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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
僕の朝の散歩コースの折り返し地点は山下公園である。
プロムナードのイチョウの葉も散って、木立の彼方に御奉公を済ませた氷川丸が小柄な船体を休めている。 戦後、フルブライト留学生は僕の前の年まで、この氷川丸でアメリカに渡った、「青雲の志」を抱いて。 ![]() 先輩や同級生が渡米するたびに、メリケン波止場まで出向いて、うらやましさでいっぱいになりながら、見送ったものである。 やがて僕の番が来た時は、船便は終わって空路に変わり、氷川丸は引退した。 残念なような、だが嬉しいような複雑な気持ちであったの覚えている。 というのは、我々が乗せられたのは、パン・アメリカンの新型機、ダブルデッキのストラトクルーザーだったからだ。もちろんまだプロペラ機である。日本航空もまだ国内線だけだった。 愚かしい戦争のお陰で、敗戦時わが国の医学は欧米に比べ20年の遅れは取っていた。 医学を志す者にとって、アメリカは憧れの的であった。 だが、1ドル360円。外貨持ち出しの枠はたったの20ドル。 留学の唯一の手掛かりは、フルブライト奨学生になることだった。 そうして毎年多数の留学生が夢を抱いて旅立った。 60年経った今、経済的に繁栄を遂げた日本の若者は内向きになっているという。 草食系男子は、留学の話を持ちかけても、そんなしんどいことはと振り向きもしない。国際学会への出席をうながしても、英語が苦手でと尻込みする。 確かに日本の医学も世界レベルに追いついた。だから留学の必要はないとは言わせない。 外の世界を観ることで視野を広げ、又、最先端を知るだけでなく、その先を目指す為である。 “何時までも憧れを持ち続けて”、と氷川丸は今日もそう語りかける。
by n_shioya
| 2010-12-16 23:13
| コーヒーブレーク
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Comments(5)
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わ~びっくり!!今日偶然にもアメリカの友人たちとチャツトで氷川丸の話をしていました。Her maiden voyage was to Seattle. My father was rescued and came back to Japan from China by her. She is so beautiful!
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1935年生まれの姉は、この船での往復でした。 1950年代、大桟橋に送りにそして迎えに行きました。 来年の研究会(9月、横浜)で Japanese proposal を出すべく頑張ってます。 透析医療は追い越し、違う時点で医療が進んでます。 先生のご活躍は本当に励みになります。
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She は 氷川丸の事です。 氷川丸の処女航海はシアトル。
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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