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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
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友の死
紫のはずだった布表紙はすっかり色あせて、「矢部貞美君追悼文集」と書かれていたはずの背表紙の文字も消えてしまった。
あれからもう64年。
文集にしばしば親友と名が挙げられている僕だが、其の追悼文は見当たらない。
当時、僕は何も書けなかった。いや書く気になれなかったというのが本当だろう。
是非、と懇願されても一文字もかけぬまま、文集は発行された。
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都立一中(今の日比谷高校)の4年を共にすごし、旧制一高に共に入って、これからやっと“真理の探究”に入るところだった。
だが一月もたたずに、彼は海に身を投じ、一月して二の宮の海岸に打ち上げられた。
生前彼が愛したリストのハンガリア・ラプソディーの2番を、針音のざわつくSPで流し家族と友人でお通夜をした。

藤村操に始まり、“20歳のエチュード”の原口統三と、一高には自殺の伝統があった。発見されるまでの一月間、必死で捜索する我々に、「あ、それは自殺ですよ}とこともなげに言われたのは、「ビルマの竪琴」の著者竹山道夫教授だった。
当時僕もスランプに悩んでいた。だが、自らを終わらせる発想には無縁であった。
遺書もなく、なぜ彼が・・・と僕は悩み続けた。

だがその後、自らも「死の谷」をさ迷って、人は強力な「生のベクトル」で生かされているが、ときには反対の「死のベクトル」に誘われることもあるのを知った。
だが、16歳の若者を襲う「死のベクトル」が何物か、まだ僕には理解できない。
森有三は、原口の死を「哲学的な死」と呼んではいるが・・・

姿を消す直前、矢部は玄関先に咲き乱れる赤白のつつじを目にして
“あくまで生そのものであろうとするつつじ“
に対しこう問いかけている。
“ともすれば容易く求められるがごとく我が眼前にあらはれる心理よ 汝は何故に常に余をあざむくか しからばつつじよ 汝もまた余をあざむきしか 救うが如くして余をあざむきし汝はそも何者なるや?” (「身辺雑記」より。)
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by n_shioya | 2011-12-31 22:27 | コーヒーブレーク | Comments(6)
ベンツ礼賛その4:走るオーディオルーム
今度のベンツの魅力の一つがオーディオシステムにあることは最初に触れたが、毎日その恩恵に浴し、湾岸線での東京往復が楽しく、レインボウブリッジの渋滞させ苦にならなくなった。

不思議なことだが、家で聴くよりも音もいいし、音楽もよく耳に入る。
幾ら最新のスピーカーとはいえ、カーステレオが我が家のタンノイの3LZにまさるはずはないのだが、車自体の音響効果なのだろうか。ベンツが車体の音響効果まで考えているとも思えないが。

一つ言えることは、若いころと違い、我が家が音楽を集中して聴くには不適当な環境になってしまったことだろう。
電話は鳴るし、訪問者は来るし。又、気分的にも部屋に閉じこもってCDに耳を澄ますゆとりが持てなくなった。
だが、車に入るとこれは完全な閉鎖空間である。
今まで気づかなかった微妙な音のニュアンスが聴こえてくる。
しかも「前方注意」という、安全運転の絶対条件の妨げにはならないのが不思議である。
勿論、救急車のサイレンと張り合おう様な音量にはしてない。

又ありがたいのは、カセットでなくメモリーに落としこめることである。
しかも1枚コッピーするのに数分とかからない。毎日4,5枚の家にあるCDを持ちこんで、すでに数10枚落とし込んだが、メモリーの容量は数千枚分はあると言う。

それにしても、あのダッシュボードッシュボードに設置されたプレイヤーのレーザーが、良く車の振動にもかかわらず、正確にトレースすることである。
いや、車でなくも、通常のCDプレーヤーがどのようにしてあれほどぶれることなく、ディスクの表面から音の暗号を拾うのか、不思議でならない。
というのは昔のレコード音楽は、勿論スピーカーが一番大切だが、それと同様に、再生装置すなわちアンプ、そしてプリアンプ、さらにピックアップの性能が云々されたからである。
そしてピックアップの性能の一つに、いかに溝の凹凸を正確トレースできるかがあった。これを我々はトラッカビリティと呼んでいた。
それがいまのCDでは全く問題にならないのが不思議でしょうがない。

ま、そんなことは技術屋さんに任せて、我々素人は最新のテクノロジーが与える「天上の音楽」を楽しめばよいのだが。
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by n_shioya | 2011-12-30 22:13 | コーヒーブレーク | Comments(6)
メディアの崩壊
アンチエイジングの秘訣は好奇心にある。
と言っても何も高尚な必要はない。いわゆる「ミーハー精神」である。
横浜市大の講師時代に学生達から“塩谷は究極のミーハーである“と言われ、僕は最高の賛辞と受け止めた。

其の僕の愛読書は繰り返しブログしたように、「ゴルゴ13」である。
そして今一つがニューズウィーク。
昔は1ページのゴシップ欄があったが、今でも別の形で、グローバルなゴシップが流されているので楽しい。
これは英語の勉強にも最適である。斜め読みで終わるありきたりのニュースと違って、ゴシップなら“下司の勘ぐり”が頭をもたげ、真剣になって辞書を引き引き読みあさるからである。
そしてニューズウィークの今年の最終版で、マードック帝国の崩壊がゴシップ№1として挙げられていた。
当然であろう。

マードックはメディア界のドンである。ドンというのはマフィアの首領の意味である。日本の三大新聞の一つでも、ドンがでんと構えて野球界を騒がせているが、品の無さ、えげつなさにおいては、マードックにはるかに劣る。

メディアにしてもビジネスである。利潤の追求はある程度はやむを得ない。だが、“真実の報道”というメディアの存在意義を根底から揺るがすような行為は許さるべきでない。
まして権力側と結託し、さらには自身が権力者として、政治に関与するなどは、ある意味で自殺行為と言えよう。
ジャーナリストよ、“社会の木鐸”という原点に立ち戻って欲しい。
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by n_shioya | 2011-12-29 23:27 | コーヒーブレーク | Comments(2)
お正月よ、どこへ行った?
お正月よ、何処へ行ってしまった?
昔は三が日は会社はもちろん、すべての店が閉まってしまった。勿論デパートも。その頃はスーパー、コンビニなどなかった。
大晦日までかけずり回り、大掃除をし、三が日料理をしないで済むように主婦たちはおせち料理の準備に大わらわだった。
それは三が日は、心も体も完全に日常から解放するためだった。

そして何よりも意義深かったのは、元日に皆1歳年をとることだった。
それが満年齢となり、誕生日が元日にとってかわった。
今の子供たちは、数え年という言葉すら知らない。

何も数え年に戻せと言いたいわけでない。僕は西暦派で年号など不便極まりない前世紀の遺物と思っている。
言いたいのは、正月が消えた今、1年の区切りがぼやけ、節目を亡くした我々の生活はのっぺらぼうなものになってしまったということである。
生活からリズムを奪い、大切なリセットの期間を失ってしまった。

何よりも悲しいのは、子供たちの羽根つきや凧上げが凧上げが消えたことである。
ノスタルジックに言っているのではない。そのような「遊びの場」を、子供たちから奪ったことがが恐ろしいと言いたいのだ。

50年前、留学から戻り、幼稚園の時から受験戦争に明け暮れする子供たちを観て、彼らが大人になったとき日本がどう変貌するだろうと危惧したものである。
そして今、其の彼らが霞が関や永田町に陣取って、日本を崩壊させようとしている。

僕は人間は丁度最低限の「酸素」を必要とするように、一人あたり必須の「緑の空間」という定めもあると思う。
ここでいう「緑」は広い意味に、つまり「自然」ととって結構である。

大震災からの復興と原発の見直しを機会に、いわゆる文明社会の価値観から根本的に改めるべきではなかろうか?
そしてその価値観のもと、まず学校教育から刷新すべきと思うが如何なものだろう。
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by n_shioya | 2011-12-28 21:27 | コーヒーブレーク | Comments(1)
仕事納め
今日で仕事納め。
田中室長とNPOの事務局の皆さん、ご苦労様でした。
波乱万丈とまでは行かなくても、紆余曲折の一年でしたね。でも本当によくやってくださいました。
改めて感謝の意を表します。
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来年の抱負は元旦まで待っていただいて、今年を振り返ると、

①まず80になって改めて気付いたのは、僕も年をとると言うことである。
何を今更と思われるかもしれぬが、抗加齢などぬかしていると、加齢とはあくまで他人事で、自分は何か圏外にいるような錯覚を持ってしまう。
だが、春の体調不良や、ごく最近の追突事故で、加齢に伴う現象が身近なものになってきた。
これがこれからのアンチエイジングの探求に深みと現実味を与えてくれることを願う。
②今日も横浜市大の心臓血管センターを訪れ、高血圧治療の指導を受けてきたが、改めて病院は異次元の空間と感じた。
これはかつて医者であった男の感慨と言えよう。
自分が病気になるまで、病院とは自分の仕事場であって、頭を下げて診察を請う場所ではなかった。
ま、行ってみれば検事が被告席に立たされたような、屈辱感とまでは言わぬが、割り切れない感じはぬぐえない。
③ しかも病院とは、治療する側の都合を論理で組み立てられている。だから癒しの空間というよりは、よほどの体力がない限り、さまざまな検査や治療に耐えられないとさえ感ずることがある。患者を“様“づけで呼ぶ前に、もっと患者本位の在り方があってもよいだろう。
その点、横浜市大の対応には満足している。
③これはお恥ずかしい話だが、この頃ようやくこの年まで生きてよかったと思うことが多々ある。
そのひとつは、僕はこれまでは何のかんの言ってもすべて自己中心であったと気付いたことである。
患者のためと言っても、その推進力は自分の興味と満足にあった。
又、仕事の遂行に当たっても、あくまで成果主義であり、やらされる者のお思いや立場までには、思い至らなかった。
勿論競争社会での企業の論理は厳しい。
だが、其の中でも、個人、個人の発想が尊重され、モチベーションが高まるような環境作りが可能ではないか、と改めて思う次第。
トルストイの短編に「人は何で生きるか?」というのがあるが、今改めて考え直さねばならぬのは、「人は何のために仕事をするのか?」かもしれない。
勿論、自分のこれまでの悪弊がすぐ改まるわけではないだろう。だが、そこに気付いただけでも、一歩前進したのでは自画自賛している。
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by n_shioya | 2011-12-27 21:51 | コーヒーブレーク | Comments(2)
塞ぎの虫?スランプ?鬱状態?
年末は毎日があわただしく過ぎていく。
なかなかじっくりとブログを書き込む時間がない。
又、読書も、読みかけの本が山積みとなり、一つのテーマを、そしてアイデアをねちっこく追及する暇がない。

だが、ここのところ僕は「鬱病」についてもっと知りたいと思っている。
生来能天気な僕は、自殺願望のカケラも持ったこともないし、それがかえってコンプレックスでもあったが、又自分で言うのもおかしいが、あまり気分屋でもなかったと思う。
それがこの3月、ある薬のせいで体調に異変が続き、人間をやめようかとまで思いつめた。
其の時わかったのは、身体の変調はある程度意志の力で切り抜けることができるが、其の“意思の座”の脳の働きが遅滞すると、自分の力ではなかなか抜け出せぬということである。

僕が学生の頃は鬱は、躁鬱病という病態のサイクルの一つとして教え込まれた。
つまり躁の時期と鬱の時期が交代で繰り返すということである。
それが最近では、鬱だけが続く鬱病が増加してきた。
更には、鬱病ではないが、鬱状態というものも認められるようになった。
これの軽いのが昔よく言われた、“塞ぎの虫”という奴かもしれない。
最近では鬱病に有効な薬も現れたが、鬱状態はどちらかと言うと環境因子の改善やカウンセリングの出番の様である。
又、男性更年期障害のように、ホルモンの低下が鬱状態を引き起こすことがある。

こんな御託を並べているのは、一月前降圧剤を飲み始めてから、多少血圧も下がってきたが、それ以上に気分が爽快になったからである。
血圧が鬱状態を引き起こしうるのか、降圧剤そのもに脳細胞の活性化の作用があるのか、明日循環器センターの医師の診察の際伺おうかと思っている。

若いころ、というのは旧制高校から教養学部、そして医学部と七年間の学生生活を僕は全く無気力に過ごしてしまった。
自分ではスランプ、当時学業をさぼるいいわけに流行った言葉だが、と呼んでいた。
だが今考えると、あるいは何か対処可能な体調の異常があったのか、あるいは精神分析とまで行かなくも、カウンセリングで脱却できたのではなかったろうか、と改めて“失われた七年間”を惜しく思う。

そこからどう脱出したか?
別の機会のお楽しみに・・・
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by n_shioya | 2011-12-26 22:57 | 医療全般 | Comments(5)
告別式と誕生日と
このところ急に寒さが厳しくなった。
真冬と真夏には訃報が多いが、20日にも最も親しい親族の一人が亡くなられた。
今日は其の告別式だった。
其の地方の名士だったので、この寒空に参列者は引きも切らなかった。
読経とお焼香と喪主の挨拶と。それだけの簡素な告別の式だったが、故人の遺徳を偲ばせる、しめやかな中にも心温まる葬儀だった。
享年84。

この頃は訃報に接すると、すぐ“お幾つ”と聞くようになった。
こちらももう80。日本男性の平均寿命を超えたので、もう何時お迎えが来ても不思議はない。
別に敗北主義ではない。

昔、レマルクの小説に「愛する時と死す時と」というのがあった。
確か、冬のアルプス越えをして、病気の恋人に会いに行くレーサーの話だったとおもうが、ストリーはよく覚えていない。
だから其の小説の本題からは外れたタイトルの引用かもしれないが、物事には「その時」があると言う悟りのようなものである。

アンチエイジングを唱えてながらそれは無いだろう、と言われそうだが、そもそも僕はアンチエイジングという言葉は好きでない。
老化は自然現象である。その先は死が待っている。なにもそれにあらがうことはないじゃないか。
老化と旨く折り合いをつける、それが僕のアンチエイジングの考えだ。
だが、すでにアンチエイジングという言葉は定着してしまった、10年前にはアンチエイジングっていったい何?ときかれるのが相場だったが。
そこで、今度書いた本では、スローエイジングという言葉をあえて提案したが、どこまで受け入れられるだろうか・・・

そして告別式の後はその足で、六本木のチャペルセンターの夕方のクリスマスのミサに駆けつけた。
考えるとこれはキリストの誕生日である。
同じ日に死と生の儀式にあずかるとはと、複雑な思いになった。
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by n_shioya | 2011-12-25 23:32 | アンチエイジング | Comments(1)
クリスマスイーヴの想い
今日はクリスマスイーヴ。
これまでの80年間、様々な形でイーヴを迎えてきた。
それは僕の心の中でのクリスマスの変遷でもある。
其の一つづつを思い起こしながら、一つのことに気づかされた。
それはクリスマスは宗教行事である以上に、畏まって言えば文化であり、俗な言葉で言えばイヴェントに堕してきたということである。
キリスト教本来の信仰から言えば、復活祭こそ最重要な儀式で、クリスマスはキリストの誕生日にすぎない。
今僕は複雑な気持ちで、自分の信仰を見つめ直している。
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by n_shioya | 2011-12-24 23:26 | コーヒーブレーク | Comments(2)
金銭メタボ
ここに一枚の絵がある。
風刺漫画家ドーミエの描く「銀行家」だ。
内臓脂肪か皮下脂肪かわからぬが、腹囲はメタボの極致だ。
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何故脂肪が沈着しやすいか?
かつて人類は動物の一員として、食物にありついた時は食べに食べて、インシュリンの働きで栄養分を脂肪として蓄積し、飢餓の時期に備えた。
それが飽食の時代が来ても、本来の動物性がはたらいて、肥満を惹起する。
しかも悪いことに、蓄積された脂肪は更に脂肪を呼ぶ働きを持つ。

同じように金持ちは、当初の動機が何であれ、蓄財するほどに金に飢え、幾何級数的に財産を増やそうとする。
金は生活を支え、豊かにする手段にすぎない。が、資産家にとっては金をためること自体が目的となる。そしてその金が又更なる儲けへと駆り立てる。

ドーミエのカリカチュアが、奇しくも金満メタボを体型メタボで具現させているのはさすがである。

僕がライフワークと考えている課題が「人間の愚かさの生理学的基盤」であることは以前触れたが、メタボもその一例である。
つまり、人間の生存のために必要な機能が、環境の変化に対応できず本人に不利益をもたらす例である。これが「人間の愚かさの生理学的基盤」の第一のタイプ。
第二のタイプとしては、ストレスに対応するメカニズムが、かえって病気を引き起こすこともある。これは想定以上のストレスが原因と言える。
又人間には、相容れない二つの本能が拮抗することもある。これを第三のタイプと考えよう。
例えば女性の場合。一旦妊娠すれば胎児の発育から出産、授乳に至る連鎖反応がスタートする。これを中絶することは、何らかの形で本人にキズを残す。
だが、仕事のためやむを得ず中絶する場合を考えよう。
女性でも自己実現のために仕事をしたい、というのもまた自然の要求と言える。
まだ、まだいくらでもほかのタイプや具体れがあると思われるので、おいおい彫りだしていきたいテーマである。
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by n_shioya | 2011-12-23 23:24 | アンチエイジング | Comments(2)
ベンツ礼賛その3
“先生、今度のCクラスはもう完成の域に達した名車で、絶対お薦めです”と、セールス担当の植木さんが保証した通り、これで一月になるが、こんどのCクラスのワゴンには満足している。
4輪駆動ではないが、やはりハンドリングは後輪駆動がフルタイム4駆に勝ることを知った。
7速のターボもスムースである。

それ以上にうれしいのは、オーディオシステムだ。
カセットチェンジャーでなく、メモリーなので数千枚は落としこめるという。
録音時間はわずか数分。しかも再生と同時に行える。
今片っ端から家のCDを録音しているが、メモリーの余裕はたっぷりある。
又、サウンドシステムがどこせいか知らないが、音響効果もなかなかのものだ。
名曲を聴きながらの東京往復が楽しみに思えるようになった。

音楽に気をとられて事故を起こさないで、と配偶者は心配するが、不思議とステレオを聴いている方が、視力は前方に集中し、無音状態よりも妄想で視界がブレルことがない
。このへんの機能分離は大脳生理学者に、聞いてみたいところである。

今回の事故は痛手だった。
しかも前の車はまだ二十二万キロで、三十万キロまでは乗りたかったとはすでに書いたとおり。
だが、知らぬうちにやはりガタは来ていたのが良くわかった。
新車に代わってからは、東京往復ぐらいでは全く疲れないし、じゅうたいさえなければ運転も楽くなる。
丁度、60数年前、初めて免許証を手にして、親父のルノーを乗り回した頃の高揚感すら覚える。
あの頃のルノー4CVは、今思えばハンドリングも乗り心地は最低だったのだが。
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by n_shioya | 2011-12-22 23:03 | コーヒーブレーク | Comments(7)




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