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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
佐々淳行の「後藤田正晴と十二人の総理たち」を読み終えて、何か複雑な気持ちである。
例の浅間山荘事件の立役者だが、旧制高校で同期のはずだが面識はなく、そういえば名簿に名前が載っていたなという程度の認識だった。 あの事件以来、危機管理のエキスパートとして、湾岸戦争、ペルー公邸占拠事件、911等わが国のクライシスすべてに、後藤田の意を戴して奮闘してきたとは知らなかった。 書かれている通りなら、波乱万丈、痛快な物語である。 勿論本当の話だろう、ただ、裏の動きをここまであからさまにしなくても、という思いで読み続けたが、読み終わって納得した。 彼が書きたかったのは後藤田という人間である。そしてその後藤田に惚れ込んで、裏方として闘ってきた男の半生である。 そしてあまりにも平和ボケした日本に対する危機感であろう。 そのためにはここまで書く必要があったのだろう。 又、同級生があいつはお喋りでとなじっていたが、そんなことは意に介する男でもなさそうだ、日本国民の目覚めのためには。 彼の言動が正しかったかどうかは時局に疎い僕には判断できない。又価値観も必ずしも同じではないかもしれない。 ただ、読み終えて思い出すのは、 “友の憂いにわれは泣き、我が喜びに友は舞う。 人生意気に感じては・・・” という、我々がその昔高らかに謳った寮歌の一節である。 意気に感ずることなど無縁に見える今時の若者に比べ、幸せな奴だなあ、この佐々と言う男は、と思わずにはいられない。
by n_shioya
| 2007-02-08 23:26
| コーヒーブレーク
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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