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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
“どうしたら父親から話を引き出せるでしょうね?”
とKさんは困惑げである。 この春から94歳の義理の父親を引き取って世話をしているが、始めのうちはよく話もしたのが、最近寡黙になり何を考えているのかわからなくて、という。 多少の認知症が始まってもおかしくない年だが、それだけではないようだ。 そもそも親父と息子の間には会話は成り立ちにくい。たとえ義理の親子であっても。 僕の好きなルナールの短編のテーマでもある。 「公園を散歩してると、男が二人前を歩いていく。若い男と年配のと。ただ黙々と歩き続け二人の間には一言も会話がない。あれはきっと父親と息子に違いない。」 と言った文だったと思う。 僕と親父も似たようなものだった。 この春、世を去るまで、僕も自分の悩みを親父にだけは打ち明けたことはなかったし、親父も僕に弱みを見せるようなことはしなかった。 親父の信念の強さというか肩ひじを張った強がりを、僕が冷ややかに眺めているのが伝わっていたのかもしれない。 こちらがもっと心を開けば、もっと親父も話したいことがあったろうにと今更ながら悔やまれる。 晩年のある時、旧式の小型のカセット・レコーダーの音楽を僕に聞かせ始めたことがある。好きな懐メロを取り貯めてあったらしい。 “おれはなぁ、一つだけ心残りがある。それは音楽をまともに鑑賞する機会がなかったことだ、忙しすぎたしな。” 僕はそのメロディーにも、親父の言葉にも何かむずがゆさを感じ押し黙っていた。 すると親父は無言でテープレコーダーのスウィッチを切り、その後その話題に触れることは一切なかった。 “お前らに迷惑はかけたくない”と、84歳の時、お袋と熱海の高齢者マンションに引き籠ってからは、こちらから月一回は訪ねて行ったものの、その時のやり取りは何時も “おお、元気か?” “へぇ” で終わってしまった。 没後、10冊以上あったアルバムを整理していると、マンションの行事や、仲間たちとの近辺の旅行の写真が続々と出てきて、親父たちには自分なりの熱海での生活があったことを改めて思い知らされた。 一度でも僕のほうから、熱海の生活をどう楽しんでいるか問うたことがなかったのが、慙愧の念に堪えない。 “孝行をしたいときには親はなし”、とはよく言ったものである。 しかも106歳近くまで生きていてくれたのに。
by n_shioya
| 2008-12-13 21:59
| アンチエイジング
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Comments(8)
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こんばんは。静かにエントリー拝見しました。
母と子の間は、臍の緒でしっかり結ばれていて、大海を漂いながらも、 大きな愛に包まれているという安心感がありますが、 父と子、特に父と息子の間には、言葉では語れない、 何かがあるのでしょうね。 父と息子というよりは、1人の男としてお互い見ているのかもしれません。 マンモスの時代から、狩猟の仕方をしっかりと子に伝えるのが、 父の役目、ですから、時に厳しく、決して弱みなど見せない、 いや、見せられない..。 そして、息子も、父は越えられない偉大な山であって欲しいと、 心のどこかで思っているのでしょうか。 先生のお父様への深い思い、感じました。 その思い、尽きることはありませんね..。
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私の父も一昨年亡くなりましたが、学生の頃、故郷に電話して父が出ても話すことがなくすぐに母に代ってもらったものを思い出しました。
父が亡くなる前、病院のベッドで「寂しいがよう、心の中を風が吹くようだ」と私に述懐しました。私は父に「大丈夫だよ、父ちゃん、私はいつも父ちゃんのことを思っているから」と申したものでした。そして今でも朝、父母の遺影を見ながら読経しています。正心調息法も続けています、父母にもお父上にも感謝です。 ![]()
ただ黙々と歩き続け二人の間には一言も会話がない。
(しかし、じっと見ているとふたりの間には何か通い合うものがあった) こうありたいものです。 昨晩からの雨が明け方には雪に変わりました。 その雪もやみ、いまは青空が広がっています。 雪はすっかり溶けてしまいました。 ![]()
父上の著作を読んだことがあるのですが、或る一冊の中にこんな箇所があったのを思い出しました。それは、息子さん(ご次男でしょうか)を若くして亡くされたときは、身が切れるほどつらく悲しかった。。。のように書かれていたことです。言葉で表現されることのない、深い愛というものがたくさんおありだった、と思います。
kabaya さん:
コメントを拝見して、何とか正月を山ですごせないか、算段をしています。
グリーンノート さん:
わかっていても何も言わないことが親にはたくさんあることが、今になって悟らされます。
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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