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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
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コッツウォルド
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庭の茂みにコスモスの様な白い花々が、寒空にけなげに咲いている。
秋明菊よ、もっと日当たりや風通しが良ければ、群がって咲くのに。”と配偶者は残念そうだ。
“オックスフォードで泊った宿の庭に見事な株があったでしょう。”
“あの、マノアール・オー・キャッツ・セゾン?”
レストランはミシュランの星をとっていたが、庭は。ふむ。
そう言えば、芝生の庭が広々と気持ちよく広がり、イギリス庭園らしい植込みがそこここにあったのを思い出した。
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ここを拠点にオックスフォードの友人を訪ね、コッツウォルド巡りをしたのは、もう五、六年も前のことだ。

イギリスの田園は限りなく美しい。
中でも魅力的なのは、湖水地方コッツウォルドではなかろうか。
b0084241_22171856.jpgコッツウォルドはかつて毛織物の産地として栄えた。
その後、人工繊維の出現で文明の進化に取り残された集落は、昔の面影をそのままとどめ、旅する人をタイムスリップへ誘う。
又、ストウ・オン・ザ・ウォルド、バンベリーなど、チャーミングな集落は、この地方でとれるライムストーンの蜂蜜色の石造りの家並みが続き、安らぎを醸しだす。

三日後我々は、いささか後ろ髪を引かれる思いで、だが期待に胸を膨らませながら、次の目的地、シェークスピアの故郷、ストラットフォード・アポン・エイボンに向かったのを今懐かしく思いだしている。
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by n_shioya | 2010-10-31 22:20 | コーヒーブレーク | Comments(4)
「女と男のだましあい」
“これお読みになって”、と美女のお一人から手渡されたのが、この本である。
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「男と女のだましあい~人の性行動の進化」
ゾクッとするような題名だが、内容は副題の通りいたって真面目な、デヴィッド・バスというアメリカの「進化心理学者」の書いた啓もう書である。
進化心理学」という新しい分野に接するのも初めてだし、そもそもいにしえにダーウィンが「性淘汰」という概念を打ち出していたことも知らなかった。
まだ読み始めたばかりなので、とりあえず訳者のあとがきから引用させていただく。

“なんだかんだ言っても、男と女の関係というのはむずかしい。理想的に見えた夫婦が突然離婚したり、意外な二人が突然くっついたり、はたまた泥沼のような不倫におちいったりという例は、誰もが身近で見聞きした(あるいは自分で体験した)ことがあるだろう。
そこでくりひろげられる駆け引きの複雑さたるや、「男女関係こそ人類の永遠の謎」と言い古された表現にも、一面の真理が含まれているように思えてくるほどだ。その謎を、進化心理学の視点から解き明かしてくれるのが、本書『女と男のだましあい~人の性行動の進化』である。
(中略)
進化論の視点からすると、子孫を多く残せた個体(すなわち遺伝子を多く伝えられた個体)が勝者となり、残せなかった個体は淘汰される。ただ生存するだけでなく、配偶者を獲得し、繁殖することが必要なのだ。こうした繁殖の成否による淘汰を、ダーウィンは「性淘汰」と呼んだ。
バスは、この性淘汰の原理を人間に適用し、男女の性行動を、より多くの子孫を残すための戦略と見なして分析していく。そもそも人間はなぜ結婚し、離婚をするのか。なぜ男は若くて美しい女を好み、女は社会的位置の高い男を好むのか。なぜ自分は浮気をしたがるくせに、配偶者には貞節を求め、嫉妬するのかーーーこうした、見過ごされがちだが根本的な問題を、進化論の立場から鮮やかに解き明かしていく過程は極めてスリリングで、意外性に満ちている。
(後略)”

どうです,スリリングでしょう。
この週末はこれにかかりっ気になりそうだ。彼女がなぜ今僕にこれを勧めたか、“謎”を説くためにも。
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by n_shioya | 2010-10-30 20:09 | コーヒーブレーク | Comments(2)
「徳永二男の挑戦」
b0084241_23202125.jpg今日も音楽療法?
そう、「徳永二男の挑戦」第三回ヴァイオリンリサイタルでした。
曲目はモーツァルト、ベートーベン、イザイそしてシューマンと多彩である。
演奏も素晴らしかったが、その意欲にも感服した。

徳永氏はN響の人気抜群のコンサートマスターだったが、N響退団後は各所で後輩の指導にあたり、人気は衰えない。
まさにアンチエイジングのチャンピオンである。

僕と徳永氏の初めての出会いは、イタリアのコモ湖畔のヴィラ・デステだった。
そのことは昨年の8月27日のブログに書いたとおり。
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by n_shioya | 2010-10-29 23:18 | コーヒーブレーク | Comments(2)
ベートーベンと「音楽療法」
今日はサントリー・ホールでN響の定期演奏。
その前にゴッホ展を観ようと余裕を持って出かけたが、渋滞に巻き込まれ、果たせなかった。

N響はオール・ベートーベンのプログラム。
第八、レオノーレ序曲、そして第五。
指揮はメルロ・サンティ。N響との相性は良く、メリハリの利いたわかりやすい演奏だった。
久しぶりに安らぐことができた。癒された感じだった。
ベートーベンの「運命」を聞いて安らぎを覚えるというのも、奇妙な話だが・・・

安らぎと言えば、音楽の持つ癒しの力を活用した「音楽療法」というものが、しばらく前から代替医療の一つとして注目を浴びている。
その際すぐ名前の挙がる作曲家はモーツァルトで、これはだれも異論はないだろう。
ではベートーベンは?

「音楽療法」については僕はまだ勉強不足で、それ以上のことは知らないが、往年の名指揮者、フルトヴェングラーの言を想い起こしている。
“ベートーベンの音楽には論理性があるが、それ以降の音楽は堕落の一歩をたどった”。
それほどまでとも思わぬが、統合失調症のような今の社会を癒すには、ベートーベンのような論理的な音楽も、治療の一つとして取り入れられてもよいのでは、など訳の分らぬことを考えている。
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by n_shioya | 2010-10-28 22:53 | コーヒーブレーク | Comments(2)
『養生訓』
老年学に学ぶ」を読み続けている。
今日の収穫は『養生訓』だ。

「老年学に学ぶ」の著者山本氏も認められているように、僕も貝原益軒はひたすら節制を説くつまらぬ男として、『養生訓』も読んだことはなかったが、どうして、益軒の説くところは、今のアンチエイジングの考えを先取りしたものである。

ここからは山本氏の著書の引用である。

“現在では、「養生」が死語になり、「健康」しか使われていないが、この二つの言葉を同じものと考えるのは間違いである。
(中略)
その違いは、人間の「生命力」に対する認識の相違に基づくものと考えられる。益軒の養生法を例にとれば、人の「元気」は『もともと天地の万物を生じた気』であって、これが「人心の根本」である。人はこの気を受けて生まれるのだから、「気をめぐらし」て、元気を養えば、天寿を全うできるというのが養生の基本だ。もともと持っていたものを、いたわって長持ちさせようという考え方である。健康法はこれと違って、身体はもともと不完全で脆弱にできているものと考え、これをより強く確かなものに改良しようとする。どうやって強く鍛えて「保育発達」させるかを考えるのである。”

その通り!
更に大切なことは

“「自分のからだ」を信用するかどうかは、「自然治癒力」に対する信頼をも左右する。益軒の『養生訓』の根底を流れるのは、「体の内なる自然への信頼、自然治癒力あるいは自己回復力に対する確固たる信念」である。”
そして益軒は
“薬に対してはとりわけ慎重である。
(中略)
現代の健康法はこれとは対処的で、自分の健康や病気をすべて病院に依存し、手術や薬を用いて、病を治そうとする。それが薬漬けという病弊を生んでいることは、すでに周知の事実である。”

これ以上山本氏の引用を続けるより、どうです、皆さん僕と一緒に「老年学に学ぶ」を読んでみませんか?目から鱗ですよ。そして出来れば『養生訓』も。
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by n_shioya | 2010-10-27 23:24 | アンチエイジング | Comments(4)
老いの価値
アンチエイジングに関わるようになって、それを包括する「老年学」の存在を知り、だいぶ勉強をしてきたつもりだったが、ある本と出会い、まだとば口にすぎないことを思い知らされた。
それは、山本思外里氏の「老年学に学ぶ」である。
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氏は昭和4年生まれだから、僕の二年先輩ということになる。
序文を引用する。
“「長い余生を、健康で楽しく暮らしたい。そして、最後までボケずに、やすらかにしにたいものだ。そのためにはこれからどんな暮らし方、どんな生き方を選択すればよいのか」。―私が六十五歳の時真剣に考えたのはこのことだった。”(同感ですな)

そして模索、探求の末老年学にたどり着き、70歳から本格的に「老年学」の勉強を始める。
約五年経過して、一年がかりでその成果をまとめたのが、この本だという。
老年学についてこれほど包括的で且つ明快な著書は初めてである。
まだ、半分ほどしか読めていないし、巻末にはさらに参考図書が150冊ほど列挙されている。その一割も僕は読んでいない。
まだ、著書について云々するには早すぎるが、印象に残った箇所を一、二ひろってみたい。それは著者によるカール・ユング神谷美恵子の紹介の部分であるが。

成人期以後の人間の成長・発達を研究し、「老いの価値」を初めて認めた心理学者は、ドイツの精神分析学の先駆者ユングだそうだ。それまでのフロイド学派は、老いを悲劇的結末としてとらえる研究にしか関心がなかったという。
ユングは四十歳を「人生の正午」と呼び、四十歳以降を「人生の午後」ととらえた。
そして人生には二つの目的があり、人生の午後には、人生の午前とは全く違う目的がある、と指摘した。そして「午前中の法則を午後まで持ち込もうとする人間は、心の傷でそのつけを支払わなければならない」と喝破した。
むしろ、仕事、結婚、家庭、子供などにすべてのエネルギーを奪われる成人期には、個性化の道を歩むことは不可能であり、内面生活の充実にたっぷり時間をかけられる老年期になって、始めて個性化の権利を手にすることができると説く。

また、あの神谷美恵子も、「安らかな老年を迎えて長寿を全うする人々はこのコペルニクス的転換を知らず知らずのうちに成し遂げているように思われる」。と言っている。
だが、それは「心がけと同時に体質、健康、社会的・経済的・家庭的条件などがうまくそろって初めて可能なことでもあろう」。とも彼女は付け加えている。
うーむ、確かにそうだが、条件は厳しいですな・・・

この継ぎはぎの引用では何のことかわからないといわれそうなので、読了してから、彼らの言う「個性化」、「コペルニクス的転換」など、じっくりと検討してみたい。
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by n_shioya | 2010-10-26 22:50 | アンチエイジング | Comments(2)
吉田都
今日はゆっくりと今追いかけているテーマ、「美しく老いる」を、ブログで綴るつもりだった。
だが、テレビを見て、今日は終わってしまった。
そう、我が家にもしばらく前からテレビが入ってしまったのです。

観たのは、プロフェッショナル~仕事の流儀、「吉田都」だった。
学生時代から親しんできたバレエについては書きたいことが山ほどある。
だが、日本のバレリーナがここまで来るとは、夢にも思わなかった、熊哲をふくめ。
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ロイヤルバレエ団のプリンシパルになるまでの、そしてなってからの過酷な訓練の毎日。
だが、ここまで自分を追い詰める必要があるのだろうか。
途中、観ているのが辛い時もあった。

プロフェッショナルとは?”、の問いに彼女は答える。
誇りと情熱を持って一つ事をこつこつ続けること”。
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自分を出し切って、彼女は頂点で舞台を去った。
                     
                               (拍手)
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by n_shioya | 2010-10-25 23:09 | 美について | Comments(6)
ルールドと鎌倉
午後、教会の仲間の夫妻が御長男を連れて訪ねてきた。
この春、北里大学の医学部にめでたく入学し、夏休みに父親と息子でルールドを訪れたという。
恥ずかしながら我々はまだ行ったことがない。学生時代、アレクシス・カレルの「ルールドヘの旅」を読んで以来、是非行ってみたいところの一つではあったが。
パリには学会で何回も言っているが、ルールドまでは足を延ばす余裕がなかったのだ。
が、話をお聞きすると参拝者も大勢で、宗教的な行事も多く、とんぼ返りではとても行ったことにはならないようである。
“最低3,4日は必要ですよ”というのが父親のコメントだった。
だが、写真を拝見したり、滞在中の出来事などをお聞きして、チョッピリ行ったような気分になれた。

夜は、鎌倉の浄智寺で映画の会に参加した。
『幻風景』という題の短編で、次女の友人のアーティストが、借りていた古民家が取り壊されるのをきっかけに、当たり前の鎌倉、当たり前の風景を映像に収めた素朴な作品である。
鶴岡八幡宮の大銀杏が今年の三月に倒壊したことが、鎌倉の住人にとって如何にショックであったか、インタビューを受けた人々が異口同音に嘆いていたのも印象的であった。

移ろいゆく鎌倉。
ブログで繰り返し書いてきたように、鎌倉に住むのは我々の夢であったが・・・
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by n_shioya | 2010-10-24 22:25 | コーヒーブレーク | Comments(2)
東京スカイツリー
今、お江戸のもっぱらの話題は「東京スカイツリー」である。
その設計者は芸大の元学長で、彫刻科の教授である。
その澄川名誉教授の不肖の弟子がニュー・ヨーク在住の僕の長男となると、三越で今開催されている澄川先生の個展に敬意を表せねばと、今日は日本橋まで出向いた。
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丁度澄川氏のギャラリー・トークが始まり、30分ほどユーモアを交えながら、スカイ・ツリーの見どころと、現在進行中の建造の苦労話を伺うことができた。
そもそも澄川氏は岩国に生まれ、錦帯橋を眺めながら育ったという。
その錦帯橋の木造の匠みに魅せられ、「そりのある形」という木彫シリーズを創成された。
その優雅なそりと鋭い切っ先は日本刀の秋霜を思わせるものがある。
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その後、新しい分野を模索して、蛇のごとく“のたうちまわった”結果生まれたのが、ステンレスを素材をした「おろち」シリーズだという。(爆笑)
とはいえなかなか愛らしさがあり、家に置きたいような作品である。
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氏は当然のことながら、日本の木造建築に思い入れがおありだ。
スカイ・ツリーの構造も、法隆寺の五重塔の構造をとりいれたという。一寸素人の僕には先生の説明をうまく伝えることはできないが、要は中心の柱が剛構造で、周りの柱や構造物はある程度の遊びが許されているとでも言えるだろうか。
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又、エッフェル塔の土台は四本脚だが、ツリーは三本脚でこれが見る方向によって、ツリーに傾きを与える面白さがあるという。
また、踏ん張った足は正三角形を形作り、土台の安定性を保証しているそうだ。
“三角は正三角形でなければいけません。よく三角関係と言って男女間がごたつくのは、正三角でないからですよ。”とおっしゃって、参加者を笑わせる。
先日お会いした今の芸大の宮田学長も噺家はだしだが、さすが大には芸達者な優れた作家が揃っている。

我が家の子供たちは、彫刻、音楽、生物、美術そして建築と多方面で活躍、と言いたいが、まだ“のたうちまわっている”段階だが、こちらもそのおこぼれで様々な分野の方とお近づきになれるのは幸いである。
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by n_shioya | 2010-10-23 21:14 | コーヒーブレーク | Comments(2)
目の近況
今日は目の診察で、丸一日を相模原の北里大学病院ですごした。
横浜の自宅から車で往復3時間。
23年間、われながらよくやったものだと思う。

幸い眼の調子はだいぶ良くなってきた。自覚的には、9月の再発前の状態に戻ったが、黄斑部の水はまだ完全には抜けてないという。まだこれから徐々に減っていくでしょう、とは主治医の見立てだ。
ということは、視力はまだ、まだ回復の余地があるということになる。

40年ほど前、僕が教授として赴任した頃は、まだ周りは雑木林と養鶏場と馬小屋だけで、道路も舗装されてなく、雨の日は往生したものだった。
最近は北里の周りも、商店街になって発展してを続けている。
そして今新病棟の建設も着々と進んでいる。
一方では、かつて教授としてのさばっていた男が、病人として通っている。
年を経るとはこういうことなのか・・・
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by n_shioya | 2010-10-22 22:47 | 老年病 | Comments(4)




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