほとんどがお嬢さん方、男は通常僕一人だった。
“お目がお肥えになってよろしいでしょう”と女性の内弟子にからかわれながらも、毎土曜、大学の裏のお屋敷に通っていた。年に数回、京都から若宗匠が出げいこにお見えになった。

お弟子さんの中に、時折姿を現す医師が居た。九段で開業しておられる荒川先生という痔の専門家である。
“将来は何科に進まれるおつもり?”ある日突然聞かれた。
“いや、何科というより、消化器でも、神経でもいいが、一つの臓器で内科外科を統合した治療を一人の医師が試みるのは如何でしょう。”
そのころ獏と考えていたことを口にした。
“そりゃ、あきまへんわ。”と一蹴された。
“何故?”
“外科医と内科医では気風(キップ)が違いますわな。”
と、議論の余地はなさそうだった。

その後自分が外科の道を選んで、荒川先生の言われることがよくわかった。
内科医のようにデレ、デレ頭の中でこねくり回すより、スパッとメスを入れて病巣をえぐり出す方がはるかに性にあっていたからである。
だが最近では、メスの代わりに内視鏡や腹腔鏡更にはカテーテルを用いた、低侵襲の手法が開発された。これは操作に熟練を要し、時間はかかるが回復が早いからである。正直、僕には向いてないが、患者には福音である。

そして今美容外科医の立場は複雑である。
レーザー、ボトックス、ケミカル―ピール等、メスを使わぬいわゆる非侵襲性の手法が人気を呼び、そちらに走る美容外科医が急増したからである。
勿論患者としてはメスは避けたい。たとえ効果が薄く、一時的なものでも、痛みや傷跡を残さない方がありがたいのはよくわかる。

いずれ医学が進歩して、メスが不要になる時がくるかもしれない。
だが、今はまだメスでなければ解決できない問題は多々ある。
安易にメスを捨てず、いかに、安全に、侵襲を少なく、傷跡を残さずに効果を上げられるか、真剣に検討するのも、外科医の務めではなかろうか。
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by n_shioya | 2013-12-01 18:24 | 手術 | Comments(0)
劇場型美容外科
手術場はアメリカではオペレーティング・ルームだが、英国人は気取って?オペレーティング・シアターという。
直訳すれば「手術劇場」ということになるが、最近では神聖なる手術場もテレビのお陰で、「劇場型政治」ならぬワイドショウの見せ場となってしまった。
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啓蒙の具としてテレビは活用さるべきはいうまでもない。
だがこと美容外科に関しては、興味本位のイカサマとまでは言わないが、ヤラセも横行しているようだ。
昔は美容の手術はこっそりと受けたもだが、最近の若いのはモニターと称して、ただで手術を受けられ、テレビにも出られるというので結構希望者があるという。
又、出演する医師もテレビ写りがよくて話がうまいのが好まれる。腕は二の次とは言わないが、中には結構いかがわしいのも多い。
もっと割り切って、プロダクション所属のワイドショーのタレントになったのもいるそうだ。

それが世の趨勢という奴ならそれもやむをえないかもしれない。ただ気をつけなければならないのは、先ずテレビは「視聴率」がすべてである。「啓蒙」は二の次だ。
又、美容外科は自由診療であり、科の性質上「口コミ」が期待できない。
しかもわが国の広告規制は阿呆らしいほど厳しく、専門医の資格や、経験などは一切広告できないことになっている。
したがって患者さんは、テレビの露出度が多いほど名医と勘違いしてしまう。
したがって広告に投資するほど、患者のリターンは増加する。
某チェーン店の院長など、収入の半分以上を広告に使っていると豪語している。
健全な企業ならありえないそうだ。
そのしわ寄せはどこに?
当然医療の質と、従業員の搾取であり、それが患者に何らかの形で還元される。
勿論医事紛争も絶えないが、スキャンダルも宣伝の内と豪語するタレント並の医師もいるので救いがたい。

など、相も変らぬ美容外科界の恥部をあげつらったのも、近着のアメリカの学会誌で、美容外科のテレビ番組の功罪を分析した報告が、エール大学から発表され、どこでも同じ問題を抱えていると分かり、またその内容がなかなか面白かったたからである。
これから必要なのは、学会とテレビ業界が提携して、今のワイドショー的な扱いから脱却して、メディアの特性を善用した、美容外科に関する正しい啓蒙活動をスタートさせることではないだろうか。
この秋には聖路加病院が日本美容外科学会を主催する。大竹会長、正しい美容外科の啓蒙の為頑張ってください。
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by n_shioya | 2013-08-04 21:44 | 手術 | Comments(2)
手術ミスはなくせるか?
最近は「手術ミス」の報道がやたら多い。
実際に増えているのか、もう隠しおおせない時代になったのか。どちらかといえば後者ではないかと、僕などは思う。
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むかし、むかし大学病院では患者を人と思わぬしきたり、これが村の掟であった。
病人と思うな、研究のマテリアル(材料)と思へ。
一人殺さなければ一人前の医者にはなれぬ、などと恐ろしい言葉が平気で飛び交っていたのが、いわゆる昔の「白い巨塔」の、今でもその気はあるが、医局の風潮だった。

確かに最近の「医療ミス」は、とんでもない、こんなことがあってはならないと思われることが多いが、いわゆるミスの中には本当の意味ではミスと呼ぶべきでないいろいろな問題が含まれている。
いわゆる常識的というのもおかしいが、ヒューマンエラーによる「普通のミス」を中心にすえた場合、その両側にはみ出る、ミスとは呼ぶべきでないない部分が存在する。
このようにミスをあえて三種類に分けて、「普通のミス」からはみ出た二つについて解説を試みると、

まず失敗というより、そもそもが非常識な手術が存在する。
大半は経験不足や不勉強によるものだが、なかには常識的には考えられない行為、もはや犯罪行為といったほうがよい手術もある。どうしてこんなことが起こりうるのか、時折医師の中にも、精神病者に近い、いわゆる精神病質の医師が存在することも否定できない。

その対極が、ミスというよりは合併症と呼ぶべきものである。
例えばどんな名医が注意して行っても、手術の目的、病変、部位などで、あるパーセントは起こりうる、コンプリケーションと呼ばれるものである。
例えば、顔のしわ取りの場合の術後の出血,腸管を開けた場合のやむを得ぬ感染、回復したあとの癒着など、限りなくゼロに近づける努力は必要だが、それでも起こりうるもの。これは当然ながらインフォームド・コンセントの際の最重要な説明義務の部分であり、必ずしも医師の過誤とはいうべきでないものがある。

こう大雑把に区分けしただけでも、いわゆる「手術ミス」といって医師の責任を十派一からげに出来ないことは多少はお分かりいただけるだろうか。

今ひとつ残る問題は、たとえば合併症の場合、法律的に医師に責任がなくても、患者にとってはそのために予定外の、余分な肉体的、経済的負担が生ずることは避けられない。
それに対しては、今の制度では、「医療過誤」と認められない限り、患者に対する保証のめどがたたないので、無理にでも「医療過誤」に仕立てなければならないという一面も出てくる。これに対しての救済処置はそれとして検討されるべきであろう。

手術とて人間の技である。100%の完璧はありえない。しかしそれを、いかにして100%に近づけるか、そのための人間的に可能な限りの努力は必要である。
「手術ミス」を限りなくゼロに近づけるためにこれから求められるのは、まず情報開示とそれに基づく第三者機関による原因の究明、そして対策の探求であろう。

これらは言うは易しいが・・・・・
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by n_shioya | 2013-02-27 21:00 | 手術 | Comments(2)




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