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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
今日は相模大野の小田急センチュリーで“怒涛の会”が、100人を超えるメンバーで、怒涛の如く発足した。
北里大学医学部教職員の同窓会である。 名前は、学祖北里柴三郎の生涯を描いた芝居、“怒涛“から拝借した。 ![]() 最近出版された山崎光夫氏の伝記を読むまでもなく、北里柴三郎の生涯は波乱に満ちたものであった。 破傷風菌の純粋培養、ペスト菌の発見など数々の業績を上げた北里は、当時の人種偏見さえなければ、当然ノーベル賞を受賞していただろうと言われる。 北里大学は40年前の学園紛争を期に、新しい理念のものと、戦後最初に誕生した医学部で、新設大学の中でもその評価は高い。 国家試験の結果がすべてではないが、今年の合格率順位は全国22位で65位の東大をはるかに上回っている。 こうして北里を持ち上げるのは、23年お世話になった身としては当然だが、発足時の北里大学は実に風通しの良い、僕のようなアメリカ帰りのピント外れの男にとっては実に居心地の良い大学だった。 北里がなかったらば、僕はとっくにアメリカに舞い戻っていたろう。 北里の掲げた改革ののろしは、その後大学紛争の壊滅と、旧体然たる医学界の抵抗でついえてしまい、その結果が今の医療崩壊へと繋がっていったというのは、多少短絡的ともいわれそうだが、紛争当時誕生した「白い巨塔」が今またリバイバルで人気を呼んだことでも、この40年間、日本の医療と医学教育がなにも変わっていないことを示していると言えよう。 とまれ、日本の医療崩壊は悲惨の一語に尽きる。 どうしようもなく傾いた時勢を戻す努力を「狂乱を既倒に回らす」というが、そのために生まれたのが、「怒涛の会」だと思いたい。
by n_shioya
| 2009-04-05 22:20
| 医療崩壊
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Comments(8)
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今年1月に行われた、慶應義塾での福澤諭吉先生誕生記念会の記念講演は「福澤先生と北里柴三郎」でした。
北里柴三郎が初代医学部長を引き受けなければ、慶應義塾大学医学部も存在しなかったわけですから。慶應義塾150年の歴史の中で北里柴三郎の果たした役割は非常に大きなものがあります。
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怒涛のごとき医療変革を望みます・・・
>国家試験の結果がすべてではないが、今年の合格率順位は全国22位で65位の東大をはるかに上回っている。
かつて、今は亡き筑紫哲也編集長時代の『朝日ジャーナル』が報じてましたが、また、それ以前からいろいろ言われてもいましたが、医師国家試験の問題は組織的にリークされている疑いがあり、実際どこかの医学部の直前模試のようなものとソックリな問題があったということを医師から聞いたことがありますし、その真偽を確認できないとしても、そうでなければあんなお粗末な医学部の卒業生が受かるはず無いという所がいっぱいですし、合格「率」は、それを上げるため分母の部分を減らそうと受かりそうも無い者には受けさせないという医学部までありますから、すべてではないところか、あまりあてにはできないというべきではないでしょうか。
そういえば さん:
明治のころのほうが、科学者もスケールが大きかったようですね。
だんぷ さん:
まだあきらめてはいません。
ruhiginoue さん:
試験には資格試験とレベル試験の二種類あるはずですが、医師国家試験はその辺があいまいで、ご都合主義の面がありますね。 ![]()
二十数年前にイスラエルに滞在した時に、
「日本人がノーベル賞取れないのはpoliticsだ」 と同情してもらいました。 彼らも同じで、 「JewishならOKなのだが、Israeliにはノーベル賞来ないんだ」 と憤慨してました。たしかに。 ましてや明治の頃ですからねえ。 当時、まともに評価してたら、十個くらいのノーベル賞は来てた? 最近は国際politicsも日本に追い風なのでしょう。 とはいえ、そもそも人が人(と業績)を評価するなんてこと自体、あまり穏当ではないのですが。
御隠居@横町さん:
元来ノーベル賞は、若い研究者を励ますのが目的だったそうですが、かつてがんの特効薬が受賞して後でインチキだった間違いだったかわかり、だんだん評価の定まった研究に与えるという、ある意味で保守的なものになってきたようです。
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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