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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
徳田虎雄がついにカミングアウトした、ALS患者として。
筋萎縮側索硬化症、通称ALSの患者の会に姿を現したと新聞に報道された。 車椅子で、気管切開のため自分では話せず、原稿を代読させたという。 4年前、彼がこの病に犯されたことはもれ伝え聞いた。病状の進行は早く、まわりではすでにXデーまでささやかれていた。が、公にはされていなかった。 原因不明のこの病気は随意筋が徐々に麻痺して最終的には呼吸もできず、目を動かすことすら不能になる、つまり意思表示も不可能になるが、最後まで脳の働きは保たれるという恐ろしい病気である。 昔アメリカの野球選手、ルー・げーリックがかかり有名になり、別名ゲーリック病とも呼ばれる。 物理学者ホーキンスの疾患もこれである。 徳田氏とは徳州会創立以来の付き合いである。 ある日突然彼は僕が赴任早々の北里大学まで人買いに来た。 どうだ徳州会に参加しないか、という誘いである。 何故といぶかる僕に、“俺はね、アメリカ帰りでうだつのあがらない奴を一本釣りしているんだ”という。 うだつはあがらないかもしれないが、まだ北里に移ったばかりなので、と丁重にお断りしたが、なんとなく気が合って交友が始まり、医局員もお世話になるようになった。 “俺は天才的なアジテーターだ”と豪語したとおり、惰眠をむさぼる日本医師会に揺さぶりをかけ、二十年ほどで日本全国に徳州会という病院網を張り巡らした。 はじめに述べたようにALSの恐ろしいのは、進行すると手足だけでなく随意筋のすべてが麻痺して、意識は保たれているのに、意思表示が出来なくなることである。 又呼吸もままならなくなり、肺炎を併発しやすい。通常なら気管切開を必要とするような状態に陥ったとき、延命処置をすべきかどうか治療に当たる側は、植物人間の場合以上に苦しい立場に追い込まれる。全身が麻痺してかろうじて意識だけが残った状態が本当に望ましいかどうかという悩みである。 そのため通常は意思表示が可能なうちに、気管切開による延命措置を望むか否か、本人の意思を確認しておく慣わしだという。 徳田氏はあくまで生き続けて、徳州会を育てる道を選んだようだ。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-30 21:12
| QOL
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このところ上符院長の留守をカバーをする機会に恵まれている。
今日も午前から午後にかけて数時間、院長の代わりを務めた。 四月に名誉院長を引き受けたとき、“何をすればいい?”と聞いたら、関係者が慌てふためいて、“い、いや先生。何もしないで結構です。”といわれ、“ア、よく分かった”といった手前、診療には余り口を出さないでいるので、このようなカバーは患者に接するいい機会である。 殆どがもうキレーション暦数回、人によっては数十回のベテランなので、むしろこちらからキレーションの効果についていろいろお伺いすることにしている。 回を重ねるほどに、体調がよくなるというか、その効果が実感されて来るようだ。 2時間ほど、点滴で拘束されるわけだが、忙しい方にとってはかえって安息の時間にもなるようだ。 又、パソコンを持ち込んで仕事をこなしている方もある。 夕方は抗加齢学界の台風の目、失礼、大黒柱、久保田恵理嬢が打ち合わせに見えた。 ちょうど日曜の学会を終えたばかりの、湘南鎌倉病院の山下理絵ちゃんも寄ってくれたので、三人でというよりは女性二人で、日本の抗加齢医学はどうあるべきか、来年のモンテカルロの学会にどう関るか、皮膚のアンチエイジングをどう展開すべきか等、喧々諤々の議論が続いた。 最近は医学の世界でも、ウーマンパワーのほうが強烈である。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-29 22:45
| アンチエイジング
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![]() 北里大学名誉教授の立川昭二先生のサインである。 “カロカカディア、美しく良く生きる”とある。 カロカカディアとははギリシャ語だそうだ。 昨日メンタルケア協会の理事会の後、立川先生が銀座クリニックにお寄り下さった。 立川先生は医史学の大家で、現役時代はご一緒に、医の倫理だの病気の文化史だの、ご教授いただいた仲である。 ![]() 院長室で二人でコーヒーをすすりながら、クリニックで行われているアンチエイジングの治療のご説明をすると、先生は言われた。 “もし、若返りたいという患者に対しては、先生はどう答えられるのですか?” まさに禅問答で、“ソモサン”と切り込まれた感じである。 こちらは“セッパ”と応じなければならない。が、答えが出てこない。 それがアンチエイジングですよとも言い切れないし、かといって何時もの、老化という時計の針 を多少戻し、進みを遅らせることですよ、といった月並みな言い方ではこの際答えになりそうもない。 うーん、と絶句したままだった。 もっとスピリチュアルな、どうもこの言葉も適当でないが、精神的とも違うし、先生は言葉を捜されていたが、要はもっと別の次元に目を向けよといわれていることは解る。 その後例によって又ギリシャ哲学や養生訓などの話に花が咲き、帰られる前にゲストブックに書かれたのが冒頭の言葉、“美しく良く生きる”、ギリシャ語の“カロカカディア”であった。 なるほど、“美しく良く生きる”、これこそアンチエイジングの真骨頂であるべき、とさすがの僕も悟らされた。 この言葉の前には、よくアンチエイジングが意味するとされる“健康長寿”すら、浅ましく感ぜられるほど、迫真性に富む言葉であった。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-28 23:46
| アンチエイジング
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僕が理事を務めるメンタルケア協会が財団認可の内諾を得たということで、今日交じゅん社(漢字が出てきません)でお祝いの昼食会があった。
メンタルケア協会とは精神対話士という方々を養成し、派遣する団体である。 心理療法士とは違った面で、人々の話し相手になる職種であり、昨今はことに高齢者の話し相手として、その重要性が認識されてきた。災害時に精神的トラウマに悩む人の助けにもなり、又介護施設での需要も増大しているようである。 公益法人見直しの時期に、よく許可が下りたと感心するが、長木理事長、佐藤会長その他の理事特に長木専務理事のご努力に負うところ大といえる。 ![]() 午後はクリニックで、防衛庁後に予定されているミッドタウンクリニックの進捗状況について、関係者からご報告をいただいた。 来春の開院を目指し、準備は順調に進んでいるようである。ジョンスホプキンスとの提携は、ぬるま湯の日本の医療界に黒船級のショックを与えてくれるとよいが。 その後、「サードエイジスタイル」という雑誌の取材があった。 エイジングに関する特集を組みたいということで、日ごろの持論、アンチエイジングといっても老化とドンキホーテ的に闘いを挑むのでなく、健康長寿平たく言えば老いと如何に折り合いをつけるかが肝要、とお話して納得いただけたようである。 アメリカでは本気で不老不死を目指す医師団も居るが、彼等の持論は老化は病気である、病気を絶滅するのが医師の使命である以上、究極のゴールは不老不死である、というイラク破壊と全く同じ単細胞のブッシュのメンタリティである。しかもオイル利権と同じ構図まで背後にある。 ラムズフェルドが解任され、イラクから如何にに撤退するか本気で議論が始まっている時、アンチエイジングの原理主義者も考えを改め、なによりもあのあくどい商業主義から脱皮すべきであろう。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-27 23:18
| アンチエイジング
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塩谷信幸先生
本日は、第1回日本美容抗加齢医学会を開催するにあたり、ご支援、ご協力を賜わり誠にありがとうございました。先生方のお蔭で、無事終了することができました。 学会屋さんを頼まず、自前の学会で、不慣れなめ運営その他に何かと至らぬ点もありご迷惑をおかけしたと思いますが、何卒ご容赦いただけたらと存じます。 次期、来年度開催時(予定・11月18日(日曜日)です。)には、また、ご協力をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございました、心からお礼を申し上げます。 2006年11月26日 第1回日本美容抗加齢医学会 会長 山下 理絵 湘南鎌倉総合病院 形成外科・美容外科 クリニーク・ラ・プラージュ葉山 抗加齢美容医学センター 返信 山下先生: イヤーよかったですよ。自前の学会、内容も充実して、本当によくやった! さすが理絵ちゃん、みんな喜んでいました。 来年も楽しみにしています。 昨夜のインターコンの中華の招宴も楽しかった。 今夜はゆっくりお休みなさい。 塩谷信幸 ![]() ![]() ■
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by n_shioya
| 2006-11-26 23:06
| アンチエイジング
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朝から居間のソファに寝そべって、東山魁夷の小画集というか絵入りエッセイを楽しんでいる。
まだ風邪が抜け切らず、大切な昼のアポも延期してもらい、家でグダグダとしているのだ。 窓の外は抜けるような澄んだ秋空が広がり、窓枠には逆光を背にリアドロの少女が花籠を捧げている。 少女とほぼ同じ高さのあたりには、鉢植えのミニ・シクラメンが数輪の花を咲かせている。その白地に薄桃色の覆輪はロアールのシャトウーへと僕をいざなってくれた。 ![]() 以前、ロアールのシャトウ巡りの拠点として僕が選んだのは、ツールの南のシャトー・ダルティニーだった。11世紀の古城を香水王コティがシャトーホテルに改装したものである。 それが旅行社の手違いで、同じツールの近くだが、北方に位置するシャトウ・デスクリモンが予約されていた。 幸いこれも由緒あるシャトウホテルである。 ここを拠点に僕たちはロアールの城めぐりを楽しんだ。 緑に広がる広大な庭園には,林に囲まれた池が静かに横たわり、岸辺には小振りの野生のシクラメンが群生し、淡いピンクに縁取っていた。 「憧憬と郷愁、別離と帰郷―――それが旅の姿である。しかし、もし、この二つの異なった方向が一つの輪に結ばれていたら、そのような宿命を持つ旅人は、何時までも輪を描いて歩き続けることになる。」と東山画伯は序文で述べられている。 僕も旅人の一人として、之までその宿命を楽しんできた。 僕の憧憬はとどまることを知らない。まだ訪ねたい国も数多くある。 ロアールだけをとっても、見残した城の方がはるかに多いし、泊まりも今度はシャトー・ダルティニーで一夜を過ごしたいなどと思う。 ソファーに寝そべったまま、僕は野生のシクラメンがもたらした憧憬と郷愁の輪を楽しんでいた。 小画集には 「安息は人間にとって神聖なもの ただ狂人だけが急ぐ」 とも書かれていた。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-25 14:20
| QOL
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あれから学校教育について考え続けている。
勿論何もまとまった結論がでたわけではない。 ただ思いつくままに書き連ねていく内に、何か明かりが見えてくるかも知れぬと言う淡い期待を持って書き始めている いったいお前は何が言いたいのか? もし教育がその人の持っている能力を引き出すことにあるならば、僕はやはり学校教育には不向きな人間であって、学校教育によってその能力を犠牲にさせられ、多少ともあった独創性もそぎ取られたような被害者意識から逃れられない。 もしやり直せたら? そう、まず、そのときに興味を感ずることに、それだけに没頭してその時点での限界に達するまで、とことん追求すること。この習慣を小学校の時に会得しておく。 全く野放図と言う訳にも行かぬだろうから、せめて必須の教科は半分にし、残りは自由選択で一つのテーマに集中させる。 ただ凡百の知識を詰め込むより、一つでいいから自分で見つけた問題と徹底的に取り組み、何とか解決まで持っていくことが、長い目で見ればその過程で、又自発的な興味が刺激となって必要な知識もついてくるような気がする。 振り返ってみると、昔の中学はまだ余裕があった。 僕はそのとき興味がないものは完全に無視することにして、興味のあるものに専念した。 例え無視した科目で零点をとっても、興味を持った科目でそれをカバーしてしまう。 例えば好きな英語なら先ず自分の読みたい本を原書で格闘する、例えそれが大学レベルの本でも。すると文法だのスペルなどはその必要性が理解され自然に身につく。 生物も大学の教科書や副読本的なものを読み漁った。 化学もペットの一つで家の車庫の二階を改造して、実験室とし、試薬や試験管と遊んでいた、今の子がコンピューターゲームに熱中するように。 すると中学の教師が聞いてくる型どおりの質問より、もっともっと高度な疑問がわいてくる。その疑問に教師が答えられないのが又面白い。 ただどういうわけか物理は嫌いだった。社会、国語は完全にネグった。 つまりこんな片輪な生徒も、昔の中学は許容できたといえる。今にして思えばもっと片輪であるべきだった。 聖書の言葉に毒麦とよい麦のたとえがあったようにおもう。初めから選別せずに、まず両方とも自然に伸ばせ、さもないとよい苗も育たないと。 まず疑問を感ずる心を持ち、その解決を追求する探究心。まず之が中心になければ。 之はただ学問だけではない、芸術、運動も含め人間の営みすべてにいえることだろう。 ここで又、このごろお家の事情で途切れていた、ゴルフの中心感覚に話は戻ってしまいそうだ。 だが之を学校教育の現場で実現するには、教える側のキャパシティ、人員も含め、が要求される。 それがかなわぬから、学校教育は教える側の都合に合わせた、理想と程遠いシステムだといったのはそのことだ。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-24 23:40
| コーヒーブレーク
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無事終わった。
アンチエイジングネットワークの第4回公開シンポである。 満員御礼で立ち見が出るくらいだといいが、と事務局の人たちと話していたが、まさにそのとおりになった。 幸い消防署からも定員オーバーのお咎めもなかった。 講師の方々の話も分かりやすく、フロアからの討論も活発で、シンポジュームそのものはなかなか好評だった。 ことに始めて聴く中谷彰宏氏のお話は新鮮で、医師と違った視点の発想があり、目から鱗の感があった。つまり、己が旗を振っているアンチエイジングとは、実はこう受け止めるべきものだと、改めて感心させられたというのが本音である。 また、事務局の方々本当に有難うございました。 ![]() 僕はまだ風邪がぬけ切らず、懇親会を早めに失礼して家に戻ると、なんとこの寒いのに暖房機器が壊れてと配偶者に告げられた。 もう30年以上も昔の器械で、前回故障したときは業者からもうこのタイプのものは手に入らないようなことを言われたという。 何時修理が可能か、又新たに設備投資が必要になるか明日にならぬと分からない。 人一倍寒がりの僕は、鼻水をたらし咳込みながら、氷河期を迎えるマンモスのように厚い毛布に包まって、今宵は過ごすことにする。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-23 21:43
| アンチエイジング
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先日は教育基本法がらみで、自民党や霞ヶ関をこき下ろし文科省廃止論まで唱えたが,
僕は決してアナーキストでもないし、又一時のヒステリー発作でもない。 だが戦後の学制改革の混乱のあおりをくらい、学校教育とひいては国家に対する根強い不信感があることは確かだ。 また、本質的にはというか現実的には、政府や政治家は必要悪であると認識した方が受け止めやすいとも思っている。 なぜなら政治とは人間社会に「秩序」をもたらす営みだからである。 そして秩序を維持するためには権力が必要である。 しかも政治を動かすのは人間である。残念ながら政治家、役人も人間である以上、普通の人と同じようにいやそれ以上に権力志向が強く、利権にしがみつく傾向がある。 彼らが国民の利益よりも自己保全と昇進を優先させるのは当然であろう。 そして彼らは自分の権益が侵されそうなときは、国家の名において、個人の自由を侵害しようとする怪物に変貌する。 桜田淳氏に拠れば、「政治は恫喝と利益誘導と象徴の操作による説得で秩序の維持を試みる」という。(詳しい事はちくま新書の氏の「国家の役割とは何か」をお読みいただきたい。) 財務や経済産業育成に関ることはある程度それもやむをえないだろう。 だが教育は違う。 教育とはものの考え方そして価値観を植えつけるものである。 権力闘争に明け暮れ、利権にどっぷり使ったやくざな連中には、子供たちに価値観を説く資格があるだろうか。 逆に彼等は体制維持に都合よくすべく、やがては思想のコントロールを試みるであろう。 だいたい恫喝によって愛国心が生まれると思うか、この大馬鹿者めが。 かねがね疑問に思うことは、学校教育が何故本当に必要なのかと言うことである。 教養、人格育成のためなら、もし可能なら個人教育のほうがはるかに優れているといえよう。 学校教育は一つには、教える側の便宜のために考案されたものと言える。 一時間ごとに算数、国語、理科と頭を、まして興味の対象を切り替えさせられることが如何に不自然なことか。 とはいうものの社会生活への順応と、友達を得ることだけでも、充分に学校生活の意義は認めるが。 為政者よ、まず人間はどうあるべきかを考え、自分でそれを実行すべく努力せよ。 そして如何に利己的でなく、金に綺麗で、権力に恬淡であることが難しいか自覚せよ。 自分が如何に卑劣な妥協の産物か、恥ずかしく思え。 そして素直に自分達の非を子供たちに詫びたうえで恥ずべき行動をやむなく続けるなら、ちっとは子供たちも見直してくれるだろう、ダブルスタンダードに一番敏感で、反吐をもよおすのは子供たちだから。 そして教育と文化には充分な予算をつけ、へたな口出しは一切控えること。そうすればこの国もちっとは美しくなるかもしれない。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-22 17:11
| コーヒーブレーク
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やはり疲れが溜まっていたらしい。
風邪と言うほどでないが日曜から何か体調が悪く、昨日、今日と仕事を休んで家でおとなしくしていた。無理して日曜にクリーブランド展に行ったのもよくなかったようだ。 明後日がNPOアンチエイジングネットワークの公開シンポなので大事を取ったのである ところでやっと無事48時間が過ぎた。 幸い何事も起こらなかった。 実は日曜の夜、加熱用の牡蠣を間違えて生で食べてしまったのだ。 牡蠣鍋の予定で食卓に牡蠣が先に出ていたのを、酢牡蛎と間違えて意地汚く三粒ほどつまんでしまったのである。 あら、それ生食じゃないわよ、と鍋を運んできた配偶者にいわれ、パッケージを見ると生では食さないこととラベルが貼られている。 さすがに気になって「生牡蠣」をグーグルで検索すると、 “加熱用牡蠣は生で喰うとメチャクチャ旨い”というのがトップに躍り出た。 それはいいが、“危険なので絶対まねしないようにお願いします。”と注がある。 「ひげ親父の秘密小屋」というサイトである。 要は生食用は加熱用と違い、出荷前に1日から3日ほど滅菌処理をするのだそうだ。それで毒素や黴菌がデトックスされる。と同時に牡蠣はその期間絶食状態になるので、味はおちてしまう。 反対に加熱用は生きがよくて美味であるが、貝毒や黴菌特にノロウィルスの感染の恐れがある。 ノロウィルスの潜伏期間は12時間から48時間。いったん感染すると吐いたり下したり、七転八倒の苦しみが続く・・云々とあり、愕然とした。 “幸い死にいたることはめったにないが、と書かれていても余り慰めにはならない。 そこでこの食い意地は人並み以上で、肝っ玉が並外れて小さい心配性の男はどうしたか? 片っ端から知り合いの医者に電話をかけまくった。 日曜の夜なのでなかなかつかまらない。つかまっても、俺は専門じゃないしとか、胃洗浄と言うわけにもいかんから、下剤でもたっぷり飲んで早く下してしまったらなど、無責任なことを言う。 夜半近く、やっと連絡が取れた年来の主治医の西元寺先生に一部始終を訴えると、 “別に味がおかしかったわけじゃないでしょ、心配ないですよ、よくあることですよ。”とちょっとばかりおかしそうに、慰めてくださった。 それでも何時異変が起こるかピリピリしつづけて配偶者を悩ませたが、あれから48時間、もう大丈夫と思い、ここに恥を偲んで報告する次第である。 ところで風邪が治ったらまず一番にしたいこと・・・オイスターバーに行って殻つきの生牡蠣を腹いっぱい!食べること。 性懲りもない男である。 ■
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by n_shioya
| 2006-11-21 19:00
| 食生活
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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