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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
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肝斑は治せる・・・第3回日本美容抗加齢医学会
今日は日曜というのに、また朝から学会である、などとは口が裂けても言えない。
日本女性の若返りの希望の星、湘南鎌倉病院の形成外科山下理絵部長が精魂込めて立ち上げた、日本美容抗加齢医学会の第3回学術集会の日である。
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朝9時。
肝斑治療のための戦略」というパネルで始まった。
一口にしみといっても、老人性色素斑、太田母斑、脂漏性角化症など様々あるが、そのうちで最も治療に難渋してきたのがこの肝斑というやつである。
成人女性に多く発症し、ほほ骨を中心に茶色の染みができる。
それが今は、薬や場合によってはレーザーで改善できるというのである。

ただその見分け方や、治療手段の使い分けと組み合わせ方。2時間にわたる議論を聞いていると、肝斑オタク(失礼)の世界で、とても僕が手を出せる代物ではないことがわかった。

それからメゾセラピー、プラセンタつぼ打ち、サプリメントと続き、最後が「ホルモン補充治療と美容医療」のパネルだった。

演者は
 東京女子医大産婦人科の太田教授
 帝京大学泌尿器科の堀江教授
そして
 銀座オクトクリニックの伊藤院長
のお三方で、座長は僕が務めさせていただいた。

それぞれが、女性ホルモン療法、男性ホルモン療法、そして成長ホルモン療法の現状について、まことにわかりやすくお話しくださった。
初期には混沌としていたホルモン補充療法も、ここに来てやっとその使用法が整理されてきたようである。

結論から言うと、適応を選び、必要なら専門家の指導を仰ぎながら行えば、我々形成外科医でも、アンチエイジング医療の武器の一つにできるし、またそうすべき、という感じを受けた。

しかし、ホルモンの世界は複雑に絡み合って、奥が深い。
これは新しい治療法すべてに言えることだが、この治療法も自家薬籠中のものとするには、それなりの基礎知識と経験が必要なこともよくわかった。
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by n_shioya | 2008-11-30 21:33 | アンチエイジング | Comments(2)
臨床心理士に国家資格を!
夜来の雨もやみ、今朝は快晴で、ホテルの窓からは岩木山が青空を背に、くっきりとその雄姿を現している。なるほど「津軽富士」といわれるだけのことはある。
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今回は日本心療内科学会の佐々木会長のお招きで、アンチエイジングのお話をするため弘前にやってきた。
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東京にいるとつい首都中心の天動説になって、地方に行くといかにも遠くまでやってきたとご大層に感ずる。
以前サッポロの学会の時、うっかり北大の教授にそう漏らしたら、“おめえ、俺たちをそれを毎週のようにやらされているんだぞ”、とたしなめられた。

今僕は午後の教育講演は無事終え、ホテルで血中カフェイレベルを上げているところ。
僕の話はいつもの漫談に終わったが、午前中のシンポジュームは面白かった。
臨床心理士」の国家資格の論議である。
数年前、議員立法で実現する寸前に、某方面から邪魔が入ってペンディングになったそうだ。
残念なことである。

われわれの分野では、「心理療法士」の協力は不可欠だ。それが資格制度がないと、立場も弱いし、給与体系でも割を食う。何よりも患者が不利益をこうむる。
関係者にとってはいろいろ問題はあるだろうが、部外者にとってはコップの中の嵐にすぎない。患者のために小異には目をつぶって、大同団結できないものだろうか、と考えるのは、こちらに利害関係がないからであろう。

同じような縄張り争いは僕自身、エステティッシャンの資格問題、美容外科の標榜科騒ぎで、十分やりあってきたくせに。
愚かなるもの、汝の名は男”と言いたくなるのは、畏友熊本名誉教授の説では、闘争心はテストステロンのなせる業だそうだから。
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by n_shioya | 2008-11-29 16:22 | アンチエイジング | Comments(9)
カラヤン、カラヤン、カラヤン・・・・
b0084241_10371264.jpg現役時代、僕は学生たちから、塩谷は究極のミーハーだと言われたことがある。
僕はそれを最大の賛辞と受け止めたが、そのミーハーにとってまたとない本を見つけた。
カラヤン帝国興亡史」という幻冬舎文庫である。
著者は中川右介。以前、同じ幻冬舎文庫で出版された「カラヤンとフルトヴェングラー」ではすでに楽しませ頂いている。

著者があとがきで述べているように「この本では批判を覚悟で、カラヤンの『芸術』そのものについては論じるどころか、記すこともしなかった。カラヤンの生涯における、ポストの獲得とそれを喪失する過程に焦点を当てた」のも、ミーハーにとってはありがたい。

フルトヴェングラーとの確執、チェルビダッケの追い出し、権謀術数によるカラヤン帝国の構築、ザビーネ・マイヤー、アンネ・ゾフィー・ムッターなど女性演奏者がらみのベルリンフィルとの対決。そしてやがて訪れる落日。これらのエピソード、スキャンダルについてもっと知りたい方はには、ぜひ一読をお勧めする。

ちなみに僕は54年にカラヤンの初来日でN響を指揮したとき以外、CDは別としてカラヤンとベルリンフィルの生は聞いていない。
別に偏見、嫌悪があったわけでなく、切符があまりにも高価で手が届かなかったにすぎない。
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by n_shioya | 2008-11-28 22:50 | コーヒーブレーク | Comments(6)
芸術の晩秋
イヤー、すさまじいストーリーの展開である。
今日見た映画「ブーリン家の姉妹」。
英国のチューダー王朝の壮絶な権力闘争
それに巻き込まれた、ブーリン家の姉妹。多少の脚色はあるにしても、おおよそは史実にもとずいているという。
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へンリー王の好色に付け込んで、娘たちの色仕掛で恩寵を得ようとする成り上がり貴族。
血なまぐさいを通り越して、グロテスクな世界である。
まあ、ともかくご覧ください。英国の自然もロマンティックなお城も、観る前と全く違って見えるようになるでしょう。

b0084241_1045349.jpgちょうど同じ東急文化村でワイエス展もやっていたのでちょっと覗いたが、あのワイエスの描くニューイングランドの海浜の静謐さ、Serenityが、映画の権力闘争の絵図とあまりにもかけ離れた世界で、いささか戸惑ってしまった。
代表作の「クリスティーヌの世界」は出展されていなかったが、それを含めいくつかの作品の習作が展示され、ワイエスの世界の構築過程を垣間見ることができておもしろかった。
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by n_shioya | 2008-11-27 22:36 | コーヒーブレーク | Comments(5)
定年は必要か?
今日はパレスホテル大宮で、JPNさいたま支局会員の皆様にアンチエイジングの話をさせていただいた。
JPNとはジャパン・プレジデンツ・ネットワークという、会社の社長さん方のグループである。
御年は30歳から80歳まで、またほとんどの方がご夫人同伴なのは嬉しかったが(ちなみにアンチエイジング綱領第一条 は“いくつになっても男と女”)、さてそれだけの幅の広い集まりとなると、焦点をどう絞るか頭を抱えてしまった。
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幸い講演時間は二時間と、たっぷりいただいたので、アンチエイジングの総論、各論、男性向け、女性向け、そして若者から後期高齢者向けまで、久しぶりに思う存分話しまくったのは良いが、かえって雑駁でとりとめのない話になってしまったのではと反省している。
だが、この高齢化社会の問題は、人類未曽有の事態であり、いわば未知の世界に突入するわけで、すでにある答えをさっとお示しできる代物ではなく、これから皆さんと一緒に解決法を模索していかねばならぬということはご理解いただけたようだ。

参加された方々は、さすが一国一城の主だけあって、この未曽有の不況期にあっても皆さん意気軒高で、却ってこちらがパワーを頂いた感があった。
そして僕は改めて今の「定年制度」を見直したくなった。

そもそも明治のころ、平均寿命が50歳のころに定められたのが今の「定年制度」だという。
確かに後進に道を譲る、また老害を防ぐことも必要かもしれないが、定年だからと言って高齢者から働く場を奪い、しかも穀つぶし扱いをする今の風潮は、踏んだり蹴ったりの感が無くもない。
アメリカではすでに、年齢による差別は憲法違反として、定年制度は撤廃されていると聞く。

加齢により体力は衰えることはいなめない。だが、一番大事な知力、ことに判断力は経験の積み重ねであり、年輪のように年とともに重層化していってよい。
なぜこの貴重な資源をもっと尊敬、重用することを考えないのだろうか。

人がある年齢にたっすると、“これからは大所高所からご指導を頂き”、など慇懃無礼なセリフとともに棚上げする習わしは、意欲のある高齢者に対する最大の侮辱と言える。(僕は昼寝の合間に美女とお茶をする今のグータラ生活を楽しんでいるが)
このあたりで社会の仕組みを根本的に考え直し、誰でも死ぬまで社会に貢献できるように役割分担を構築することが、アンチエイジングの目的であり、高齢化社会の活性化にもつながるのではないかと思う。
もちろんリタイアして、老後をのんびり楽しみたいという向きは、それはそれで許さるべきではあるが。

時間の関係でとんぼ返りとなり、せっかく大宮まで行って、名物の餃子を抓みそこなったのだけが、今担って心残りである。
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by n_shioya | 2008-11-26 23:27 | アンチエイジング | Comments(7)
ステンドグラス
b0084241_18582162.jpgどうしてステンドグラスには、これほど人の心をひきつけるのだろう。

ノートルダム寺院の薔薇窓は言うまでもなく、シャルトルケルンの大聖堂等、ヨーロッパの聖堂にはステンドグラスはつきものである。
小さいながらも、シテ島のサンシャペルの、細長くそそり立ったドームをぐるりと取り巻くステンドグラスは、夕陽をすかして眺めるときは、まさに天国の雰囲気を醸し出す。

そんな大それたものでなくも、ほんのちょっぴり我が家でも雰囲気を味わいたいものと思っていたが、配偶者が名案を思いついた。
書斎の壁で昔空調機をはめていた、50センチに40センチほどの隙間に、小さなステンドグラスをはめたらというのである。

“誰に頼む?
“あの方に。”

幸い我々の山小屋の近くには、絵を描く方や、家具を作る方などの工房が多い。その一つ、田工房がステンドグラスだったのを思い出したのだ。
そして2年前、田さんの傑作が、薔薇窓ならぬ八ヶ岳窓として書斎を飾ることになったのだ。
東側の壁なので日が昇ると、ちょうど朝日に映える八ヶ岳連峰のように輝き始める。
ステンドグラスの魅力は、波打ったガラスが微妙な色合いのグラデーションを生み出す。そして鉛?の素朴な縁取りが全体を引き締める。
多忙で山小屋に足を運べないとき、また真冬の厳寒時にも、ほの暗い書斎に足を踏み入れると、東側の壁に八ヶ岳がその雄姿を現してくれる。
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その田さんが元町の家具屋さんで個展を開いたので、昨日訪ねて行った。
場所柄飾られていたのは小物が多かったが、配偶者はその中に緑色のガラス細工の時計に目をつけ、早速購入した。ステンドグラスの八ヶ岳の隣に吊るすのだという。
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by n_shioya | 2008-11-25 23:38 | コーヒーブレーク | Comments(4)
「グロテスクな教養」
b0084241_9521827.jpgグロテスクな教養」というちくま新書を読み終えた。
題はグロテスクだが、中身はしっかりしている。
著者は桃山大学の高田里恵子教授である。

定義は難しいが、教養教養主義は峻別さるべきで、著者が問題としているのはいわゆる教養主義で、僕の考えでは、真の教養とは人類の文化遺産を消化吸収し、自分の目で見て、感じ、思考力を養うことにあると思う。
決して、サプリメントのように、この丸薬さえ飲めばという安易なものではないはずだ。

そもそも日本の教育の間違いは、生徒に問題発見と解決の能力を与えず、既存の正解をただ鸚鵡のように復唱させることである。
よく言うことだが、学問の世界では問題点が見つかれば半分は解決されたようなものである。
日本の教育は生徒からその力を引き出そうとはせず、しかも答えは既に存在していて、それを見つけるだけだと思わせる最低の教育システムである。
だが、詰め込み教育を否定しているのではないから、念のため。

繰り返し言うが、教養とは、先人の築きあげた文化である巨人に肩車をさせてもらい、広い視野で眺め、感じ、さらには自分の肩に次世代を載せて、ごく僅かでも人類の進歩に寄与することを目指すべきと思う。

その点、かつての旧制高校はそれなりの価値があった。
大学進学はほぼ約束され、気のすむまで自己探求のできる、恵まれたモラトリュームの三年間だった。
しかも大学進学は選択肢の一つにすぎなかった。
要は自分が本当に何をやりたいか模索することに対して世間は寛容だった。
現に大学に行かず、蒲焼屋になったのもいるし、古本屋の親父としてみんなの尊敬を受けた者もいる。

人には向き不向きがある。
素質に価値判断を入れないという前提で、エリート教育が見直されてもよいのではないか。
そしてエリート利権を追い求めず、ノーブレス・オブリジを旨とすること。
そのために不可欠なのが教養のはずだ。
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by n_shioya | 2008-11-24 22:43 | コーヒーブレーク | Comments(6)
終の棲家 その3 スイスは?
旅行者として訪れる限り魅力的な町でも、いったんそこの住人になると、全く扱われ方が違うことがあるという。
その例としてよくあげられるのが京都だ。内面と外面の落差が激しいということか。自分で経験もせずこういうのは大変失礼かもしれないが。
スイスも似たところがあるようだ。

観光旅行には最高の国である。青空に映えるアルプスの山々。こざっぱりとした清潔そのものの宿。
だが、僕はそこで、いつも誰かに監視されているような感じを受けた覚えがある。
観光立国で繁栄するまでは、あの過酷な自然環境の中で、お互いに身を守り、外敵を防いできた習性なのかもしれない。

世界中どこへいってもレンターカーで飛び回ることにしているが、ジュネーブやローザンヌでは、地図を片手にちょっと立ち往生でもしようものなら、すぐ後ろからクラクションを鳴らされる。江戸っ子よりせっかちだ。
そして排気ガス規制が厳しく、差点では信号待ちのときでも、エンジンを止めることが義務付けられている。
しかも安全のために、レンターカーはイグニッションキーと連動してテンキーがつけられ、暗証番号を打ち込まないとエンジンがかからないようになっていた。
ということは、信号待ちの際、いちいちエンジンを切って、青になるとまた暗証番号を打ち込んでロックを解除し、スタートしなければならない。
実に煩雑だ。

ある時どこかの街中で、面倒なので交差点の赤信号でエンジンをかけたまま停車していると、隣の車のドライバーが、窓を開けてこちらを向いて怒鳴っている。“エンジンを止めろ”という。仕方がないエンジンを切ったが、すぐ青信号になった。
また、××××とテンキーを打ち込んでいると、今度は後ろのやつが、ビービーとクラクションを鳴らしてせかしやがる。
ともかく無事スタートして、ハイウェイに乗ったが、一瞬、こぎれいな街並みも、アルプスも、その輝きを失った覚えがある。

観光立国のスイスでは、環境保護に熱心なのはわかるが、何かぎすぎすした感じで、こんなお節介な、せっかちな、せこい住民の国は永住の地に向いてないと感じたことは確かである。
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by n_shioya | 2008-11-23 23:09 | コーヒーブレーク | Comments(2)
セザンヌの画きたかったもの?
今横浜美術館でセザンヌ展をやっている。

“でもあのポスターの夫人像、ちょっと憂鬱じゃない?”
“僕もそう思う”
ただ言いだす勇気がなかっただけだ。
あの夫人像だけでない。有名なピラミッド型の構成の裸婦たちの水浴像。あのちっとも綺麗くない群像。
風景画にはまだいい感じのもあるが、サンビクトワールにしてもただの岩山に過ぎないじゃないか。実物を見たわけでないが、セザンヌが描いたから世に知られるようになっただけじゃないか。
どこが革命的なんだろう。
何も彼に恨みがあるわけではないが、どうも解せない。
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ちょうど展覧会のプロモーションを兼ねて、隣のホテルで講演とミニコンサートつきのランチョンがあった。
その席で、美術館の館長が、セザンヌの見どころを話してくれた。
つまりセザンヌはそれまでの絵画の表現法に飽き足らず、さまざまな実験を試み、その後のピカソや、モジリアニなどに多大な影響を与えたのだそうだ。

よい例が、すべての物体を円筒か長方形の箱としてとらえた、ピカソのキュービズム。そしてアビニヨンの娘たちはあの水浴の女たちの構成であるという。
ちなみにそのアビニオンはフランスのプロバンス地方ではなく、スペインの地名だそうだ。
でもあの名高い赤いチョッキの少年にしても、そう言われてみているうちに名画のように感ずるようになったが、改めてあの腕の長さのデフォルメを見ると、造形の要諦ではなく、この男本当はデッサンもできなかったのじゃないかなど考えてしまう。
ちなみに僕はローランサンはデッサン力の不足を、女性の感性で補っていると信じている。

要するに僕たちは、セザンヌから派生した近代絵画の成果を先に見てしまっているので、セザンヌのそれまでの伝統的な絵画の否定者としての有難味が実感できなくなっているのかもしれない。

そう一つ思い出したことがある。
福島繁太郎よればセザンヌは絶えず次のように言っていたという。
自然に即してプッサンを習え”と。
ルーブルだかで初めてプッサンの実物を見て、何かわかったような気がした。
このあたりにカギがあるかもしれない。

ま、ともかくしばらく展覧会は続いるので、空いてる日に何度か訪れ、じっくりと鑑賞するつもりだ。
そして僕みたいな素人は、批評家の言う良し悪しにこだわらず、好きか嫌いか、またピンと来るか来ないかだけできらくに楽しむことにしよう。
こちらは何も批評で生計を立てているわけでないのだから。
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by n_shioya | 2008-11-22 21:44 | コーヒーブレーク | Comments(3)
終の棲家:その2
今日はヨーロッパとその他の国々について。

そこで余生をと力むと、生活費とか、言葉の問題とか、病気になったらどうするとか、いろいろな邪念が入り、結論が出しにくなるので、とりあえず今住んでみたい国、それもあまり考えずにぱっと頭に浮かぶ国を挙げてみると、意外に思われるかもしれないが、メキシコポルトガルが浮上する。
どちらも一度しか行ったことがない。
しかもポルトガルは5,6年前だが、メキシコは20年以上も前である。
何がそれほど魅力的なのか?

メキシコの場合。
中南米は東南アジアやアラブ諸国と同じで、貧富の差が激しい。
ある時メキシコ郊外の貧民街に案内された。
家々は、土の壁だけで仕切られ、屋根が全くない。高台から見下ろすと、家の中は丸見えである。
このあたりは雨がほとんど降らないので、とりあえず壁が建つと(壁といっても土を塗り固めただけである)人は住み始めるようだ。食べ物はその辺にいくらでも熱帯果樹がぶら下がっている。
大人たちもただ地べたに座って、お茶を飲んだり、昼寝をしている。そして通りには泥まみれの子供たちが遊びまわっている。 “何を食べ、何を着るか思い煩うことなかれ”という「野の百合」をたとえに使ったキリストの言葉が思い出された。
旅行者の皮相な思い込みに過ぎないにせよ、平和で皆幸せそうに見える。
そのままスッと入っていけそうな気がしたのは、僕の“お茶の水のガード下願望”のなせるわざだったかもしれない。
注釈を付けると、戦後、お茶の水のガード下に浮浪者がたむろしたが、サラリーマンの主人公がある時蒸発して、ガード下に自由を見出すというのが、確か人気を呼んだ獅子文六の新聞小説「自由学校」の結末だった様な気がする。

ポルトガルにはまた別の魅力があった。
結論から言うとレトロである。
ちょうど大正から昭和の初期の日本を思い起こさせる雰囲気がリスボンにはある。街を走るチンチン電車。裏通りでは、子供たちがケンケンをして、その上に張り巡らされたロープは、干し物の満艦飾である。
海辺へ出る機会はなかったが、ヨーロッパの最西端の岬があるそうだ。つまりヨーロッパで最後に日没を見ることができる岬が。
晩年に壇一男が一時期ポルトガルに住み着いたのもわかるような気がする。

こうして並べてくると、どうも僕はうらぶれたところにひかれるらしい。
それもこれも、渋谷の裏通りで、カフェとビリヤードの挟まれて育った幼児体験のなせるわざかも知れない。
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by n_shioya | 2008-11-21 23:20 | コーヒーブレーク | Comments(4)




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