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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
<   2009年 07月 ( 31 )   > この月の画像一覧
夏が来た
b0084241_16225880.jpg今日で7月は終わり。
あすから夏休みのはずだ。

退官してから毎夏、8月いっぱいは山で過ごそうと思いながらまだ果たしていない。
今年こそと思ったが、諸般の事情でやはりかなわぬようだ。

今日は上半期の仕事納めということで、いつもの仲間で打ち上げを行った。
場所は久しぶりのダズル
サービスもミールもドリンクも皆さんお気に召したようだ。
フォトはデザートのフォンダンショコラ。

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by n_shioya | 2009-07-31 23:52 | コーヒーブレーク | Comments(5)
医師の心得
これはすでに書いているかもしれないが、患者中心の医療が叫ばれている今、医師の卵にとっては大切な心掛けだと思うので、改めて記す。

アメリカでは医学部の教授は基本的には開業医で、大学から月給が出るわけでなく、肩書だけをもらう。収入は患者からの上りに頼るので、患者を大切にする。
そういう教授の診療態度から、レジデントは自然に患者中心の医療、平たく言えば開業術を学ぶことができる。

そうして僕が学んだレッスンの中で僕が研修医に繰り返し教えてきたことが三つある。

まず、回診のときは、ベッドサイドの椅子に座り、立ったままで話さない。こうして患者の話をじっくり聞きますよ、という安心感を与える。さもないと患者は医師がすぐ次のベッドへ移るのではときがかりで、十分聞きたいこと、訴えたいことも口に出せなくなってしまうからだと教えられた。
また寝ていて立ってる医師を見上げると、威圧感を感じて言いたいことも言えない、ということは僕自身の入院経験で思い知った。

次は予約。再来の予約はたとえ半年先でも、何月何日の何時と決めること。再診が大事だと認識するからだ。半年したらまたおいででは、患者がつい忘れてしまうことも多い。
どんな病気であれ、患者は癌を恐れていると思い、がんでなければそう告げること。
およそ癌と無関係の病気の場合、医師の念頭には癌のことなどまったくないので、改めて癌ではないと告げることなど思いつかないで診察を済ますと、ああ、やっぱり癌だったのか、だから医師はそれを話題にせず隠したのではないかと思い込んでしまうことが多々ある。

薬を処方するときは、服用方法を具体的にすること。
とりあえず日に2,3回飲んで、などと言うのは決してよくない。日に三回なら三回、それも食前か食後。はっきりと指導する。
そのほうが薬の効果も上がるというものだ。
薬の目的とその副作用について十分説明することは言うまでもないが。

このようなきめ細かい配慮は、残念ながら日本の大学病院ではあまり教えられてこなかったし、患者を「」づけで呼ぶよりもはるかに大事だと言える。

ちなみ我が国の保険制度では、診療報酬は一律で、経験や技術は完全に無視される。
医師免許取り立てであろうと、ベテランの医師であろうと、治療費は一銭の違いもない。
もちろん学会認定の専門医であろうとその分野の素人医師であろうと、まったく関係はない。医師なら原則として医療行為すべておこなえるのが現在の医師法である。
それが医療訴訟となると、突然、経験が問題にされる。

このような矛盾だらけの保険制度のもとで、よい医師が育つはずもなかろう。
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by n_shioya | 2009-07-30 22:26 | 医療全般 | Comments(13)
墓碑銘
映画「おくりびと」の人気にあやかろうとしてか、ある雑誌社から「どんな葬儀の形態を希望するか?」という趣旨の取材が入った。
正直、あまり考えたことのないテーマである。
といって、あとは野となれ山となれ、では回答にならないので、あれこれ考えている。

b0084241_1013473.jpgところで我が家の墓地は多磨墓地にあり、遺言で僕は墓守を仰せつかり、我々夫婦はそこに入らざるを得ない。
多磨墓地は武蔵野の一郭にあり、子供のころはピクニック気分で出かけたものである。
数日前も両親の墓参で訪れた。
だが、配偶者も常日頃言うように、あんなところに閉じ込められるのは何となく冴えない気分がする。

ではどうする?
大海原や山間に撒いてもらったら?
それも悪くはないな。
調べてみると、これは「散灰」と言って法律違反ではないそうだ。法律で禁じているのは「土葬」だからだという。法律とは面白いものだ。
聞くところによると、石原裕次郎は「海への帰還」を希望したそうだが、周囲の反対で実現しなかったという。
だがライシャワー元大使の遺灰は太平洋に撒かれたそうだ。

墓地はどうでもいいが、僕がひそかにこだわるのは墓碑銘である。
自分自身の気の利いたセリフはないので、愛唱するスティーブンソンのレクイエムを借用したい。
 
Under the wide and starry sky
  Dig the grave and let me lie:
Glad did I live and gladly die,
  And I laid me down with a will.

This be the verse you grave for me:
Here he lies where he long’d to be;
Home is the sailor, home from sea,
  And the hunter home from the hill.


せめて最後の三行だけでも、どこかの岩に。
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by n_shioya | 2009-07-29 21:54 | コーヒーブレーク | Comments(4)
消えたパスポート
いやー出たー!
なに、お化け?
いや、パスポート

パスポート探しで今日一日棒に振ってしまった。
この秋、クリニックのグループ旅行でオーストラリアに行くことになり、旅行者からパスポートのコッピーを求められたのが昨日である。
今朝何時もの隠し場所に、パスポートを入れたはずの黒いクラッチバッグがない。
銀行の貸金庫に入れていたこともあるので、そこに入れたに違いないと言ってみるとそこにもない。
がっくり。
戻って家じゅうを探し始めた。
僕の部屋は乱脈を極め、泥棒泣かせと常日頃自慢にしている。こんな時はこちらが泣きたくなる。

家を留守にする時、重要物件の隠す場所にはだれでも苦労するのではなかろうか。
どこかに隠しても、そこはまず真っ先に泥棒が目をつけるのでは、と心配になる。また、場所を変える。なるべく泥棒もギブアアップするような、ごちゃごちゃのところに。
そのためよく帰った時、当人も隠し場所を忘れて、苦労することしばしばである。
この傾向は年とともに悪化してきたのはやむを得ない。

さて、パスポートはどこにあったか?
旅行関係の書類の小棚の引き出しの中だった。
期限切れのパスポートやトラベラースチェック、各国の通貨など、無造作にしまってある引き出しである。
そこもすでに三回はチェックした。
4度目、もしやと思って再点検するとあった。古い書類に包まれて、ちょっとわからないようになっていた。
探し方も悪かった。はなからクラッチバッグの中にしまったと思いこみ、裸のパスポートに頭が及ばなかったのである。

そこで無くし物探しのコツ。
一か所ずつ、綿密にチェックすること。あっちゃこっちゃが一番よろしくない。

とまれ、これで今夜は安眠できる。
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by n_shioya | 2009-07-28 23:30 | コーヒーブレーク | Comments(4)
狭いながらも楽しい我が家
戻り梅雨の驟雨が止み、夕日が差してきた。
クーラーを止め窓を開けると、涼しい風が舞い込んでくる。
もともとクーラーは性に合わないが、このところの異常な猛暑にはもはや必需品である。
涼風を受けてソファーに寝そべっていると、クーラーなどなかった昔が懐かしく思い出される。
あのころは日陰を探し、夕方には打ち水をして、自然の涼に頼ったものだった。
クーラーだけではない、冷蔵庫も、テレビもなかった。だが、世界は平和で幸せだった、資源と領土を奪うためのあの愚かしい戦争を始めるまでは。

ところで昭和一桁には懐かしい漫画がある。
横山隆一の「フクちゃん」だ。
ちょうど戦後の「サザエさん」に匹敵する、いやそれ以上に国民的なキャラクターだった。
おじいさんとフクちゃんと、書生の荒くまさんと、それを取り巻く市井のファミリーと。
だが、そのスタートを僕はよく思い出す、たいがいの方はご存じないが。

実はおじいさんは大富豪で、大邸宅に住んでいた。
フクちゃんも好きなものは何でも買ってもらえるお坊ちゃんだった。
それが何のきっかけだったか、おじいさんはすべてを処分して、小さなうちに移り住み、庶民の生活を始める、「狭いながらも楽しい我が家」といって。
ちなみにこのフレーズはその頃流行った歌の歌詞のようである。

その後第二次大戦という地獄を経て、人類は平和を取り戻したかに見えた。
だが、また今、「市場主義」と言われる強欲が世界を支配して、人々を不幸に落としいれている。そして「飽食の時代」に育った子どもたちは、『』にしか価値を認めようとしない。

マザーテレサは言う。
「家庭を慈しみの場、限りなくゆるしあう場としなければなりません。今日では、だれもかれも非常に多忙になっています。より大きな発展、もっと豊かな富、もっと、もっと、と求めて。子どもたちは両親と過ごす時間がなく、両親はお互いのためにさく時間もありません。世界の崩壊は、このようにして家庭の中から始まるのです。」

もう一度、『』にサヨナラを告げて、「狭いながらも楽しい我が家」に戻りませんか?
もはや戻れない?
やはり、祖先が神の教えに背いてエデンの園のリンゴを食べた報いですかなぁ!
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by n_shioya | 2009-07-27 23:09 | コーヒーブレーク | Comments(11)
阿呆の上塗り
またやってくれた、あの阿呆首相が。
横浜の選挙演説で
「高齢者をもっとはたらかせばいい。連中は仕事しかできないから。そうすれば税収も上がるし」
とぬかした。
そのあとがもっといけない。
「あいつらは遊びを知らないからな」

馬鹿言うな、おまえの遊びってのはアキバ系とかバーのハシゴぐらいじゃないか。
大人の遊びはな、知性が必要なんだぞ、知性が!
おまえなど知性の一かけらでも体内に入ったら、異物反応で頓死してしまう癖に。
お前に必要なのは、エスプリに富んだ側近だな、例えばルイ16世のリヴァロール伯のような。

「ルイ16世はリヴァロール伯がいつも自分のことを批判しているということを聴いて、内相のマルゼルブに命じて彼を宮中に呼んで次のように訊ねた。
―――リヴぁロール君、時局重大な折から、君の率直な意見を聴きたいんだが、自分はいったいどうすればいいのかね。
―――陛下、王様のふりをしてください、と彼は間髪をいれずに答えた。」
という。(河盛好蔵著「エスプリとユーモア」岩波新書より)
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by n_shioya | 2009-07-26 20:47 | コーヒーブレーク | Comments(4)
「ドイツ 町から町へ」を読み終えて
b0084241_10323880.jpg「写真がないのね。」
池内 紀氏の「ドイツ 町から町へ」を一月半かけて読み終え、配偶者に手渡すと、ぱらぱらとめくってそう言はれた。
確かに63の町が出てくるが、写真は一枚もない。

読み出してすぐ、ブログに書いたのが6月13日。
一日一つのペースでじっくりとドイツの町めぐりをしたことになる。
一枚の写真もないのに、それぞれの町が見てきたように心象に残っているのは、さすが池内先生の筆の冴えと言うべきか。
ドイツ文学者だから当たり前と言えばそれだけだが、先生は実によく歩き、よく見ておられる。
あとがきにもこう書かれている。
「一ついばってもいいかもしれない。どこであれよく歩いたこと。すり減った石畳、城壁沿いの坂道、ひっそりとして人影のない田舎道…。自分の足で風景を見つけ、歩きながら考えた。」

また、数十年でスクラップアンドビルドされる日本の町と違い、ドイツの町並みは何百年にわたって保存改築され、その時々の歴史が文字通り刻み込まれている。
決してドイツの町として十把ひとからげに出来るものではなく、それぞれの町が実に生き生きと描き出されているのが、この本の魅力であった。

かえって写真がないことも町の印象を鮮やかにしたのではないかとも思った。
よく“百聞は一見に如かず”というが、写真は決して“一見”にはならないと思う。
どんなによく撮れていても、切り取られた一場面にすぎない。あえて言えばヴァーチャルなイメージである。そしてそれ以上の膨らみはない。
それに比べ優れた筆の力は、その町の心や住人の息遣いまで感じさせてくれる。

いずれはヨーロッパに長期ステイをしたいと願い続けてきた。
どこを拠点にするか迷うところであるが、どうもドイツ、それもフランス、スイスの国境に接するボーデンゼーのあたりに居をかまえ、車でドイツと国境周辺を廻り、更にイタリア、オーストリアそしてイギリスと翼を伸ばすのが賢そうである。
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by n_shioya | 2009-07-25 21:47 | コーヒーブレーク | Comments(2)
スローフード、スローライフ
b0084241_9554857.jpg最近イタリアではスローフードと言うムーヴメントがあるそうだが、今日、元町近くのイタリアレストランのワイン・食事会によばれ、その神髄を味会うことができた。
7時から始まり、飲み、食い、語らい、お開きになってのは11時だった。
そのレストランの名はグランドゥーカ。同名の店がシシリアにあるという。

アンチエイジングの大黒柱は食にあると主張しているが、スローフードこそそれを具現したものであり、その伝でいけば、アンチエイジングはすなわちスローライフということになる。
もちろんスローなだけでなく、太陽の恵みを受けたオリーブ油とトマトといった食材が要であることは言うまでもないが。

我々を誘ってくださったは、某大手企業のデザイナーとして活躍された方である。始めてお伺いしたその規格外れの武勇伝の数々はまことに楽しく、共鳴するところが多かった。
結論から言うと、われわれはしごく常識的であって、世間の規範が非常識すぎる、ということに落ち着いた。
この思考過程には、三種類のシャンパンでスタートした白、赤と矢次早に注がれたワインの数々も手伝っていたことは言うまでもない。

最後の締めはグラッパで、そのボトルがまた凝ったベネチァン・グラスであった。
携帯のフォトで不鮮明かもしれぬが、ここにアップする。
一つはブドウの房をイメージしたもので、今一つの細い瓶は、中に精巧なドライ・ローズが埋め込まれているがお分かりになるだろうか。
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by n_shioya | 2009-07-24 23:35 | 食生活 | Comments(2)
ピタンギの美女
パリから美女が飛んできた。
先日ご紹介したイヴォ・ピタンギの化粧品のパリ本社の方で、サンドラという。

もうすでに伊勢丹銀座和光で販売されており、今日から三日間、和光でPRをかねたカウンセリングを実施するそうだ。
彼女に売り込まれたら、化粧品に縁がなくとも、男性ならノーとは言えないだろう。

フォトに彼女と写っているのは、日本の社長サンドロン氏と、取締役の森氏である。
ちなみに森氏は森英恵女史のご子息である。

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by n_shioya | 2009-07-23 23:30 | スキンケア | Comments(2)
道草の人生
道草」ほど人生で楽しいものはない。

と能天気なことを言えるのも、後期高齢者の特権かもしれぬ。
孫たちが寄り道をしていると、親である子供たちはカッカきて、孫どもを怒鳴り散らす。
いいじゃない、そうやって自分を取り戻しているんだから、と言ってやりたくなる。
だが我々は子供たちにはどうだったろう。
定かではないが、やはり、さっさと帰ってまず宿題をやりなさい、と配偶者は言っていたに違いない。子供の教育はまかせっきりだったので。

この違いはなんだろう。
まず孫はこちらが責任を負ってないことがある。
それ以上に、この年になると、自分の過去を受け入れ、過去と折り合いをつける心境になるからではなかろうか。
規則づくめの学校生活、そして社会人になっても、常識という規範の首かせ。
その呪縛から救ってくれるのが、その時々の「道草」だったと思う。

中学のころ僕の家は下北沢にあった。
帰り道、駅から100メートルほど続く商店街を抜けるのに毎日2時間ほどを費やした。
まず、古本屋に立ち寄り、店の親父から教養学派の必読の本の講釈を受ける。
そしてレコード屋の親父からは、戦前の名演奏の話を聞かされ、あげくにはそのレコードを手にして店を出ることになる。
そしてネルのドリップでなければコーヒーではないと、カフェのマスターの蘊蓄のコーヒーをカウンターで啜る。
医学部に入ってからは、道草などと言う周り道をせず、はなから学校にちかよらない日々が続いた。

今処世術のベストセラーを出し続け、テレビでも「断る力」などと目を吊り上げて力んでいるおばちゃん?がいるが、彼女にとってその目的はなんだろうといぶかしくなる。あれで人生は楽しいのだろうかと。
だからあなたには地位も名声も、そして富さえも、なにも手に出来なかったのよ、とどやされそうである。
でもそれで結構。

僕の人生は、かけがえのない宝物で満たされてきたのですから。
その宝物「無駄」という名で呼ばれています。
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by n_shioya | 2009-07-22 21:11 | コーヒーブレーク | Comments(8)




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