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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
世襲とも違うが、医者の子は医者になるのが当たり前と想われている節がある。
医学部の同級生のうち、3、4割は医者の子供だったろうか。 事実、僕も親父は医者だった。 今でもその傾向はあるようだし、私学の場合、半分近くは医者の子供では無かろうか。 だが、僕の五人の子供のうち、医者は一人もいない。 僕は本質的には、子供は自分の好きな道を選ぶ、職業の自由が与えらるべきと思っている。その点、法律でがんじがらめに縛られている天皇には人権が無いとも言える。お気の毒なことだ。 そして医師という職業は、よほどの使命感が無ければとても勤まらない厳しい職業である。 決して親の都合で子供に無理強いできるものではない。 現役の頃、意に染まぬ道を強いられた気の毒な学生を多々見ている。 通常、同じ学年を二度落第すると退学になるが、その引導を渡すのは学部長の辛い務めだ。 こんなことがあった。或るとき学部長が、僕と医学部でクラスメートだった奴だが、不幸な学生をよんで、縷縷説明して退学を言い渡したところ、その学生はパッと明るくなって、“これで親も納得するでしょう”と言ったと言う。 医者の場合に限らず多くの場合、親の職業に対して子供は、ただ素直に受け止めるか、全く毛嫌いするか、両極端になりがちではなかろうか。 僕の場合、医者になるつもりは全く無かった。親父もなれとは言わなかった。ただ、旧制高校進学のとき、本当は科学者になりたかったがその自信が無く、その頃の医学進学のコースである理乙をなんとなく選んでしまったのである。 こうして、さしたる目的意識もなく医学部に入った為、卒業まで学業に身が入らず悶々とし続けた。 その僕に医師としての自覚が生まれたのは、アメリカのインターン生活で患者を受け持たされ、鍛えられた時である。 僕が今でも、医学部の“落ちこぼれ”の学生には痛く共感を覚えるのはその為である。
by n_shioya
| 2012-12-17 21:44
| 医療全般
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Comments(2)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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