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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
カテゴリ:手術( 47 )
「幽霊の手術」
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「1938年。第二次大戦勃発直前のパリは、各国からの亡命者でごった返していた。
オーストリア医師ラヴィック(シャルル・ボワイエ)も、ナチを逃れて不法侵入した1人で、旅券のないまま“非合法手術”のアルバイトで口を糊していたが、ある夜偶然、かつてナチの収容所で彼に死にまさる拷問を与えたゲシュタポの手先ハーケ(チャールズ・ロートン)をみつけ、忘れ得ぬ怒りが再びこみ上げてきた。
その帰途ラヴィックはポン・ヌフで、男を失ったため自殺を図っている若いイタリア女ジョーン・マドゥ(イングリッド・バーグマン)を救った。彼女はラヴィックが忘れられず、それからも度々逢瀬を重ねるうち、次第に2人の仲は深まって、やがて断ち切りがたいものとなった・・・・・」
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往年の名画“凱旋門”の梗概からの引用である。
原作はレマルクで、戦後翻訳と同時にベストセラー、いや今で言うミリオン・セラーになった。
ここで出てくる“非合法手術”とは、フランスでの医師免許はないが腕は抜群のラヴィックが、闇で薮医者の手術の手助けをする違法行為を指している。

これは“無免許手術”というだけでなく、手術中に別人が表向きの術者と入れ替わって、執刀する、いわば“ゴースト・サージャリー(幽霊の手術)”と呼ぶべきものだが、ラヴィックの件は、戦時下の特殊事情、しかもフィクションであるのに対し、教育のために別の形で“ゴースト・サージャリー”という行為は現実に存在して、その是非はかってアメリカのレジデント制度の中で、論議されたことがあるが、日米の医療制度の違いもあり、またデリケートなイッシューなので、よく実情を分析し、論点が整理されたところで、書くことにする。

とりあえずは外科系の教室の主催者というものは、教室員を一人前の外科医に育てながら、同時に最高の手術結果も出していかなければならないという、ジレンマを抱えていると言うにとどめておこう。
by n_shioya | 2013-01-31 21:16 | 手術 | Comments(2)
手術場のプリマドンナ
形成外科医の定義とは、“世界中で俺一人しか形成外科医はいないと思うのが形成外科医”だといわれている。
また脳外科医などは、年中脳をいじくりまわしているせいか、自分と神様の区別が付かない人も多いようだ。
ま、多かれ少なかれ、外科医はそういった人種である。
それだけの自負がなければ、あのストレスには耐えられないかもしれないし、いい仕事は出来ないかもしれない。
外科医は手術場の「プリマドンナ」と呼ばれるゆえんである。
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オペラの「プリマドンナ」は皆がマリア・カラスほどでなくても、自己顕示欲が強く、嫉妬深くエクセントリックな女性が多いという。
外科医もそうである。
また、ちょうどハンドルを握ると人格変化を起こす人が多いように、外科医もメスを握ると人格変化をきたす人がある。
普段温厚なのに、怒鳴り散らしたり、文字通り助手を足蹴にしたり。
問題はエクセントリックであることが、手術の名手の条件と勘違いする奴がいることである。

昔の外科教授はひどかった。
ハーケン(鈷)と言って、手術野を広げる先が曲がった篦(へら)のようなものだが、それでたたかれるのは当たり前で、気に入らないとメスで切りつけたり、“世界の外へ出て行け”、など矛盾だらけのことを叫ぶ教授もいたようだ。
卒業して入局先を決めるとき、当時の東大の第二外科には十数人の希望者がいたのに、第一外科には2,3人しかいなかったことがある。
理由は単純だった。“第二外科の木本教授は注意するときに耳元でささやいてくれるが、第一外科の清水教授は怒鳴りつける”といううわさがまことしやかに流れたからである。
これでは入局者の数があまりにもアンバランスなので、我々の間で調整はしたが。

外科医として僕がどんな振る舞いをしたか、「岡目八目」というくらいだから、当人には分からないだろう。
ただ、必要なときは「叱り」はしても、「怒り」はしなかったつもりだ。
なぜなら、自分の気持ちをコントロールできなければ、メスを握った指先のコントロールも失うというのが僕の信念だったからだ。
だがこれも、あらためて昔の助手に聞いてみれば、“先生はそのおつもりだったかもしれませんがねぇ”、と言葉を濁されてしまうのが関の山かもしれない。
by n_shioya | 2013-01-30 20:33 | 手術 | Comments(2)
「神の手」の実像
「神のような」という言葉は立派な人格や行いについて使われる或る程度獏とした褒め言葉のようだが、「神の手」となると最近では医師の特に外科医の腕前をさすことが多い。
確かに、天皇の手術をされた天野教授のように、我々同業者でも文句なしに認める名手もおられるが、最近はどうも、この「神の手」がマスコミで乱発されている感がある。
中には、元来躁鬱病の気味があり、幸か不幸か鬱の時期が短いのでボロを出さないが、周りが尻拭いに追われる「神の手」がないでもない。

そもそも医師の善し悪しは、特に外科医の腕の判断が意外に難しい。我々でも、自分や家族の場合に誰に頼むかは迷うことが多い。
それはひとえに何を持って手術の巧拙の基準とするか、医師の間でも評価が分かれるからだ。
癌や、重症外傷など、目的が救命にある手術の場合は事は簡単だ。命が助かればよい。
また、整形、耳鼻科、眼科などで、機能回復が目的の場合は、その評価に或る程度相対的な判断が入るが、それほど評価は難しくないだろう。
こと形成外科となると、話しはややこしくなる。機能や生命を損なうこと無く、形を整えてしかも患者の満足を得ることにあるからだ。だが、この問題もここでは深入りしないでおく。

そこであえてお聞きしたいが、皆さんが手術のうまい下手という時、何をイメージするだろうか?

「手術の手際」
これもキーワードかも知れない。
ただこれもくせ者である。
麻酔の進歩した今、早いのが良い訳ではない。
では、手さばき? 
だが、鉄板焼きの包丁さばきと違って、ショーマンシップは邪道ともいえる。
メスの下でさっと皮膚が開き、名バイオリニストのボウーイングのように、一つ一つの動作が確実で無駄が無く、いつの間にか手術が終わっているといったのが、名手と言ってよいだろう。

だが、この手際の良さと結果の良さが必ずしもイコールとも言えないのが悩ましい。というのは、「手術」とは或る意味で皆応用問題で、その場その場で選択肢を選ぶ必要が生ずるからである。つまり手さばきより大事なのは、咄嗟の判断力と言えるからだ。

ミシュランを持ち出すまでもなく、最近ではラーメン屋にも格付け機構があり、覆面捜査員による6段階評価がされていると言う。
ラーメンと手術を比べるのは乱暴かもしれ無いが、ラーメンのように主観の影響を受けやすい分野で可能なら、外科医の腕の客観評価があってもよさそうだが。
ただ手術の場合、覆面捜査員に試しに手術を受けさせるということが、テクニカルに、また人道上不可能なのが難点である。

by n_shioya | 2012-12-18 22:46 | 手術 | Comments(0)
王貞治監督の手術
先日の学会で、北島政樹元慶應医学部長が最近の手術手技の進歩について話されて感銘を受けた。
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一つは内視鏡による低侵襲外科であり、今一つは癌のリンパ節転移に対するセンチネルリンパ節という概念の導入で、それぞれの患者に合わせて切除を考えると言うやり方である。
これにより、患者への負担を軽減し、しかも治癒効果を向上することができるようになったという。

数年前、王貞治監督の手術も北島教授のもとでこのコンセプトで行われ、見事復帰し花を咲かせたのは記憶に新しい。
ただこの手術は、熟練した外科医の超人的な忍耐を必要とする。
また、彼の唱える臨床に直結した研究という考えは僕も全く同感であり、又別の機会にご紹介したい。
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by n_shioya | 2010-12-05 23:24 | 手術 | Comments(4)
ムンテラの名手大森清一先生
数日前、故大森誠一先生のことを書いて以来、故人の懐かしい思い出があとからあとから蘇ってきた。
ともかく型破りな人物で、逸話には事欠かない。
又、ムンテラの名人でもあった。
ムンテラとは、和製ドイツ語、ムント(口)テラピー(治療)の略で、患者に対する説明を意味する。

帰国後一時、大森先生の診察を見学させていただいたことがある。
形成外科では、火傷、交通事故、痣など顔の悩みの患者が多い。
ある日、外傷で顔がつぶれた若い女性が診察室に入ってきた。
座った患者を前にして、大森先生は何も聞かず、ややあって“君、今までつらかったろうな。”と語りかけた。
想いがこみ上げた患者は、激しく嗚咽しながら“ええ、“とだけ答え、大森先生の診察を受け、治療の説明に聞き入った。
手術予約しての帰り際、“先生に手術していただければ、私、死んでも本望です。”
と涙を拭きながら診察室を後にした。

回診中はいつも医局員は怒鳴られどおしで、大学から実習で回ってくる医学生は、青ざめておろおろと戻ってくるのが常だった。
怒られ役のトップは現東京女子医大の名誉教授平山先生だった。
ある日、超ド級の雷が落ちた後で、大森先生は僕を自室に呼んでこう言われた。
“塩谷君、俺がなぜ患者の前で助手を怒鳴りつけるかわかるかい?
ああすれば、もし手術が失敗した時は、患者は助手のミスと思うからさ。”
と独特の笑みを浮かべ、こともなげに言われた。
いと辛きものは宮仕え、と思い知らされた一こまである。

前述の患者については手術場での後日談があるが、患者、医師双方の個人情報の問題もあるので、ここでは割愛する。
by n_shioya | 2010-06-18 22:02 | 手術 | Comments(3)
テキサスの神の手
“よう、ノビ!元気かい?”b0084241_924623.jpg
懇親会場の入り口で肩をたたかれ、振り向けばテキサスの形成外科の神の手ケン・サリエだ。
彼の特技は顔の骨をバラバラにしてつなぎ合わせ、面相を自由自在にとまでいかなくても、より整ったものに変貌させる筈の「頭蓋顎顔面外科」である。
明日からスタートする「第27回日本頭蓋顎顔面外科学会」の前夜祭が、京王プラザホテルで始まろうとしていた。

僕が「第9回」の会長を務めた時、ということは1991年だが、彼を横浜に招いて、特別講演をお願いした仲だ。
その時は会場が横浜そごうの9階の会議場だったので、“俺は世界中で講演をしたが、デパートで講演したのは初めてだ”と言われたのを思い出す。

この「頭蓋顎顔面外科」、英語ではCraniofacial Surgery というが、半世紀前にフランスの天才的な形成外科医、テシエによってはじめられ、その弟子たちによって世界中に広まった。
サリエもその一人である。

彼との付き合いは長いが、丁度その頃、ミシガン大学に留学中の僕の次女は、よく僕の海外の学会出張に同伴してくれたので、サリエと夫人のルーシーとも親しい。
残念ながら今回はルーシーは留守番のようだ。
そして僕の娘は三人の子持ちで、今はニュー・ヨークに住み着いている。

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所で晩さん会のメニューだが、決してアンチエイジングな取り合わせではない。健康のために少しカロリスをと思ったが、やはり和牛のおいしさに負けて、ついつい全部平らげてしまった。
アンチエイジング・ダイエットのスタートは明日からにしよう。
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by n_shioya | 2009-11-18 22:48 | 手術 | Comments(6)
出会い
カウンター席で配偶者と料理をつまんでいると、突然後ろから若い男の子に声をかけられた。服装からみると従業員の一人のようである。
“人違いならお許しいただきたいのですが、もしや塩谷先生では?”
“そうですが?”
ああ、やっぱり。とほっとしたように男の子は話し始めた。

“20年ほど前、北里大学でお世話になった○○です。”
“○○君?・・・”
そうだ。やっと思い出した。栃木県からお母さんに連れられて、赤ん坊のころから半年に一度治療に見えた。退官した頃もまだ小さな子供だったので、名前を言われても,すぐにはわからなかったのはいたしかたない。

“あれから東京に出てきて、今はこうして働いています。”
立派になったなあ、おめでとう。
声をかけてくれて僕は本当にうれしかった。

医者と患者は一生の付き合いである。
ことに形成外科医の場合、相手が子供の場合は手術が終わっても、やはり学校を卒業し、就職、結婚するまで、自分の子供のように気になるものである。何かそこまで見届けないと、治療が終わった気になれない。
いまでもわずかだが、年に一度は診させてもらっている方もいる。また、季節の便りを毎年くださる方も多い。

実は退官して数年たったころ、過去の40数年の患者さんすべてに連絡を取って、その後の様子をお聞きし、修正手術が必要な方は責任をもって、適当な専門医にご紹介できればと考えたことがある。
全部の患者さんの記録は自分なりに保存はしてあった。しかし、コンピューターの時代と違い作業は膨大で、また、自分のクリニックがないともままならぬので、そのままになってきた。

このようにいつまでも昔の患者さんが気になるのは、一つには手術というものも“人の技”で、完璧というのはあり得ないし、どれだけ仕上げが巧くいったかよりも、どれだけいたらぬ部分が残っているかに悩むのが、“形成外科医の業(ごう)”だからである。

その故に、こうして昔の患者さんから声をかけてもらうと、ああ、この俺でも少しは人の役に立ったのだと、あらためて嬉しく思うのである。
by n_shioya | 2008-12-02 23:32 | 手術 | Comments(9)
両下肢切断
昨日インターン時代のことを書いたせいか、半世紀前の留学生活のことがあれこれ思いだされてくる。

たった8年間のアメリカ生活である。もうそれからその5、6倍の年月がたっているのに、それよりもはるかに長く感ぜられるのは、年をとると時の進みが加速されるからか、それともその8年が一番充実した時期だったからだろうか。
アメリカに残された唯一の奴隷制度と言われた過酷な研修期間だったが、新鮮な刺激に満ちた毎日であった。
いろいろな患者との出会いもあった。
中でも一番印象に残ったのは、僕が両足を切断した、ターナー氏である。

元空軍パイロットのターナー氏は、動脈硬化による両下腿の壊疽で、両足とも膝の上で切断を余儀なくされた。
手術はチーフレジデントの僕が執刀し、70歳の高齢にもかかわらず、幸い回復は順調だった。
さすが元空軍将校だけあって、筋骨はがっちりしていた。

当然ながら義肢が必要となる。本人もそれを切望した。
このような場合アメリカの病院では、外科のほかに整形外科、リハビリ、看護部など関連各科が集まり、方針を討議する。義肢は整形、リハビリの分野である。
このようなカンファランスでは、各人が闊達に自分の意見を言う。
整形外科の部長はもう定年間近のせいか退嬰的で、何についても消極的であり、この時も高齢を理由に、両足の義肢はかえって危険を伴うと反対した。
その時である。もっと若い外科部長から雷が落ちた。
“本人がそれだけ自立する意欲があるのに、それを助けようとしないのは、あんたはそれでも医者か!”
このような場では、相手のメンツよりも患者のための正論が優先する。
年かさの整形外科部長は顔をしかめて、リハビリの担当者に対応を命じた。

立派に完成した義肢を装着し、リハビリ訓練も完了したところで、ターナー氏はバーモントの自宅に無事戻った。

数カ月して、我々夫婦はターナー氏に招待を受け、バーモントの山間の自宅を訪問した。
両下肢に義肢を付けたターナー氏は、時には車いすを使い、時には松葉づえを操りながら、家じゅうを自由に動き回る。
食後、我々を見送りがてら外に出た氏は、愛車を見せてくれた。
フォルクスワーゲンを改造して、足を使わず両手だけで操作できるようになっている。
一人で器用に飛び乗って、エンジンをスタートさせ、我々を街道筋まで送ってくれた。
医者が病気を治すのではない、我々にできるのは患者本人の治癒能力をさまたげず、その生きる力を後押しすることだけだと、深く感じさせられた一日だった。
by n_shioya | 2008-11-13 17:18 | 手術 | Comments(9)
上石先生のクラニオフェーシャル・サージャリー テキスト
近畿大学の名誉教授の上石君が本を出版した。
頭蓋顎顔面外科 術式選択とその実際」という、難しい名前の教科書である。
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頭蓋顎顔面外科とは英語ではクラニオフェーシャルサージャリーと言い,奇形や外傷で変形した顔や頭蓋骨をバラバラにほぐして形を復元する、最先端の形成外科である。
20世紀の中頃、フランスの天才的形成外科医、テシェによってはじめられ、現在では、微小血管をつなぐマイクロサージャリーとともに、形成外科の二大柱の一つになっている。
そして上石君はその両方の名手である。
いささか長くなるが、僕の『推薦のことば』お読みください。

「上石先生が頭蓋顎顔面外科のテキストを書かかれた。
内容は美容外科、腫瘍、外傷、発育異常、先天異常と5部門からなり、クラニオフェーシャルサージャリーから唇裂口蓋裂まで、およそ頭蓋顎顔面すべてをカバーした大著である。

上石先生は当代随一の形成外科医であり、こと頭蓋顎顔面外科関しては彼の右に出るものはいないと信じている。
彼は歯科と医科のダブルライセンスの持ち主であるが、かつてアメリカで最初の形成外科学会(アソシエーションと呼ばれる)ができたとき、歯科と医科のダブルライセンスの所持が必要条件とされた。それほど形成外科では、歯科の知識と技術が重要視された。
その後情勢が変わり、この伝統の維持は不可能になったが、ダブルライセンス保持者の優位さには変わりはない。
そして彼の学問と診療、手術に対する執念は並々ならぬものがあり、天性の器用さも兼ね備えている。彼との長い付き合いの仲で、僕はどれほど彼から学んだことだろう。

上石先生がレジデントとしてこられて間もなくの頃、ロテーション先の県立子供病院の形成外科部長だった前田華朗先生に僕はこういわれた。
“すごいですよ、今度の上石君は。”
傷跡がキレイに治るんですよ、唇裂でも何でも “
“でもそれは形成外科なら当たり前じゃない?”
“いや其のキレイさがぜんぜん違うんですよ”
大学に戻って改めて彼の手術に立ち会うと前田先生の言うとおりであった。
そしてレジデントのうちから唇裂・口蓋裂外来を任され、チーフを終える頃には其の頃台頭し始めていたクラニオフェーシャルサージャリーに取り組み始めていた。当時平行して誕生したマイクロサージャリーも、彼にとっては苦もない操作であった。神奈川県下での最初の切断指の再接着は彼の手で行われた。

形成外科とは美と血流との相克である”、と先達ミラードは喝破した。
形を整えるためには、ぎりぎりまで血流に切り込まねばならぬ。
やりすぎれば皮膚壊死を起こすが、遠慮しすぎると形がもたつく。
同様のことは顎顔面の骨切り術にもいえる。やりすぎたときの骨壊死の被害は、皮膚壊死の場合より遥かに深刻である。
その意味で形成手術は、絶対に足を踏み外せぬ“綱渡り”といえる。

なにによらず軸となる基本方針は重要である。
だが、形成外科の手術は一例一例がすべて応用問題である。マニュアル人間では勤まらない。

このテキストで彼が症例ごとの説明の展開にこだわるのは、原則をいかに現実に合わせるかのコツを示したいからであろう。
その意味で、本書は形成外科に携わるものの必読の書と行っても過言でない」

もし興味がおありでしたら、ちょっと覗いてください。
イラストは明快で、記述は簡にして要を得ている。
ただ、フォトは生々しいので、一般の方は気つけ薬のご準備を。
by n_shioya | 2008-09-27 23:17 | 手術 | Comments(8)
ジョン・ハンター
b0084241_1022898.jpgともかくハチャメチャな男である、このジョン・ハンターと言う奴は。

医学に多少とも関わっている方で、ジョン・ハンターを知らない方はいないだろう。
18世紀のイギリスの解剖学者、そして外科医
僕はちょうど、アメリカならボストンのビーコンストリートあたりにオフィスを構えたハーバードのスタッフにも通ずる、気取った英国紳士をなんとなくイメージしていた。
とんでもない。社交界だけではない、医学界の慣習をまったく無視して、ひたすら解剖と手術に没頭した、型破りの男のようである。

実は今朝から「解剖医 ジョン・ハンターの数奇な生涯」を読みふけっている。後100ページだが、このまま読み続けると、夜を徹することになり、ブログにアナがあくので、小休止。

初めて聞く話ばかりで、ただ、唖然としている。
むこうは土葬である。外科医の修行や研究には遺体が必要だ、それもなるべく新鮮な奴がいい。
そこで外科医は闇社会と結託して、昼間埋葬された遺体をよる盗掘する。
ジョンにはやはり外科医のウィリアムという兄がいた。其の手先として長年遺体を調達し、また其の腕を買われて、兄の解剖学教室の手助けをする。

まだ外科医は内科医からは医師とみななされず、床屋と同列に置かれていた時代である。
勿論、麻酔無菌法もない時代である。
当然手術は無麻酔で、素手で行われ、患者の大半は、痛み、出血、感染で死亡した、想像を絶する時代である。
内科医にしても、やることといえば、瀉血、下剤、そして嘔吐剤の三つしかなかった。

ハンターの偉いところは、既成の概念にとらわれず、自分で観察し、理詰めで対処法を考えたことである。
正統な教育を受けていなかったことも幸いしていた。(ちなみに僕も学校は大嫌いだった。もし学校教育で芽を摘まれなかったら、もっとましなことが出来てた筈だと、いまだに確信している。)
彼が近代外科学の父といわれるゆえんである。

何事でも、いつの時代でもパイオニアーは迫害を受け、イカサマ呼ばわりをされる。
僕もずいぶんこれまで、医者ともあろうものがといわれてきた。
形成外科を始めたときでも、美容外科に手を出したときも、そしてまたエステに関わったときも。さらにはアンチエイジングですら。
だが、ハンターの伝記を読むと、もっと罵声を浴びるようにならなければ、一人前とはいえないようだ。
今からでも遅くはない、これからは顰蹙を恐れず頑張ろう。
(配偶者曰く:顰蹙をかえばパイオニアーになれるわけじゃありませんよ!)
by n_shioya | 2008-09-20 22:50 | 手術 | Comments(12)




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