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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
歓喜の歌
何時の頃からかベートーベンの第九が年の終わりを締めくくるようになった。

今年も日本全国のコンサートホールで“歓喜の歌”が鳴り響いている。

我々は昔、フルトヴェングラーのベルリンフィルのレコードで親しんだ世代である。
78回転のSPで録音は今とは雲泥の差で、針音がザーザーと邪魔をした。
だがそこは若い感性の羽を伸ばし、存分に感激に浸ったものである。
大体作曲家自身、その頃は高度の難聴でもうオケの音が聞こえなかったそうじゃないか。

そしてこれまでに何度第九の演奏を聞いたことだろう。
戦時中、空襲警報の合間を縫っての日比谷公会堂での日響(いまのN響)の演奏会。
留学していたニューヨークのオルバニーと言う町の交響楽団。
田舎町の小さなオケである。けなげな演奏だったとしか言いようがない。
そして母校の日比谷高校のオーケストラ。
身びいきと言われるかもしれないが、クラスメートで芸大教授をしていた朝妻君の指揮でなかなかの熱演だった。

だが、年末何時も思い出すのは、オルバニーで若いアメリカ人の神学生夫婦の貧しいアパートに呼ばれたときのレコード演奏である。
奥さんは日本人で、そのために彼は両親に勘当され、自活を余儀なくさせられていた。卒業したら宣教師として日本に行くつもりだと言っていた。

暖房の効かない狭いワンルームのアパートに、彼等は僕をクリスマスディナーに呼んでくれた。小さなアルミなべの底のほうに、具のないカレーがわずかながら溜まっている。
それをアルミのしゃもじでカタカタとすくって、一膳分ほどのライスにかけてくれたのが夕食のすべてだった。

だが我々は話に夢中だった。哲学だったか、宗教だったか、芸術だったか定かではない、その全部だったかもしれない。楽しかった。

デザートの代わりが第九の演奏だった。お粗末なプレーヤーで、か細い音しかでない。ベートーベンでももっと聞こえていたのではないかとさえ思った。
だが、曲のスピリットは高らかに鳴り響いた。そして“すべての人たちが兄弟となって・・・”というシラーの詩の一言一言が心に染みとおっていった。

その後、国内、海外を含め、正規の交響楽団の演奏は何度も聞いてきたはず。
だがあのときの、寒い安アパートで若かりし三人が、具のないカレーを啜りながら聴いた第九ほど、心に響いた第九はなかったと言いたい。
by n_shioya | 2006-12-31 19:06 | コーヒーブレーク | Comments(2)
Commented at 2007-01-01 10:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by n_shioya at 2007-01-02 08:53
ご指摘有難う。
抜けてきてるのは文字より脳細胞かもしれないね、言われる前に。


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