|
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
その電話がかかってきたとき、僕はフォート・オレンジクラブにいた。
オルバニーでは最も格式の高い女人禁制のクラブで、ここでは年に何回か、インターン・レジデントによる研究発表会が催され、そのあとは教授達のおごりで豪華なダイニングルームで、ステーキディナーにありつく習わしになっていた。 ちょうど運ばれてきたステーキにナイフを入れようとしたとき、教授が大声で叫んだ。 “おい、シオヤ、東京のフィアンセから電話だぞ!” 僕は電話室へすっ飛んでった。 まだ、国際電話が今のように即時通話でなく、まず電話機の前で待機する。やがてしゃべり始める音声も強弱の波があった。 “私達今日結婚するの。”電話の向こうで彼女が言う。 “何だって?そんな馬鹿な。” 途切れ途切れの話を繋ぐと、どうもこういうことらしい。 その頃は観光はおろか、フルブライトなど留学生にならない限り、どんな形でも渡米不可能に近かった。 フィアンセなどは通用しない、配偶者となってしかるべき手続きを踏まねば、ビザの申請は出来ない。 7月にこちらで予定してる結婚の為には、半年前の今、日本で入籍しておかねばならぬという。 そのため代理人をたて、これを英語ではプロキシーということはあとで知ったが、今朝これから手続きに行くという。 なるほど時差の関係で日本は今、朝だ。 “じゃあ宜しく頼む。といって電話機を置いた。 その間12分。当時の料金で12ドルだった。 どうしたんだ、と皆が寄ってくる。 かくかくしかじか、と説明すると、そこはヤンキーである。 “コングラチュレーション!”と口々に叫んで、グラスを響かせる。 で、“花嫁は海の向こうだろ”。“何時おいでになるんだい?”と姦しい。中には、“それで今宵はいかがお過ごしに?“、など無礼なことを聞く奴もいる。 その後しばらくは、「結婚式を12ドルで済ませた男」と、からかわれ続けた。 今から半世紀前、正確には57年前のことである。 もちろん彼女が無事到着してから、改めて教会で式を挙げたが、その時の紆余曲折の詳細は又別の機会に。
by n_shioya
| 2013-02-09 21:01
| コーヒーブレーク
|
Comments(1)
|
塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
以前の記事
検索
カテゴリ
全体 アンチエイジング スキンケア 医療崩壊 キズのケア QOL 老年病 介護 手術 全身療法 食生活 サプリメント エクササイズ エステティック ヘアケア 美について コーヒーブレーク 医療全般 原発事故 睡眠 美容外科 再生医療 再生医療 未分類 最新のコメント
フォロー中のブログ
ICELANDia アイ... 九十代万歳! (旧 八... ・・・いいんじゃない? 京都発、ヘッドハンターの日記 美容外科医のモノローグ ArtArtArt 芙蓉のひとりごと 真を求めて 皆様とともに... ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
|
ファン申請 |
||