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ガルボウーマンエキサイト
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
夢を語る会
昨夜は「夢を語る会」の井上会長に夕食会のお誘いを受けた。
メンバーは東大老年看護学の真田教授と、ダイヤルサービス株式会社の今野社長に井上さんと僕の4人である。

真田先生は何度もこのブログにご登場いただいたが、今野社長は初対面であった。
財団法人2001年日本委員会の理事長もされている。女性ベンチャーの草分けのような方で、今後皆で新しい、サクセルフルエイジングの事業を展開しようということで、一晩中盛り上がった。
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# by n_shioya | 2007-03-08 10:23 | QOL | Comments(0)
無罪放免!
万歳!これで無罪放免
ヘルニアの手術は一応これで成功である。
昨日の外来で、もうこれで何もなければ来る必要はありませんとの主治医のお達しだった。
これから又、痙攣性便秘とのお付き合いは始まるが、もう危機的な時期は過ぎたといえる。

今だから言うが、手術前は術後の便通のことで頭が一杯だった。
術前は浣腸をする。当然数日は便が止まる。
その後は便が硬くなるので排便で又力まねばならぬ。
手術前は毎日、腹圧が患部にかかり、ヘルニアをカバーするメッシュの縫合部がメリメリッと裂け大出血を伴って、又大きな穴が腹壁に開いてしまう、という悪夢に悩まされ続けていた。

やはり最初の排便は苦しかった。最初は腹圧がかからぬようそっと試みたが駄目である。そのうち苦しくなり、文字通り破れかぶれで裂けるなら裂けよと力んでやっと出てくれた。
幸い何事もなかった。
さすが宇田川部長の縫合部は鉄壁の支えである。

だがそれに懲りて緩下剤カマを飲み続け、今度は下痢に近い軟便に悩まされる。
そのせいか昨日の朝あたりから患部が又腫れてきたような気がした。
だが昨日の診察で我が宇田川部長は、ああ、これは術後の腫れで再発ではありませんよ、とこともなげに保障してくださった。とたんに彼の頭の後ろから後光が射すのを見たのは目の迷いであったろうか。
これからは患部では繊維芽細胞が活躍して、メッシュの周りをコラーゲンの繊維で強固に固めてくれるだろう。
便秘との戦いは続くにしても。

ところで美女軍団の皆さん、バッチイ話にお付き合いくださり有難うございました。
このあたりで盛大に快気祝いといきましょう、くさい話を吹き飛ばして。
あまり先延ばしするといずれ反対側にもヘルニアが出る恐れもあるそうですから。
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# by n_shioya | 2007-03-06 23:07 | 手術 | Comments(3)
真田先生有難う
真田先生どうもありがとうございました。

今日のロータリーでの先生の卓話は素晴らしかった。
褥創についての専門的なご研究が卓越していることは充分に承知していましたが、先生の看護に関する深い洞察をお伺いするのは初めてでした。
やはり日野原先生の愛弟子ですね。
すでに高齢である会員、これから高齢化に突入する会員、皆一様に感銘を受けたことと思います。

体力は衰えても、精神はより高みを目指していく。これが先生の言われるサクセルフルエイジングで、老年看護学はそれを支えるものであることがよく分かり、未来に希望が生まれました。

一度又、30分といわず一時間でも二時間でもゆっくりお話を伺う機会を作りたいと思います。
先生のお話に魅了されてフォトをとり忘れたのは、ブログの鬼としては大失態でしたが、それだけ先生のお話にひきつけられたという事で言い訳に変えさせていただきます。
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# by n_shioya | 2007-03-05 23:00 | 老年病 | Comments(0)
国際形成外科学会
まだ多少傷口の痛みはあるが、術後は順調である。
明日診察を受け問題がなければ、仕事に完全復帰。
だがゴルフ練習再開はまだ先になるだろう。
血圧も130台で落ち着いている。

6月にベルリンで開催される国際形成外科学会、自分の体調や父親のこともあり迷っていたが、数日前、座長の依頼が舞い込んできたので思い切って行くこととした。
4年に一回の形成外科のお祭りである。前回のオーストラリアにいけなかったので、8年振りである。
創傷治癒アンチエイジングすべての最新情報が得られることを期待する。

前回に比べどれだけ東独が復興したか楽しみである。少なくも東ベルリンは見違えるようになったそうだ。
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# by n_shioya | 2007-03-04 23:45 | コーヒーブレーク | Comments(0)
危機に瀕した日本の医療
久しぶりに“医療を考える医学者会議”に出席した。
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これは神奈川県在住の医育機関の長の有志の集まりである。
今の日本の医療の崩壊を憂うる者達の集まりである。
一見華やかな医学の進歩の影で、現場の医療は壊滅の危機に瀕しているというのが参加者全員の共通の認識である。

夜の6時から9時過ぎまで、延々と議論は続き、なるべく早い時期に我々なりの提言を纏めることとなった。
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# by n_shioya | 2007-03-03 23:59 | 全身療法 | Comments(0)
迷路
九日ぶりに銀座クリニックに出勤。
決してワークホリックとは思わないが、やはり仕事を始めると気分がよいのはどういうことだろう。
僕が入院中もクリニックで困ることはなかったのは喜ぶべきことだが、反面僕がいなくてもクリニックはやっていけるということでもあり、いささか複雑な気分である。

療養中に例のアンチエイジングの啓蒙書、「Younger You」を読了し、今後のアンチエイジングのあり方についていろいろ考えさせられた。
今これから僕が試みようとしているのは、西洋医学と代替医療の統合であり、袋小路にはまり込んだ近代医学の再編成である。ま、言ってみればカスパか香港の魔窟に迷い込んだようなもので、一日二日で燭光が見えるはずもないので、あまりあせってもしょうがないが、人体について、特に健康について、必ずやもっと広い視野が開けるはずである。

人間この未知なるもの”100年前にアレキシス・カレルが言った言葉は今も生きている
ああ、もっと、もっと時間が欲しい!
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# by n_shioya | 2007-03-02 22:49 | アンチエイジング | Comments(0)
無事退院
b0084241_19444649.gifようやく手錠ではないリストバンドから解放されて、一昨日虎ノ門病院から無事帰宅した。
先週の水曜日に入院し、木曜日の午後宇田川部長の執刀で鼠径ヘルニアの手術を受け、術後経過も順調でめでたく退院となったのである。

入院前、ヘルニア、ヘルニアと騒いでわかったたのだが、最近はただヘルニアというと腰痛の原因の椎間板ヘルニアを指すようである。
どこを切るので?
そりゃお腹ですよ。というと相手は怪訝な顔をするので、ははあ、と気がついた。
素人はともかく医師の場合は、お腹を開けて腸を掻き分け背骨に到達する椎間板ヘルニアの新しいルートかと驚くようである。

僕のは鼠径部、又の付け根のあたりの腹筋が弱まり、腸が外に脱出する昔の脱腸である。まだ外科医の間ではただヘルニアと言えばこれをさすことが多い。脱腸というとあまり色気がないので、美女軍団の目に触れるこのブログでは使用を遠慮してきた。

虎ノ門病院で入院どころか治療を受けるのは初めてだが、評判どおりなかなかいい病院だ。
最近の私立のデラックスな病院のように、アメニティが完備しているわけでないが、必要なことが効率よく運ばれ、スタッフの動きも温かみはあるが無駄はなく、安心して身を任せることが出来た。

ヘルニアの手術は腰椎麻酔で行われる。
要は緩んだ筋肉に穴が開いて腹膜の袋が腸を包んで飛び出すわけだが、昔は無理して筋肉を寄せたので再発が多かったが、最近は人工のメッシュで閉じるので治りも早いし再発も少ないという。
手術時間は30分ほどだったろうか、薬でうつらうつらしている内に終わってしまい、痛みも何も感じなかった。
僕のは左側だったが、勿論左右どちらにも起こりうる。

つらかったのは手術当日は絶食だったのと、腰椎麻酔が切れてから膀胱の留置カテーテルを除去する時の痛みと、その後しばらく続いた排尿通である。
自慢ではないが僕は生まれてから食欲がなくなったことは、覚えている限り2回しかない。
一度は子供の時の両側性肺炎で、二度目はアメリカでインターの時、破傷風のワクチンでショックを起こしかけたときである。

無事退院という時、クラスメートの秋山元名誉院長が立ち寄って励ましてくれた。
“おめでとう。気に入ってくれてよかった。でも塩谷君さあ、どうせ又右もそのうち出るから又いつでもおいでよ。”
持つべき者は良き友である。
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# by n_shioya | 2007-03-01 11:56 | 手術 | Comments(4)
エステティックと美容医療の連携(5)
結び

今、僕はアンチエイジングメディシンに忙殺され、エステティックの公的な役職からは身を引いているが、あるエステティック学院の顧問だけは努めさせていただいている。おそらく日本で一番伝統のあるエステティックスクールで、そこの卒業生は業界の主要なポジションで活躍をされている。
顧問として入学式、卒業式には出席し、カリキュラム等のお手伝いもさせていただいているが、いつも感心させられるのは生徒さん達しっかりした目的意識熱心な勉学態度である。医学部の学生もあのくらい高いレベルだといいのだが、といつも羨ましくなるほどだ。
問題は彼女等が卒業しても、その努力が報われるような環境がまだわが国では整っておらず、やりがいのある職場があまりにも少ないことだ。
その意味でも、早く世間に認められるようなエステティッシャンの統一資格が誕生し、サロンも法律を遵守し、医療との協調体制が生まれることを切に望む次第である。

(終わり)
掲載:フレグランスジャーナル社発行の美容専門誌「クレアボー」 
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# by n_shioya | 2007-02-27 10:12 | Comments(0)
エステティックと美容医療の連携(4)
リラクゼーションの効果

今後のエステティックが積極的に取り組み、強調すべきは、リラクゼーションの効果であろう。
今までどちらかというとエステティックは、効果は一時的なものでリラクゼーションに過ぎないという言い方をされることが多かった。僕個人の考えではこれは間違いで、リラクゼーションこそこれからエステティックが医療を補完していくべき分野だと思う。
臓器別の分析的な西洋医学が限界に達し、最近では東洋医学アーユルヴェーダ等かつての民間療法的なものが見直されてきている。それは結果的にみな、リラクゼーションの効果を目的にしているといえよう。
その意味でこれからはエステティックこそがアンチエイジング代替医療の中心となって欲しい。

今ひとつ言いたいことは、エステティックを学問として捉えた場合、まやかしは困るが今流行のエビデンスに余りとらわれないことである。
人間の体は不思議なものである。今の医学で説明のつかないことはいくらもある。何がその人にとって効き目があったかは、本人にしか分からないことも多い。それを西洋的な分析的な手法で分解すると、せっかくのエステティックの本質が壊されてしまう恐れがある。
その反面、医学的評価法でエステティックに取り入れられるものもたくさんある。例えば脳の活動や変化など、今リアルタイムでカラー画像を追っかけることも可能だ。この分野こそ、医師とエステティックが協力し、例えばボディトリートメントの最中の脳の変化を追っかけ、ハンドテクニックのリラクゼーション効果が実証できればこれに越したことはない。

(続く…)
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# by n_shioya | 2007-02-26 10:04 | Comments(0)
エステティックと美容医療の連携(3)
メディカルエステ

医療とエステティックの具体的な協力体制の一つがメディカルエステであろう。
ただこれははっきり定義されたものでなく、いろいろな形態が可能だし存在する。
大別すると次の三つになるだろうか。

(1)サロンが顧問医師をおき、指導を受ける。
この場合は、医師の指導の内容や方法にばらつきが多いのが問題である。
しかもこれはあくまで医師が医療に関する相談に応ずるということで、サロンで医師の指導のもとにエステティッシャンが医療行為を行なえるということではない。
また、医師としてもクリニックでないサロンで、医療行為を行うことは出来ない。

(2)サロンとクリニックが連携して、施術と診察に当たる。
具体的には医療的な施術が必要な時はサロンからクリニックに紹介し、クリニックからはエステティックだけで充分な患者、また医療の補助手段としてエステティックが望ましい場合にサロンに紹介する。
この場合はしばしば二つの施設が同一ビルの同一フロアか、上下のフロアの場合が多い。例え経営母体が同一であっても、入り口を含め両者は完全に分離されていなければならない。
この場合でも、サロンのクライエントがクリニックに移って医療を受けることは出来るが、医師がサロンに出向いて医療行為を行うことはできない。エステティッシャンがクリニックに出向いてエステティック施術をするのは可能である。

(3)クリニックでエステティッシャンを採用し、クリニックの中で医療と一緒に施術を行う。
この場合も、いくら医師の指導下でもエステティッシャンはエステティックのみで医療行為は行えない。

これらの形態にはそれぞれのメリットデメリットがあるが、問題点を浮き彫りにするため
それぞれのデメリットを列挙すると(1)の場合、医師の関与が形式的だけになり、メディカルと
言ってもイメージだけのものになりがちである。
(2)の場合は経営母体が違うと、両者の責任者の間で患者やクライエントの取り合いになり、
連携がスムーズにいかなくなることがある。
また、経営上の相乗効果を期待すべきでなく、それぞれが自前で成立を考えるべきで、相手方に頼ると両者ともが立ち行かなくなってしまうことが多い。
(3)の場合は施設全体がクリニックとして設備上も保健所の規制を受け、また、サロンとして広告が認められなくなる。

メディカルエステがどのように発展すべきか、まだ試行錯誤の段階だと思うが、クライアント側には二つの正反対の受けとめかたがあるようだ。
まず、メディカルがあることで安心感を持つタイプ。それゆえにメディカルエステという形態が生まれたわけである。
反対に、自分はエステティックだけ受けたいので、医師の関与は望まないし、クリニック的なイメージは御免だというタイプもある。
どちらを重視するかは、オーナーがサロンの顧客や内容をどのようなものにしたいかで決まる問題であろう。

(続く…)
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# by n_shioya | 2007-02-25 07:08 | Comments(0)
エステティックと美容医療の連携(2)
エステティックの抱える問題

こうして僕は十数年エステティックと関わるようになり、最近までは日本エステティック研究財団や日本エステティック機構の理事長までおおせつかり、僕なりにエステティック業界の発展のお手伝いをさせていただき、医療との良好な連携を築くべく努めてきたつもりである。

だがエステティック業界の抱える問題は、門外漢には想像もつかぬくらいややこしい。
いくつもの関連団体が乱立し、その勢力争いや足の引っ張り合いはどこの世界にもありがちなのであえて触れないが、まず、国家資格はおろか業界の統一資格さえ存在しない。
また、料金制度も不透明で一番のトラブルの原因となっている。

これはいわゆる前受け金の問題で、財団の登録店制度である程度対処できるようになった。
今ひとつの問題は医療エステティックの境界領域の線引きである。

エステティックの目的をあえて二つに分けると、フェーシャルやボディのようにリラクゼーションが主たるものと、電気脱毛のように効果を求めるものがある。
先ほど述べたように医療の側ではメス離れがすすみ、より侵襲の少ない美容皮膚科的なものへとすすみ、さらにはエステティックに近づいている。反対にエステティックはより効果を挙げようと限りなく医療に近づく。
このため永久脱毛の分野で、医師とエステティックサロンの間で法律を楯にとった勢力争いが続き、両者の溝が深まってしまったのはお互いにとって不幸なことであった。

(続く…)
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# by n_shioya | 2007-02-24 21:32 | Comments(0)
エステティックと美容医療の連携(1)
ブログの種切れというわけではないが、クレアボーに依頼された原稿が記事になったので、数回に分けて掲載する。
テーマは「エステと医療の連携」である。


大学病院でのエステティックの導入

医療エステティックのかかわりを論ずるにあたり、まず僕の北里大学での経験をお話したい。

北里大学で形成外科を開設してまもなく僕は美容外科も併設し、二重まぶた、隆鼻術そして皺伸ばしの手術を大学病院で積極的に取り組むことにした。
そしてある時、僕はふと気がついた。
我々は手術がすべてだが、患者はそうじゃないんじゃないだろうか。誰にしても決して手術はありがたくはない。しかし患者さんが我々のところに来るときは、考え抜いたあげく、自分をきれいにするにはこれしかないと、思いこんでくるわけだ。
しかし、と僕は思った。

その前にまだまだやれることがあるのではないか。たとえばお化粧。もし、メークでごまかせるものなら、それに越したことはない。手術は危険を伴うし、元には戻せない。また、女性なら必ずお化粧はする。手術の切開線一つとっても、メークを前提としてデザインした方がはるかに隠しやすいのではないだろうか。
また、お化粧以外にも、服飾、髪型等手術前に総動員して、検討できることはいくらもあるのではなかろうか。その上で、ここだけはどうしても手術でしか解決できません、と煮詰まったところで我々の出番になれば、どんなに無駄な危険を冒さずに、またこちらも安心して手術に踏み切れるのではないだろうか。その中には当然、心理カウンセラーも含まれる。

こうして、カネボウの協力で、エステティッシャンを派遣していただくこととなった。そのころカネボウの研究所には、吉田さんという研究熱心な所長さんがおられた。面白いですね、ということでリハビリメークという、新しい試みが始まった。
まず、美容外科希望の方に、どこまでエステティックやメークで改善出来るか、専門のエステティッシャンが、丁寧に指導する。その上で、やはり手術が必要となれば、今度は医師と共同で、コンピューターで、シミュレーションを行う。そして、ゴールに関して患者との間で納得がいったところで、手術に踏み切る。
手術後も、エステティッシャンがスキンケアをかねたメークの指導を行う。

 エステティックとの共同作業は二つの副産物をもたらした。
 まず、術後のスキンケア、特にマッサージは、傷跡の治りによいことがわかった。傷跡はしばしば赤く盛り上がるものだが、これがマッサージで早く平らに柔らかになる。皮膚移植の跡も早くなじんでくれる。
 またフェーシャルを受けることが、カウンセリングという効果をもたらすこともわかった。我々は手術が中心で、どうしても十分に患者との話しに時間が割けない。診察室では緊張して、患者も聞きたいことが聞けない。
 それが、エステティックの施術室でエステティッシャンに三十分ほど、ゆっくり顔などマッサージしてもらっているうちに、身も心もリラックスして、気楽に悩みをうち明け、施術者の優しい対応で、心が満たされていく場合がしばしばあった。
 それだけでなく、痩身、脱毛など、これから医師とエステティックの接点は、広がる一方であり、両者の協力体制がもっともっと、推進されてよいと思うようになった。

(続く…)
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# by n_shioya | 2007-02-23 11:09 | エステティック | Comments(2)
チーズバーガーの味(2)
米軍病院では、すべてが驚きであった。
 まず、聴診器が違う顔をしている。学生時代のは、耳に当てる部分が、耳の穴に唯つっこむようになっているだけの、明治の頃から変わらぬスタイルで、今のイヤフォーンの様にバネの支えを持たず、僕の様に耳の穴が小さいとすぐ外れてしまう。その為実習で聴診に難航して指導教官に訴えると、テメー、誠意がないからだ、と必勝の信念で自滅していった、旧日本軍のメンタリティでどやされる。おかげで僕は心音もろくに聞けないまま、医学部を出されてしまった。
 もっと本質的な違いは、ディスカッションである。日本の医学部では、教授がオールマイティで、批評は許されない。まして他科の教授が口を挟むことはあり得ない。すべてのカンファレンスは国会の審議と同じで、時間潰しの茶番である。
 それが、アメリカ式のCPC(臨床医と病理学者の合同会議)では、ふだんは縁の下の力持ちの病理の教授が主役である。肝心の病理の確定診断を伏せ、途中経過だけを明かして、当該科以外の教授に診断を試みさせる意地の悪い試みである。結構有名な教授でも間違った診断をくだし、学生も居並ぶ満座の中で、恥をかかされる。なかなかに楽しめる知的ショウである。このような面子を抜きにしたディスカッションは、日本の医学部では不可能であったし、今も成功しない。官僚と同じく日本の教授連は、自分の恥部に関しては、なりふりかまわず守秘義務主張する種族であるから。
 だが最大のカルチャーショックは、コーヒーショップにあった。前途の理由で我々は将校に誘われないと入れなかったが、そこで始めてチーズバーガーなるものに遭遇した。その美味なこと。しかも一緒の飲み物が、チョコレートのシェークである。このような取り合わせは、食いしん坊で甘党の僕にとっては、夢のような饗宴であった。
 ジープのかっこよさで骨抜きにされた男がチーズバーガーとシェークで、アメリカに魂を売り渡したとしても、当時の日本の食糧事情を思えば、まあ許されることではなかったろうか。
 さて一年して、豚鍋屋のインターンたちは、一人を除き、皆アメリカに渡った。
 数名はアメリカに永住し、帰国した者もみなそれぞれの専門で花を咲かせたのち、すでに引退した者も多い。
 そして時代は移り、進駐軍といってももう通じない世代が、最も軽便な食生活として、当たり前の様にチーズバーガーを自分で買って、気楽に食するようになったのである。
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# by n_shioya | 2007-02-22 13:38 | Comments(0)
チーズバーガーの味(1)
銀座クリニックを開いて早一年になろうとする。
机の周りがあまりにも乱雑になり、身辺整理をしていたら昔の掲載記事が目に留まったので、ここにご紹介する。
2000年9月の「諸君」の特集「進駐軍がやってきた!80人の証言」の一つである。


その日の昼も我々四人は、築地明石町の一膳飯屋の二階で豚鍋をつっついていた。
 川向こうには、黄色い煉瓦の聖路加病院が聳えている。 
 戦後まもなく聖路加病院は進駐軍に接収されて、海軍病院(今の国立がんセンター)と同愛病院を合わせ、東京陸軍病院として米軍の極東での医療センターとなっていた。我々がそこでインターンをしていたのは昭和三十年のことである。
 進駐軍と名前はごまかしても、英語ではJapan Occupation Forcesであり、立派な占領軍である。病院内はオフリミッツ(日本人立入禁止)で、中ではすべて軍票しか通用しない。 
 我々インターンは、医療チームの一員のドクターであっても、日本人つまり被占領国の国民なので、軍票はもてない、従って軍票が必要な院内食堂も使えない。そこで昼にはこうして、近所のチャブ屋で昼飯をかっこむ仕儀となる。
 我々というのは、新潟大学の橋本、大阪大学の三木、日本大学の柳沢そして僕の四人である。この四人の他に、インターンは北は北海道、南は九州と日本全国から集まった十二人で構成されていた。
 その日の話題は、そろそろ決まりかけたそれぞれの留学先のことであった。
 出身はまちまちだが、皆インターン終了後は、すぐにアメリカに留学しようと、その足がかりに、米軍病院でのインターンを志願した者ばかりである。
 皆、あの日を十三歳の少年として、経験したのだった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。東京大空襲の後、僕は父の田舎の宮城県の白石に家族で疎開していた。
 米軍の本土上陸も間近いということで、我々は毎日竹槍の練習にかり出されていた。教官は我々を国道沿いの雑木林に連れ込み、あの国道からアメリカ兵が現れたら、飛び出してって突き殺してやるんだ。いいか、わかったな。はい。という毎日だった。
 だが幸い、その前に日本は降伏した。お粗末なラジオで、雑音がガーガーと入り、天皇の声もうわずってとぎれとぎれで、かろうじてアナウンサーの、「国体は護持されました。しかし我が国は和をこうたのです」と言う解説で、ああ、日本はまけたんだ、とわかったくらいである。
 一寸した虚脱感と言うか、ああ、これで助かったんだという、解放感が体中からわき出てきたのは、それから一寸間をおいてからだった。
 その日、空は青空で、日の丸を付けた戦闘機が一機、「デマに惑わされるな、最後まで戦うぞ」と言うアジビラをまいていった。やっぱりそんなうまい話はないかと、一瞬、がっくり来た覚えがある。
 その鬼畜米英は、ジープに乗ってさっそうと進駐してきた。後ろにトレーラーをつけて、後から後から仙台方面へと、泥道の国道を疾駆していった。
 そして鬼畜米英に、我々が初めて覚えて使った英語は、“give me chocolate”だったのは言うまでもない。米国留学にあこがれるのは、その頃の自然の成り行きであった。

(続く…)
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# by n_shioya | 2007-02-21 20:29 | Comments(0)
ベーコンエッグ
駄目となるとなお欲しくなるのが人の習いである。
このところ、ベーコンエッグの大皿を夢にまで見るのはそのためかもしれない。
今までだって朝飯はカフェオレとトーストですまし、ベーコンエッグはホテルにでも泊まらなければ、家でわざわざ食べることはなかった。
だが、最近はメタボリックシンドロームの影に脅かされ、糖分は制限、ローファットそして減塩という禁欲生活が続いているせいか、ご馳走の妄想に悩まされる。

僕にとってオレンジジュースにはじまって、目玉焼き二つにベーコンストリップ3,4枚という朝食はアメリカ文化の象徴である。
フルブライト留学も終わりに近いある日、ボスのワン教授とモホーク航空のプロペラ機でニューヨークの北を目指して飛んでいた。
ダナムラというニューヨーク州の刑務所に月一回通って、模範囚に形成外科の手術を行っていたのである。
眼下にはレークプラシッドが夕日を受けて金色に輝いている。

“どうする、お前?”
“又戻って来たいです、2年たったら。”
フルブライト留学生は建前上そのままアメリカには永住できない。いったん故国に帰り最低2年は我慢し、移民として入りなおすことになる。それには又面倒な手続きが必要だ。

ややあってこう言われた。
“アメリカの生活は豊かだ。だがベーコンエッグがすべてではないぞ。”
蒋介石の下で軍医少将だったワンが、どうしてアメリカに移住したか、詳しくは聞いたことはなかった。
温厚で口数は少ないが、その短い言葉には何時も重みがある。
“だがな、いったんアメリカに永住を決めたら、かって日本人だったことは綺麗さっぱり忘れるんだぞ。”
ワンの口調は何時になく厳しかった。
このような覚悟、今の若い人には分かるまい。
そのころ日本はまだ発展途上国だった。そして地球はまだ今よりずっと広かった。

帰国したのは東京オリンピックの年である。
日本中が活気に溢れていた。
誕生したての東大の形成外科は、ネコの手も借りたい忙しさで、僕のような若造でも存分に腕が振るうことが出来た。その後横浜市大を経て、新設の北里大学へと、忙しさに生きがいを感じているうちに定年となり、それからもう10年たってしまった。もう75歳である。もはやアメリカに帰るには時機を失したといわざるをえない。

だが今でもベーコンエッグを口にすると、あのプロペラ機の中での会話を思い出す。
そして、もし、あの時アメリカに舞い戻っていたらと考えてしまうのは、味噌汁の生活に戻れなかった男の悲哀かも知れぬ。
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# by n_shioya | 2007-02-20 21:54 | 食生活 | Comments(0)
減塩食
2週間ほど前、キレーション時の血圧がぴょんと170近くになり、安静時でも150前後なので、これはヤバイとここ10日間ばかり減塩に努めてきた。

その目で見直すと日本食は意外に塩味が濃いのに気づく。
家では何とかなるが、外食で減塩は苦労する。
好きな漬物も我慢し、寿司は醤油抜きでパクつき、天丼ならタレを少なめにと頼み、ざる蕎麦の後は蕎麦湯を残ったタレに入れて飲むのが楽しみだがそれもぐっとこらえ、涙ぐましい努力のお陰で、このところ収縮期の血圧は130前後で収まっている。

短期間で意外に早く下がるものである。
これが120台まで下がるかどうか、今しばらく味気ない食生活を続けるつもり。
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# by n_shioya | 2007-02-19 23:31 | 食生活 | Comments(2)
もっと若く
b0084241_12401444.gif今日は長女が孫二人連れて遊びに来た。
やっと受験が終わり兄は中学に、妹は小学校にそれぞれ行く先が決まったので、お祝いを兼ねてランドマークタワーで食事をし、タワー内の有隣堂で新刊書を物色した。
すると又新しいアンチエイジングの啓蒙書が目に留まった。
Younger You」という題名で、著者はブレイヴァーマンというニュー・ヨークの医師である。
ダイエットを中心にした統合医療を説いているが、脳神経の専門家らしく抗加齢の軸を脳の働きにおいているのが興味をそそり、第一章を読み終えたところ。
アンチエイジングの書物は食傷気味だが、この本は何か新しい視点というか、括りが期待できそうである。
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# by n_shioya | 2007-02-18 22:58 | アンチエイジング | Comments(1)
キスで蘇生
b0084241_1822488.jpg幸せのあまり失神した花婿を、花嫁が必死に口をつけて人工呼吸を施している?
実はこれは披露宴の余興で、看護師である新婦が新郎の形成外科医をモデルに、心肺蘇生術の実演をさせられている場面である。

我が家の裏庭に接して結婚式場がある。
横浜市大の形成外科の若手ホープ長西君から、“今度結婚しますが、実は披露宴の会場が先生のお宅の隣と分かったので、よろしければ一寸お顔を出していただけますか。”とメールが入ったのが数日前である。
新婦は循環器集中治療室勤務の看護師さんだそうだ。

新郎は以前アメリカ留学の際、相談に乗った縁もあるし、毎週末、式場の屋外に広がる芝生の上で展開するガーデンパーティは、我が家の二階の仕事部屋からよく見渡せるが、いったい屋内がどんな模様か興味をそそられた。

夕方、東京から戻って、二階の窓から眺めていると、ちょうど式が終わり披露宴が始まるところのようだ。
僕は裏口から普段着のままパーティ会場に忍び込み、主賓のスピーチが終わったところで姿を現し、皆と一緒に乾杯を唱和した。

b0084241_1825859.jpg横浜市大だけでなく、北里大学の形成外科のOBも多数参加しており、ローストビーフがメーンのビュッフェも美味しかったが、昔の仲間と懐旧談を楽しむことができた。

最後のほうで型どおりクラスメートの暴露話が続いた後で、司会者の指名で新郎新婦が演じさせられたのが、最新式の心肺蘇生術というわけである。(心臓停止の場合、救命措置として心臓マッサージが必要だが、同時に肺に空気を送り込む為、マウス トウ マウスといって、口付けで空気を吹き込む操作が必要になる。)
披露宴の演出も随分と凝るようになったものだ。

長西御夫妻、大変楽しい会でした。どうぞお幸せに!
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# by n_shioya | 2007-02-17 23:15 | コーヒーブレーク | Comments(1)
オルゴール
b0084241_1804073.jpg
この木目の美しい木の小箱にはモーツァルトの魔笛の三曲が閉じ込められていて、ボタンを押すと軽やかにパパゲーノのメロディーが流れ出す。
これまであまりオルゴールには興味がなかった。が、これは違う。特別である。
岩手山麓にアトリエを構える木工の匠、土屋氏の傑作である。

去年の暮れ、形成外科学会の恩人二人の墓参で盛岡を訪れた際、ちょうど開催されていた同氏の展覧会で目にしたのを、配偶者が是非我が家にとお願いしたのが数日前に届いたのである。

土屋氏はかっては原宿でカタカナの業界で成功されていたが、一念を発起して山にこもり、気に入った木材というか木の素材を探しては、十年、二十年と寝かせて家具を作ってこられた。
氏の場合、家具を作るというよりは掘り出すと言ったほうがよいかもしれない、ちょうどミケランジェロが大理石の山を見上げ、あの石の塊からビーナスを救い出さなければと叫んだように。
戸棚であれ、椅子であれ、テーブルであれすべて氏の永年の思いがこもって、触れるだけで体がほのぼの温かくなる。きっと木の精が閉じ込められているに違いない。

展示会で僕が最も引かれたのは、何の木だったか大きなテーブルであった。分厚い無垢の一枚板で片端は二股に分かれている。どっしりと濃い褐色で、似合いの椅子に座ると何か僕でも創作活動が出来そうな気分になる、執筆であれ、デッサンであれ。
お値段も多少冗費を切り詰めれば買えないことはない。
問題はこの大きさが生きる部屋がないことである。
又、氏の家具を揃え始めればも気になり始め、行き着くことは家の立替になりそうなので、ぐっとこらえ家具にはまだ目をつぶって、オルゴールに聞き入っている。
ほら、又パパゲーノが歌いはじめた、聞こえるでしょう銀鈴のような音色で。
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# by n_shioya | 2007-02-16 22:59 | コーヒーブレーク | Comments(0)
バーリントンハウスその後
今日はバーリントンハウス馬事公苑の月例会議があり、アンチエイジングプログラムの検討が行われた。
五味院長のもと、クリニックとフィットネスダイエットとの連携が着々と進んでいるようで安心した。

よくアンチエイジングの9割はバランスの取れた食事適度な運動で満たされるという言い方をする。食事は三度いやおうなしに摂取するが、いくら設備が完備していても、運動は自発的に参加してくれなけれ成り立たない。
尻の重い人にいかににモチベーションを持たせるか、これが一つの課題のようだった。わが身を省みて、その難しさはよく理解できる。

5月には馬事公苑に続き、吉祥寺にもバーリントンハウスがオープン予定だそうで、スたッフ全員大忙しである。
がんばってください。
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# by n_shioya | 2007-02-15 23:37 | アンチエイジング | Comments(0)
オルセー美術館展
b0084241_10323832.jpg予定通りオルセー展に行って来た。
悪天候が幸いして、この手の美術展にしては意外に空いていてゆっくり見る事が出来た。勿論混んではいたが、行列ができるほどではなかったということである。
最近はイヤホーンをつけて録音解説を聞くことが多いが、絵の来歴などがわかって意外に便利である。

今回の展示作品はオルセーのごく一部だろうが、印象派に関してはやはり粒ぞろいである。
十九世紀あたりから、音楽の世界もそうだが、芸術の表現方法はありとあらゆる試みがされ、なんでもありの世界になったが、こと絵画に関する限り僕のレベルでは印象派が一番親しみやすい。

オルセーには何度か行ったことがあり、なじみの作品が多かったが、セザンヌの一点が初見参だが最も今回印象に残った。ギュスターヴ・モロアというポートレートである。セザンヌのすべてが凝縮されたような名作だった。
僕が大好きなルドンも数点、「幻想の世界へ」という括りの部屋に、モローのガラテアと一緒に展示されていた。

b0084241_1033810.jpg余談だがモローは自身はあのような画風で、また官学の教授であったが、弟子たちを全く束縛せず、みな自由に個性を伸ばしたという。そのなかにはマチスルオーも入っている。
昔レジンデントの教育に関っている頃、モローオルフェー幻影に接するごとに、俺の教育はレジデントの芽を摘んでないかと、自戒の糧にしたものである。。

見終わってから美術館の食堂で牡蠣フライを食べながら、今日はゆっくり鑑賞できて幸いだった、配偶者と話し合った。
海外旅行の際、なるべく美術館めぐりは心がけているが、やはり旅の疲れや時間的な制限もあり、ともかく一通り観ましたという感じになりがちである。

リヒテルの通訳というか付き人のようにお世話をされていた河島みどりさんは、御著書「リヒテルと私」の中で次のように述べられている。
リヒテルは自分をいろいろな美術館に連れて行ってくれた。だが、ほかの作品を見ると肝心な作品の鑑賞の妨げになるといって、何時でもそこでの目当ての一作だけしか見せてくれない。
確かに一理ある、今日百数十点の名作を一度に見た後ではそう感じた。
身近に美術館があって何時でも足を運ぶことができ、そういう見方が出来れば最高の贅沢だろう。

だがせっかくの機会である。もう二、三度は訪れて一回一作を試してみようかと思う。
ありがたいことにシニアの入場料は成人の半額で、コーヒー一杯を我慢すれば間に合う額である。
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# by n_shioya | 2007-02-14 19:49 | QOL | Comments(0)
どっと疲れた1日
今日はいろいろ出来事があって、家に帰るとどっと疲れが出た。
今夜はよく休んで、明日は気分転換に上野にオルセー展を見に行くつもり。
天気は荒れ模様ということなので、すいてていいかもしれない。
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# by n_shioya | 2007-02-13 23:06 | QOL | Comments(4)
腸内細菌
b0084241_21535821.gif最近は腸内細菌流行りである。
銀座クリニックの上符院長もこのところ細菌サプリに凝ってしまい、その余波で僕もアシドフィリスとかいう細菌のサプリを飲されている。
そして今日、乳酸菌の会社である喜源社の会長が訪ねてこられた。

乳酸菌発酵エキスを粉末にした喜源が主力製品だが、そのほかにシニアパラダイスという会員制のサロンも運営され、シニア世代の啓蒙活動をされてるという。
喜源はエキスをオリゴ糖を絡めてあり、さっぱりした味で飲みやすい。しばらくつづけてみることにした。これでここ三年間悩まされている痙攣性便秘が解消すれば万々歳だが。

まだ不勉強だがどうもこういうことらしい。
腸内細菌にはコレステロールと同じように善玉悪玉があるが、現代の食生活では善玉が不足しがちである。又、老化によっても善玉と悪玉の比が悪玉優位に逆転しがちだそうだ。
そのため善玉菌を補うか、善玉菌の好きな栄養分をとるか、これをプレバイオティックというそうだが、善玉菌の分泌物のエキスを飲む必要がある。
その先はこれをお読みくださいと、一冊の本を頂いた。光岡知足先生の「健康長寿のための食生活」とある。
光岡先生は腸内細菌の研究の先駆者だそうだ。
あとでゆっくり読ませていただいて、又ここでご紹介するとしよう。

ところで上符院長によると、大便に含まれる菌の種類や量を調べるとその人の健康状態が推測できるという。最近腸の粘膜は健康の鏡であると説く先生もおられるが、大便と腸の健康は表裏一体のものかもしれない。
そういわれると食いしん坊の僕はフランスの美食家サバランだったかの言葉を思い出す。
“彼が何を食べているか言いたまえ、それでぼくは彼がどんな奴か教えてあげる。”
でも入る物出る物を一緒にすると、せっかくのケーキがまずくなりますかね。
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# by n_shioya | 2007-02-12 23:26 | 食生活 | Comments(0)
連休の中日
今日は昼、これから立ち上げる予定の“見た目のアンチエイジング学会”の打ち合わせを関係者で行った。
今の抗加齢学会の分科会として、全身療法の対極にあるともいえる肌の若返りを中心に、容貌から体験まで幅広く取り上げようという試みである。

関係者というのは神戸大学の市橋名誉教授、湘南鎌倉病院の山下部長,メディプロデュース久保田社長そして僕の4人で、非公式ではあるが八重洲富士やホテルのコーヒーショップで会合を開いた。

結論として、
①まず本体である抗加齢医学会で分科会の枠組みの論議を進めてもらうこと。
②できれは総会時または総会終了後に、各分科会を並べた分科会の時間を設けてもらうこと。
③次回の理事会でご審議いただき、できれば今年の京都の学会で世話人会を発足させ
④来年の東京の総会に第一回研究会をスタートさせること。
を市橋理事を通じ、三月の理事会に計ることとなった。

午後は上野の文化会館で二期会のシュトラウスのオペラ「ダフネ」を観る。
曲も綺麗だし、歌手も上々。何よりも演出とバレーの振り付けが素晴らしかった。
最後に二期会を見たのは学生時代だからもう50年昔。
随分と日本のオペラも育ったものである。
ちなみに指揮は若杉弘。

連休の谷間としては忙しい一日だった。
明日は一日ノタノタするつもり。
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# by n_shioya | 2007-02-11 23:19 | アンチエイジング | Comments(3)
今年の運勢
b0084241_2153218.gif女性とは知らなかった、しかも美人である。
象英暦という暦があるが、その著者の井上象英氏が話しをされるというので、暦に興味のある配偶者を連れて聞きにいった。
すると、氏ではなくスーツ姿の美女が現れ、今年は紀元2666年ですと釘を刺されてから、神武天皇以来の暦の歴史が始まり、こっちはすっかり毒気を抜かれてしまった。

なんせ当方は無教養でかろうじて十二支は知っているが、あとはせいぜい五黄の寅とか丙午(ひのえうま)などを耳にした程度である。
見るるもの聞くもの目新しくて、気がついたら予定の2時間が経っていた。
どうせ当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界だろうと、野次馬気分で聞いていたが、あの阪神大震災のとき、その前年に関西での大地震を予言したというので、一躍有名になったそうだ。

今年は丁亥、ひのとと読む、だそうだ。「亥」とは、生気の誕生を待っている姿。新しい活動が始まることを暗示しているという。
ちなみに今年は大地震の恐れはないが、水害の兆しはあるという。

僕の生まれ年は五黄土気性だそうで、「身内に厳しすぎたり自分を過信すると怪我をします。目先の利害より将来の安泰を考えて」という分かったような分からないようなご託宣である。
ちなみにほかのどの生まれ年を見ても、一寸は思い当たるくだりが含まれている。
どうもこの手のものは、誰でも何かしら当てはまるような表現が使われているようだ。
いずれにせよ、己の今年の運勢の展開に興味が沸いてきた。
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# by n_shioya | 2007-02-10 22:59 | コーヒーブレーク | Comments(1)
日焼けの効用?
紫外線を恐れて配偶者が、せっかく手にしたベンツのオープンカーの幌を下げさせてくれなかったとこのブログでぼやいた覚えがある。
今はやむを得ず、屋根のついたありきたりのワゴンに乗っている。
だがオープンエアドライブの魅力は一度味を占めると、決して忘れられないものだ。

かっては日焼けは健康の象徴のように思われ、夏になると海浜でこんがり肌を焼く美女のポスターが目を楽しませてくれたが、昨今では紫外線は肌によろしくないとすっかり嫌われるようになった。

確かに過度の日焼けは肌の老化を招き、ひいては皮膚がんの発生にも繋がることは否めないが、さんさんと降り注ぐ陽光のもとでの戸外の活動は、精神身体を含め全身の活性につながり、常識的な紫外線防御策をとれば、日に当たることはマイナスに比べ、はるかにプラスが多いというのが僕の持論である。

だが、その常識的な防御策をもっと具体的にと、今日紫外線と肌の問題を取材にこられた記者に突っ込まれ、ウン、まあUVカットのクリームを適度に、日差しが強ければ日傘を、だが、ひじまで覆う長手袋までは如何なものか、と至極ありきたりのつまり常識的なお答えをせざるをえなかった。
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だが冷静に考えれば紫外線体に悪いだけではないだろう。
カルシューム代謝に不可欠のビタミンDは紫外線を浴びることで合成される。もっとも1日10分日に当たれば充分とされているが。
人類はある量の紫外線を受けながら進化を遂げてきた。その過程できっと紫外線を生体に有利に活用するようになったに違いない、ビタミンDの合成だけでなく。

ともかく、もっと紫外線の体に与えるプラス効果を見つけないと、何時までたっても配偶者にオープンエアドライブの醍醐味を味わってもらえそうもない。
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# by n_shioya | 2007-02-09 23:52 | スキンケア | Comments(0)
後藤田正晴と佐々淳行
b0084241_9342291.gif佐々淳行の「後藤田正晴と十二人の総理たち」を読み終えて、何か複雑な気持ちである。
例の浅間山荘事件の立役者だが、旧制高校で同期のはずだが面識はなく、そういえば名簿に名前が載っていたなという程度の認識だった。

あの事件以来、危機管理のエキスパートとして、湾岸戦争、ペルー公邸占拠事件、911等わが国のクライシスすべてに、後藤田の意を戴して奮闘してきたとは知らなかった。
書かれている通りなら、波乱万丈、痛快な物語である。

勿論本当の話だろう、ただ、裏の動きをここまであからさまにしなくても、という思いで読み続けたが、読み終わって納得した。
彼が書きたかったのは後藤田という人間である。そしてその後藤田に惚れ込んで、裏方として闘ってきた男の半生である。
そしてあまりにも平和ボケした日本に対する危機感であろう。
そのためにはここまで書く必要があったのだろう。
又、同級生があいつはお喋りでとなじっていたが、そんなことは意に介する男でもなさそうだ、日本国民の目覚めのためには。

彼の言動が正しかったかどうかは時局に疎い僕には判断できない。又価値観も必ずしも同じではないかもしれない。
ただ、読み終えて思い出すのは、
“友の憂いにわれは泣き、我が喜びに友は舞う。
 人生意気に感じては・・・”
という、我々がその昔高らかに謳った寮歌の一節である。

意気に感ずることなど無縁に見える今時の若者に比べ、幸せな奴だなあ、この佐々と言う男は、と思わずにはいられない。
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# by n_shioya | 2007-02-08 23:26 | コーヒーブレーク | Comments(0)
禿げの根本的解決
今日は1日城西クリニックで会議とカンファランス。
城西クリニックは銀座クリニックの親元で、発毛、育毛を専門にしている。
東京を含め名古屋、大阪、福岡と全国展開をしているヘアメディカルグループの旗艦クリニックである。
グループがスタートしてまだ4,5年だが、どのクリニックも満員御礼だということは、それほど世の男性の毛の悩みの深刻さを物語っている。

ミノキシジル、プロペシアと新たな発毛剤、そして植毛術の進歩で、以前より希望は持てるようになったが、まだまだ根本的な解決には程遠い。

根本的といえば昔こういうジョークがあった。
“男性のハゲの根本的な解決法は二つある。
まず第一は禿げてない親を持つこと。
二番目は去勢すること。“
どちらも不可能なことであり、だから根本的解決は無理だというわけだったが、第一については北里大学名誉教授の川上先生のご指導で、ヘアメディカルグループでは禿げに関る遺伝子の解明を進めており、国際的にも高い評価を得ている。
二番目は禿げにおける男性ホルモンの影響を意味するものであり、最近使われ始めたプロペシアは毛根部での男性ホルモンの働きを抑制し、その前から使われ始めたミノキシジルと併用して威力を発揮している。最近では又新たな抑制剤が開発され、現在ヘアメディカルグループではその効果を検討中である。

きょうはその川上先生から、食欲と肥満に関る因子、とくに遺伝子について最新の知見をご披露いただいた。
ともかくこの分野の最近の進歩は目覚しい。
食欲増進、抑制の因子がそれぞれ10以上も列挙され、それらが複雑に絡み合って食欲をコントロールする図式は、まるで人気タレントの相姦図のように華麗で、見るほどに目がクラクラしてきた。

早くその中から臨床応用可能なコントロール因子を抽出して、クリニックに提供して欲しいというせっかちな臨床医からの要請を、まあそう慌てなさんな、ここまで来るのも一苦労だったのだから、と川上先生はたしなめられていた。

だが肥満対策アンチエイジングの重要課題の一つであり、キレーションによる重金属のデトックス、動脈硬化対策,ホルモン療法などが軌道に乗ったら、コントロール因子の実用化を含め、早急に取り組みたいテーマの一つである。
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# by n_shioya | 2007-02-07 22:07 | ヘアケア | Comments(0)
高血圧と塩分制限
先週のキレーションの時、普段140前後の血圧が170だったので、慌てて家庭用血圧計を求め、家でもそしてクリニックでも毎日測定し、また教科書をかき集め高血圧のにわか勉強をした。

いまさら医者のくせにと言われることを覚悟で、解ったことを纏めると、
①結構血圧というのは変動が激しいものである。
状況で値が変わるのは分かるが、つづけて何度か計測しても10や20の差が出るのはどういうことだろう。器械の精度の問題なのか、本当に変動しているのか?
のほうがよりも10ほど低い。これは誰でも利き腕のほうが高い傾向があるという説明だった。
③どの本でも、年齢に関らず120ぐらいが望ましいとなっている。140なら年相応と思っていたが。
④まず食事の塩分を制限することから始めよ、とある。大体日本人の食事は塩分のとりすぎ、10グラム以上だそうだ。これを1日6グラムぐらいに押さえればと書いてあるが、一方カツ丼だけで7,8グラムあるという。又、和食はカロリーなど栄養素では理想的だが、味噌、醤油など塩分過多の調味料が多いようだ。
野菜がいいと安心してはいけない。レストランなどは煮た野菜は色をよくするために結構塩を使うという。又、スパゲッティなども美味しくゆでるためには、たっぷり塩が染み込んでいるそうだ。
⑥脂肪の取りすぎの場合と同じで、要するにおいしいものは体に悪いというと思えば間違いない。何たる矛盾

ところでここ数日の計測結果だが、より好意的な左側について言うとほぼ120台から140台で推移している。
だが、これを機会に食塩制限を試みて、どう血圧が変わるかチェックするつもりだ。
家では昔から食にはとても気を使う配偶者が工夫してくれるとしても、外食は塩分コントロールが難しい。
だが僕の場合、カツ丼とスパゲッティ、カツカレーなどを我慢するだけで、大分効果は期待できそうだ。
だが、そうなると一体何を食べればいいのだろう?
生野菜をたっぷりどうぞ!、嬉しそうに配偶者が答えてくれた。

一週間ほどたってから経過をご報告します。
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# by n_shioya | 2007-02-06 22:35 | 食生活 | Comments(2)
教養主義
昔、旧制高校という教養主義の温床があって、そこの住人である旧性高校生という蛮族弊衣破帽高下駄で闊歩し、昼は寮の万年床に沈殿し、夜は酒を飲んでは寮歌を放吟してあたりを睥睨していた。

昨日うっかり教養主義という表現を使ったら、早速、では汝は教養主義をどう考えるかというコメントを頂いた。

例によって広辞苑をひもどくと、これも教養主義の悪癖といえるが、教養とは“単なる学識・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念に応じて異なる。”
ウーム、さすが岩波文化の結晶の広辞苑。一言も付け加える言葉も、省く言葉もない。

そう、蛮族のよりどころは岩波文化であった。
読むべき本は、阿部次郎の「三太郎の日記」、西田幾多郎の「善の研究」そして倉田百三の「愛と認識の出発」、話す言葉は和製ドイツ語と決まっていた。

教養主義が、それゆえに日本を破局へと導いたか、にもかかわらず破局への道を防げなかったとするか、ここでは論じない。

ただ、前出の定義を認めれば、教養を主義として掲げる意味は次の三つに要約できると思う。
①物事の本質を見据える眼力の育成
②多様な価値観の許容
③己の立場の明確化

ちょうど、幼児期の味覚の発達、学童期の言語の習得など、人が能力を獲得するにはそれぞれ適当な時期があるように、教養の擦り込みにも適当な時期があるようだ。つまり古典、芸術などを吸収・・・できなくても、感受性を高める適齢期が。
過去を振りかえり今僕は、それは思春期すなわち15歳から18歳ぐらいではないかと思う。つまりちょうど今の高校時代ではなかろうか。
その大切な時期が無益とも言える受験勉強に費やされている。
大学の教養課程ではもう手遅れかもしれないし、本人たちは受験勉強で疲弊しきっているだろう。そしてさらに就職への準備過程が優先度を高め、教養など役立たずのお遊びの時間は消えていく。

だが僕は、ここで改めて教養主義の復権を叫びたい。
今になって僕は、昔の教養主義の遺産で食いつないでいることを痛感するからである。
迂遠な様でも、これが人生に幅と深みを与えてくれるのだと信じている、例え配偶者に貴方のはただのペダンティックな引用癖に過ぎないと迷惑がられようとも。
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# by n_shioya | 2007-02-05 22:26 | コーヒーブレーク | Comments(1)




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