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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
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切るべきか切らざるべきか?
最近の美容外科学会での議論の一つは“若返りの為には手術と非手術のどちらを選ぶか?”である。
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要は20年前までは顔の若返りは、「しわ取り術」いわゆる「フェースリフト」に限られていたが、最近は非手術法、すなわちレーザー、ケミカルピール等のスキンリサーフィシングやボトックス注入などが出現し、それらは始めは手術で改善できない部分の補助手段だったが、次第にこれが主体となり、非手術法で解決できないたるみの部分だけに手術を行うというように、そのウエイトが逆転してきたのである。
勿論、術者によっての好みもあるが、患者の希望、皺の種類や部位によって、いろいろな選択肢が生まれ、また、その組み合わせが論じられる時代に入ったといえるであろう。

当然のことながら患者にとって手術は大事(おおごと)である。多少効果は限られていても、メスは避けたいというのは人情であり、今後非手術法にもっと、もっとシフトしていく事は間違いない。
ただ、たるみなど、手術でなければ解決できない問題も多々あり、手術法の効用と限界をぎりぎりまで追い詰めるのは、我々美容外科を名乗るものの勤めではあろう。

そのようなシンポジュームの一つで、最後に司会者が或る質問を各演者に投げかけた。
“もし、貴方のお母さんが皺伸ばしの手術を望んだら、貴方はどうします?”
意地悪い設問に各演者も虚を突かれた形で、まちまちなというか、しどろもどろ答えが興味深かった。
例えば、
“突然いわれても困りますので、、チョットパスします。”と逃げたり、
“自分の母親はどうせ俺の言うことは聞きゃしないから”、とはぐらかしたり・・・
だが、大方は自分の母親に対しても必要ならメスを入れることに積極的な姿勢だったし、もうすでにまぶたのしわ取りをしてあげた、と答えた演者もいた。
面白かったのは、
“自分はまだだらしないので、母親がいなくなると「不都合」を生ずるので、あらゆる手段を使って、抗加齢を試みています。”
と答えた演者がいたことである。
その男が「抗加齢医学」のわが国での先駆者の一人であるだけに、またその「不都合」の推測がついただけに、皆その告白を楽しんでいた。
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by n_shioya | 2013-03-31 21:02 | アンチエイジング | Comments(0)
間違い電話
大ポカをやらかしてしまった。
「間違い電話」である。
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仕事関係の打ち合わせで、N孃にケータイをしようと電話帳を開くと、同名がずっと並んでいる。だが、「N」,「Nさん」、「N携帯」、「N氏」とだけ記され、所属が無い。「N携帯」だったろうと適当に目星をつけ発信すると、
“あら、お具合は如何?”とN孃らしい声が返って来た。
“いやその節はお世話になって”と当たり障り無いやり取りをすると何となく話しも通じているようなので、来週の会談の打ち合わせをすませた。
が、話し終えた後、話し相手の何となく怪訝そうな感じが気になっているところへ、ケータイが鳴った。でると、N孃だという。
“お加減は如何ですか?来週当たりお会い出来ればと思って”
しまった、と思ったがもう遅い。真性のN孃とは改めて日取りを設定したが、先ほどの「N携帯」は誰だったのか?聞く訳にも行かない、又どう繕ったものか・・・、悶々と苦しみ始めた。
すると、
“私がお電話してみましょうか?”と秘書孃が救いの手を差し伸べてくれた。
この一月から僕の秘書になったばかりだが、実に気配りに長けた理想の秘書である。
彼女のお陰で、間違い電話の相手はN女史と分かった。さっぱりした気象のN女史は、笑ってお許しくださったという。
そして、僕の秘書孃に対する評価が又一段と高まった事はいうまでもない。

ちなみにNじょしはFB仲間である。なんとした事か・・・
此の場を借りてお詫びいたします。
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by n_shioya | 2013-03-30 21:58 | コーヒーブレーク | Comments(0)
岡田謙三画伯の想い出
アメリカ留学時代、あの高名な抽象画家,岡田謙三と僕が知り合ったのは,全くの偶然からだった.
休暇を利用してオルバニーを訪ねて呉れた弟が,勤務先のニューヨーク高島屋に戻るのを見送りにグレーハウンドのバスターミナルに行くと,異様な風体の東洋人のカップルがバスの乗り場に並んでいた.
男は髭もじゃで合羽をかぶり,女のいでたちは覚えていないが,それに相応しいといったら失礼にあたるだろうか. 日本人と目星をつけて,まだアメリカに不慣れな弟の道連れになって貰えればと,声をかけた.それが岡田謙三画伯だった.
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いかつい顔に似合わず優しい方で,奥様も気さくで,御夫婦で大変親切に弟の面倒をみて下さり,以後それが御縁で我々迄親しくさせて頂くことになる. アトリエは勿論グリニッチ・ビレッジだが,オルバニー郊外のレンスラービルに別荘をお持ちで,年に何回も気楽に行き来されていた. 郊外といってもオルバニーから車で三,四十分.緩やかな丘陵の続く先の山間の渓流を見下ろす広大な斜面に岡田ホテルは建っていた.
世話好きの夫妻は,アメリカで苦学している画学生を誰彼となく,この別荘に招いては接待をするので,こう呼ばれていた.

ある時,“岡田が一寸怪我をしたので,”という電話が夫人からかかってきた. 庭の石を動かそうとしてよろけて,立てなくなってしまったという.
こういう時芸術家という種族はまったくの駄々っ子である.いやがるのをなだめすかして整形外科の教授の診察を受けるよう手配した.
キャンベル教授といってその道の大家だが,大変親切な方でこれまで大勢の日本人留学生の面倒を見て下さった.
その洒落たオフィスで嫌がる岡田さんの膝を,曲げ伸ばししてキャンベル教授は言った. “まずアキレス腱の完全断裂に間違いないね,一応レントゲンをとっておくが.手術は早いほうがいい. 岡田さんをレントゲン室に送り,予定表をチェックしながら, 僕が自分で執刀してあげるが,手術料はとらないからね,そう伝えておいてくれたまえ.ま,画の一枚でも貰えればそれで充分.” と教授は僕にウィンクする.
どうもキャンベル先生,岡田さんを貧乏画家と思いこんでしまったらしい.

手術は無事におわり,おとなしくリハビリにもかよってくれた御陰で,膝も伸びまともに歩けるようになった.
やがてまた奥さんから電話がきた. “キャンベルがどうしても手術料を教えてくれない”という. その頃の相場で岡田さんがキャンバスに一寸サインすれば,ゼロがだぁーっと並んだ小切手にするサインよりも遙かに価値がある事は僕にはよく分かっていた.
日本人にはとりわけ親切なキャンベルの好意に満ちた笑顔を思い浮かべ,僕もほとほと弱ってしまった. 結局キャンベルはこうして岡田さんから,味のある淡彩の小品をせしめてしまう.
せしめてとあえて言うのは,今になってつらつら思うに,ある時点でキャンベルは岡田さんの絵の値打ちに気がついて,虫の良いおねだりをしていたのではないかと思える節があるからである.
キャンベル自身十分に趣味の豊かな人だったし,奥さんは絵に造詣が深く御自分で絵筆をもつという事をあとになって僕は知ったのだった.

もう50年も前のことで、キャンベル夫妻も、そして岡田謙三画伯も故人である。 
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by n_shioya | 2013-03-29 22:33 | 美について | Comments(0)
ヒースの丘のブロンテ姉妹
先日、ミロのビーナスの腕の復元を試みたドイツの学者が、どんな形を当てはめてもさまにならない。これはすでに我々の頭の中で、理想の形が作られてしまっているからに違いない、という説を唱えたことを紹介したが、同じことが映像の世界でも言えるのではないかと気づいた。
つまり、名作の映画化がしばしば期待はずれなのは、文章の力で呼び覚まされている我々の想像の世界には、現実の映像はやはりかなわないということではなかろうか。

先日、デジタル化された往年の名画、「嵐が丘」を見て、改めて学生時代始めてみたときのいささかの失望感を思い出した。
確かに若きローレンス・オリビエはヒースクリッフを演じきっていたし、リントン役のデビッド・ニブンも悪くはなかった。マール・オーベロンがいまいちという感があったが。
だが丁度その前に僕は辞書を引き引き、Wuthering Heights(嵐が丘)を原書で読了したばかりだった。其の想いからすると[嵐が丘]はこんな生温いものではなかった。
ヨークシャーの原野はもっと荒々しく、ヒースクリッフの怨念ははるかに鬼気迫るものがある筈だった。
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その後二度ほどヨークシャーを訪れる機会があり、二度ともハワースにある「ブロンテ姉妹の館」を訪れたものである。
暗いじめじめした司祭館。
その小さい窓から見えるのは、十字架の連なる墓地。
当時は衛生状態が悪く、チフスやコレラなど流行病のたびに乳児がどんどん姿を消していったという。

この陰湿な空間に閉じ込められて、姉妹は空想の世界に浸り続け、名作、「ジェーン・エア」そして「嵐が丘」は生まれた。
そう、ここでも最大の武器は逆境に励まされた「想像力」がものをいったのである。
弟のブランウェルは憧れのパリに飛び出し、結局は成功を手にせず、ハワースに戻り、酒びたりの日々を送ったという。
名前は忘れたがそのパブで、配偶者たちがみやげ物をあさっている間に金沢医大の塚田名誉教授と二人で、ブランウェルを偲び黒ビール漬けになっていたのも懐かしい思い出である。
丁度その二度目の時はヒースの花盛りで、赤紫の絨毯がヨークシャーの荒野を覆い尽くしていた。
買い物をおえた配偶者たちと一緒に、我々は夕闇が迫るハワースの高台から、ヒースの丘を眺め続けていた。

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by n_shioya | 2013-03-28 21:00 | コーヒーブレーク | Comments(0)
形より心??
それにしても、人は何故、メスに頼ってまで、痛みをこらえ、若さを求めるのだろうか?
そのままで十分魅力的な女性の顔に、若返りを目的にメスを入れ、顔の皮を剥がし、顔面神経に気を遣い、術後の出血が気になって気になって、退院までにはこちらの神経も使い果たした時、僕はしばしば自問したものである。

すると、ある女性患者が答えてくれた。
“女がね、先生。こんな決意をするのは、男を引き留めようとしているときか、必死に追いかけているときなのよ。”とさらりといわれ、ずしりときたことがある。

そんな思い詰めた様子とも思えない、あっけらかんとした患者も増えてきた。一部の心無い医師の宣伝に惑わされてか、化粧感覚で手術を受けに来る患者には、こちらが戸惑ってしまう。
最近では男の皺伸ばしも珍しくなくなってきた。ことにアメリカでは、転職に有利というのが錦の御旗の様である。日本では、小泉再選までは爺むさいほうが政界でも、実業界でも幅を利かしてきたようだが。
それでもわが国ではまだまだ美容外科に対する風当たりは強い。

しかし、「形の美」にこだわるのはいけないことだろうか、そして「若さ」に美を感じることは。
ここで一つ開き直って、「形より心」という道学者への反論を試みたい
ここに誰でもが慣れ親しんできた彫刻がある。
ミケランジェロのピエタだ。
よく見るとおかしなこと気づかないだろうか。
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これほど写実的なのに、キリストは30才で布教を始め、三年後に磔にあったとされている。すると33才だ。マリアはその母なら、当然50才は過ぎているはずだ。しかし、このマリアは、キリストより遥かに若い、20才の乙女である。

何を無粋な、これは造形の要請じゃ。と言われるかも知れない。そこが問題なのです。ここバチカンはカトリックの本山、心の世界の指導者である。そこでも、女性の美を表すのに、若さに頼らざるを得なかったという事実を、どう受け止めるのか。
この辺で我々は、若さに美を感じる気持ちを素直に認め、「形より心」という建前のくびきからも解き放たれてもよいのではないだろうか。
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by n_shioya | 2013-03-27 21:07 | 美について | Comments(0)
「寮雨」と言う美風
何か聞くところによると、最近は男の子でも、小便をするときに座ってするのが作法だという。
つまり、周りに飛び散らして汚さないように。
“冗談じゃない、床が汚れたら拭きゃーいいじゃないか、”というと
“では、あなた、そのたびにお拭きになります?”
と今度は配偶者にやり込められた。
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ま、清潔はいいとしても、小用まで女子の真似をするなんて、かつての日本男児の「質実剛健」の気風はどこへ行ったのだ。実に嘆かわしい。
昔の旧制高校は全寮制で、まずそこで先輩からみっちりと「質実剛健」を叩き込まれた。
そして“ああ玉杯に花うけて・・・”と「自治の精神」を謳歌したものである。

自治ということは、己たちで律するということで、外部の者は一切中に入れないことになる、ということは掃除のオバさんも中には入れない。
もちろん自分たちで掃除するわけは無いので、大正に立てられた一高の駒場の寮は、半世紀にわたって一度も掃除がされることは無かったのである。
むさいとかバッチイとかの次元をはるかに超えていた汚さだったことは言うまでも無い。

それだけではない。「寮雨」という美風があった。
寮は三階建てで、10名ほどの大部屋が続いていた。僕は一階の部屋をあてがわれた。
入寮して最初の日、外は晴れているのに上から水がシャーシャーと窓辺に降り注ぐ。やがて同室の先輩が、窓辺に立ってズボンのチャックをはずし始めて、上からの水の正体がわかった。
なるほど、窓の桟が緑のコケで覆われているはずだ。
僕自身、この美風を身に着けるのに数日とかからなかった。
一旦この大自然の中での開放感を味わうと、暗い閉鎖された空間の中での営みはアホらしくなってくるものである。

あるとき占領軍の視察があった。皆三階に駆け上がり,いっせいにジープの幌をめがけて寮雨の洗礼を施してやった。
旧制高校こそ、帝国日本の悪の温床であるとして、戦後の学制改革で占領軍によって廃止されたのは、この事件も大きな要因だとする説もある。

このように「質実剛健」の行き過ぎも困るが、僕は小さな用を足すのに婦女子の真似をすることだけは、断固お断りしたい。そして婦女子に命じられて、便所の床を拭く気もさらさらないと申し上げる。
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by n_shioya | 2013-03-26 20:59 | コーヒーブレーク | Comments(0)
短し、されど太し
パリもオペラ座のあたりは、銀座通りとあまり変わらない。
オスマン通りをオペラ座へむかって歩いて行くと、左にプランタン、ギャラリー・ラファイエットとデパートが並び、まるで銀座のど真ん中にいる様な錯覚におそわれる。事実、歩いてる人の大半といったら大袈裟かもしれぬが、まあ日本人の観光客の多いのにはがっくりきてしまう.
私もそのパリーの美観を損ねる一員として、学会でパリ滞在中の或る秋の午後、プランタンのメンズ館、「ブルンメル」を覗く事にした。
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“これからスイスですって、寒いわよ。そう、「ブルンメル」で冬物を買ってらっしゃい、私がお供するわ。”
と、パリに住み着いているB夫人の通訳で買い物にでかけてきたのである。
先ず,長袖のシャツとセーターを買った.
次はジャケットである.
アメリカやヨーロッパで服を買われた方はお分かりだろうが,日本人の体形にあった上着を探すのは容易でない.胴体に対してむこうの服は腕が長すぎるのだ.腕に合わせると当然ながら裾が短くなる.
これは我々が胴長の為ではない,連中の腕が長すぎるのだと私はB夫人にぼやいた.
ともかく腕捲くりすることにして,茶のスエードのジャケットを一つ買った.
最後はズボン下である.そのものずばりはないので,タイツで我慢する事にした.売り子の出して来たのはえらく長い奴で,これじゃ足の長さが倍もある.とB夫人に言ってもらうと,売り子はなにやらペラペラと巻くしたてる.
“足が太いから,穿けばその分短くなるんですって,”とB夫人は面白がっている.

買い物は終わりにして,外へ出てカフェに入った.日差しは強いが,空気はサラッとしている.レモネードを飲みながら手足の長いのや短いのが行き交う様を私は暫く眺めていた.

幸いスイスは思ったほど寒くはなく、厚着の必要はなかった.
が,折角なのでホテルの自室でタイツを試してみる.太い毛すねをむりむり新品のタイツに押し込むと,癪だが足の先まで丁度ピッタシ入ってくれた,ああ!

そして日本に戻った.
お土産と一緒に,ジャケット,セーター,シャツ総て子供たちにとられてしまった.が,タイツだけは希望者もないまま,長い事納戸の洗濯紐にスルメの様に吊る下がっていたが,やがて何処かにしまいこまれて,今日迄ずっと日の目をみていない. 
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by n_shioya | 2013-03-25 21:26 | コーヒーブレーク | Comments(0)
神様は今何処に?
「死後の世界」はあるだろうか、そして「神は存在するのか?」
僕自身は子供の頃経験した異次元の体験もあり、「物理法則」にとらわれない世界がある事は信じている。
ただ注意すべきは、それがそのまま「死後の世界」の存在の直接の証明にはならない。
また、現世に生きている限りは、物質界のルールにしたがって生きていかないと、狂いを生ずる危険がある。
反面、五感で感じられぬもの全てを否定する「唯物論」は一種の迷信であり、現代人はこのくびきから解放されなければならないとも思う。
事実、真摯な科学者ほど、超越的な存在を実感し、例えば村上和夫氏のように、「サムシング・グレート」とわざわざ呼び変えている方もおいでだ、何で「神」と呼んではまずいのだろうかと僕などは思うが。
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こう考えてくると「信仰」とは、たとえてみれば富士登山のようなものではなかろうか。
丁度五合目あたりに雲がかかっていて、現世である麓からは神である頂上は見えない。
ただ、裾野から上を仰ぎ見れば、頂上は予感される。
そして又、登山道は一つに限らない、キリスト教もあれば、仏教もあれば、また既成の宗教に頼らない「茨の道」もある。
ひたすら雲の上の世界を信じて、上へ上へと登山を続ければ、いずれは雲海を突き抜けて、霊の世界が現れ、「神」の存在する頂上に到達するのではなかろうか。

賢人たちが2000年かけても解決しなかったこの難問に、凡人が一日、二日で答えを出そうというのは所詮無理な話ではあるが、皆さんどう思われますか?。
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by n_shioya | 2013-03-24 22:20 | コーヒーブレーク | Comments(4)
西安の想い出
西安がかっての長安と知らずに乗り込んでいったのは,迂闊とはいえ幸いであった.

「日中形成外科学会」で西安を訪れた僕は、第四軍病院の若い軍医、丁君の案内で,格別の期待もせずに小雨降る市内の観光に出掛けた.北京に較べ気温はぐっと低い.
柳の並木が続く幅広い道路は,東西南北に碁盤目の様に整然と並んでいる.
だが建ち並ぶ家並は屋根はかしぎ,塀は半ば朽ち,行きかう人々の服装も埃にまみれ灰色にくすんでいた.
そして香料と油.又排泄物が渾然一体となってかもしだす異臭.僕はそっと溜め息をついた.

だが街中に溢れる遺跡を巡る中に僕のショックは驚嘆に変わり,やがては中心部に立ちはだかる見事な城壁に感嘆し,中に入っては何百という石碑の立ち並ぶ碑林に圧倒され, “西安でもこんななら,長安はどんなに凄いでしょうね.”と思わずもらすと, “その長安なんですよ,この西安は.”と丁君は憮然とした面持ちである.
“すると今いる此処が唐詩選でお馴染みの「渭城」と言う訳で”と,こちらはしどろもどろになる.
そう思えば街は小雨でしっとり潤い,宿の前の柳は青々として,まさに千数百年の昔,王維が友を送った時の光景その儘ではないか.

“街の全体像を把握するには塔に登るのが一番です.”と丁君に言われ,次は「大鵞塔」に挑戦する.
「玄弉法師」の進言で建立されたという木造の七重の塔で,なかに急峻な螺旋階段が付いている.
各階の四方に窓があり,最上階からは西安の都が一望のもとにみわたせた.

何時の間にか雨はあがり,日が射して来た.
我々は郊外に足をのばす事にする.
先ずは「秦の始皇帝の墳墓」.
その先には20世紀最大の発見と言われる「兵馬裲」.
後楽園程の発掘現場が雨天体操場の様にドームで覆われ,その中に現寸大の兵士と馬達が6列の縦隊で何百と続く様はまさに壮観である.
発掘は今も続き完了予定は21世紀中という.
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その夜,我々日本からの学会参加者に充てがわれた軍病院宿舎は暖房が無く,冷えきっていた.
寒さに震えながら,でも何故か戦後の耐乏生活を懐かしみながら僕は一夜をあかした.
だが『今時の若い者』はひ弱であった。
朝,シャワーがでない,髪が洗えないといってベソをかいている.
我々はお湯がでなくても,飯がボロボロでも,一寸昔へ戻ればそれで済むのだ. といっても私も便所の間じきりがお粗末なのには閉口したし,それなりの苦労はあった.

実ははこの旅は天安門事件の直前だから、もう四半世紀前の話である。
その後中国は政経分離で大飛躍を遂げ、公害をまき散らし、今や「東洋平和」を脅かす存在に変わりつつある。
丁君は今どうしているだろうか?
もう軍医少将にでもなっているだろうか。
そして西安は?

  “渭城の朝雨は軽塵を潤し   
  客舎青青,柳色新たなり.“

と歌はれた,緑滴る雅びやかな都、長安の面影をいまだに残しているだろうか。
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by n_shioya | 2013-03-23 22:17 | コーヒーブレーク | Comments(0)
[エステの効用]医師の立場から
北里大学で「形成外科」を開設したのは40年ほど前だが、まず手がけたことの一つが、「美容外科」の併設である。
「形成外科」は火傷や傷跡など、いわゆる「再建外科」が中心だが、「美容外科」も大切で、再建と美容は車の両輪のようなものと主張し続けた。
だが「美容外科」に手を染めるようになって、ある時僕はふと気がついた。

“我々は手術がすべてだが、患者はそうじゃないんじゃないだろうか。誰にしても決して手術はありがたくはない。しかし患者さんが我々のところに来るときは、考え抜いたあげく、自分をきれいにするにはこれしかないと、思いこんでくるわけだ”。
“しかし”、と僕は思った。
“その前にまだまだやれることがあるのではないか。たとえばお化粧。
もし、メークでカバー出来るものなら、それに越したことはない。
手術は危険を伴うし、元には戻せない。又、女性なら必ずお化粧はする。手術の切開線一つとっても、メークを前提としてデザインした方が、遙かに隠しやすいのではないだろうか。”
こうして「リハビリメーク」という、新しい試みが始まった。
40年も前の話しである。
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このエステとの共同作業は二つの副産物をもたらした。
まず、術後のスキンケア特にマッサージは、傷跡の治りによいことがわかった。傷跡はしばしば赤く盛り上がるものだが、これがマッサージで早く平らに柔らかになる。又、皮膚移植の跡も早くなじんでくれる。
又フェーシャルを受けることが、「カウンセリング」の効果があることもわかった。我々は手術が中心で、どうしても十分に患者との話に時間が割けない。診察室では緊張して、患者も聞きたいことが聞けない。
それが、エステの施術室でエステティッシャンに三十分ほど、ゆっくり顔などマッサージしてもらっているうちに、身も心もリラックスして、気楽に悩みをうち明け、施術者の優しい対応で、心が満たされていく場合がしばしばあった。
こう考えると医師とエステの接点は、広がる一方であり、両者の協力体制がもっともっと推進されれば、患者さんやエステの顧客に対して、よりクオリティの高いサービスが提供できると今でも信じている。
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by n_shioya | 2013-03-22 22:07 | エステティック | Comments(0)




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