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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
「医学部の教授はどうやって選ばれるんですか。」T氏に突然聞かれた。
T氏はアイディアマンである。年中新しいアイディアをひねくりまわしている。 そしていつもポッと質問が飛んでくる。 彼の頭の中では脈絡があっても、聞かれる方はその質問の理由というか位置づけがわからないと答えにくい。 それによって答え方も異なる場合もあるからだ。 だが、この質問は答えやすい。矛盾だらけのシステムで、「白い巨塔」はまだ生きているからだ。すんなり決まる場合もあるが、えてしてどろどろとした権力闘争の場になるからである。そして権力闘争の手法は本質的にどの職種でも同じである。 “あくまで一般論で、また、医学部の特殊性もあるかもしれないが・・・”と前置きして、つぎのように説明した。 まず、教授の退官が決まると、後任選出のため、教授会で選考委員を選ぶ。通常6名程だ。 その委員会が多数の候補者の中から、研究、診療、教育の三点に人柄も加え、慎重に審議し、三名に絞り込み、場合によって順位を付けて教授会に提出する。後は教授会の投票で、過半数を獲得したものが、次期教授に選ばれる。 最近では、三名の候補を委員が面接したり、教授会でプレゼンをお願いする場合もある。 と、これはあくまで建前で、実際には学内に派閥がある場合は、古い大学ほど派閥のしがらみは強いが、その陰で派閥闘争が熾烈に行われることが多い。 又、これに外部からの圧力が加わることもある。 その結果、当然と思われる人が排除されたり、なんであんな奴がというのが選ばれることも多々ある。 その理由は多々あるが、 まず、前任教授は選考に加わらない習慣なので、選考委員は皆専門外の人間である。教授会も同様。極端に言えば門外漢たちが選ぶわけだ。 前任教授の意向も参考にする場合もあるが、その教授のそれまでの学内での評価が悪ければ、かえってマイナスになる場合もある。 教育、診療と云ってもその実力は評価しにくいし、まして数値化は出来ない。 診療の腕にしても、何が「名医」の判断基準かはそう簡単ではない。 ただ最近は台所事情もあって、国立大学でも診療実績、平たく言えば集客能力を重視する傾向はある。 唯一客観評価が可能なのは研究業績である。これも中身より数がものをいう。門外漢たちには中身の評価は難しいからだ。だから昔は教授選考は屑屋の仕事と同じとさえ言われた。論文の目方を計るだけだから、というわけである。 最近では論文の質を、インパクト・ファクターという数字で表すことが可能になったが、この総数だけで決めるなら、コンピューターに選ばせたほうがずっと手間がかからない。 とは言ってもTさん、大方の場合は、妥当な人事に落ち着くだけの良識は働く世界と安心していただきたい。 日本の「首相人事」のように、派閥の論理だけで、「阿呆」や「無責任男」のタライまわしということでは絶対ない。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-30 21:15
| 医療全般
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昨日は神奈川鉄門会の年次総会に出席した。
場所は横浜西口のホテルトーキューであった。 鉄門倶楽部というのは東大医学部の同窓会で、神奈川鉄門会はその支部である。 270名の会員のうち、出席者は50名ほどで、例年にない良い出席率だそうだ。僕も久方ぶりの出席である。 ![]() 東大の本郷キャンパスにはいくつかの門(入り口)があるが、最も医学部に近いのが鉄門だったのでその名がついたようである。 総会後、懇親会に先立って、昭和41年卒の吉村君の「臨床研修医制度について」という講演があった。 彼は今問題になっている悪評さくさくの卒後5年間の「臨床研修医制度」の見直し委員会の委員である。 今騒がれている医療崩壊の一つの原因はこの制度にあるとさえ言われている。 一番問題なのは、前期2年の研修制度とマッチングという採用法であり、取りあえず一年に減らす方向に討議しているという。 これは僕も全く賛成で、大体なんでこんなものをスタートさせたのか不可解であり、全廃して、臨床研修は学部教育に落とし込み、そのベッドサイドを充実すべきと思っている。 僕がこの極論を唱えるのは、半世紀前、医学部が発端で学園紛争始まったとき、青年医師連合(通称青医連)と一緒に、インターン制度廃止、と医局制度の改革に血道をあげ、挫折し、さらに北里大学で医局のない研修制度の確立を試み、これも失敗に終わった苦い経験からである。 医局制度は平たく言えば芸者の置き屋みたいなもので、悪しき面もあったが、日本ではその必要性もあったことは認めざるを得なかった。 結論から言えば、研修制度により医局制度が崩壊し、置き屋を失った芸者が右往左往しているのが現状と言える。 医師不足についても彼の分析は明快だった。 今医師は総数としてはそれほど不足しているわけではない。ただその地域と専門による偏りが問題である。 さらに高齢でも診療を続ける医師の数は増えて続けている。 今医学部の定員を増やしても、それが一人前になるには最低10年はかかる。 そのころは却って医師過剰になり、いったん増えた医師を減らすのには50年かかることになる。 結論は、行政が場当たりにあちらこちらいじくって、さらに混乱を増大することはやめて欲しいということだった。 これも僕は大賛成である。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-29 22:31
| 医療崩壊
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今日は一週間遅れの「父の日」。
先週の日曜日が仙台だったので、今日皆で祝ってくれた 僕は「母の日」以外は毎日「父の日」だから、と遠慮したのだが、家族で集まるのは楽しいものである。 皆と云っても半分近くはニューヨークだが、日本にいる孫、子だけ集まっても、我々を含めると10人を超える。 塩谷家も大家族になったものである。 昔読んだ講談を思い出した。 一休和尚がある人から、一家のために縁起のいいお言葉をと願ったところ、 さらさらと書いたのが、 “親死に、子死に、孫死に、この家葬式千件。” “なんですこれは!”と色をなした家の主に一休答えて曰く。 “これこそ子孫繁栄の証ですぞ”。 我が家はこれにまだ遠く及ばない。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-28 23:39
| コーヒーブレーク
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今日はまたちょっと硬い話。
褥瘡のセミナーの報告である。 「褥瘡」?それなに?などいまさら聞かれる方はこのブログの読者にはおられないと思うが、念のために申し上げると、いわゆる「床ずれ」のことである。 ただ「床ずれ」と言うと、何か寝たきりになれば出来て仕方がない、という印象を与えるので、我々は極力その言葉を避けている。 褥瘡は防げるものである、そしてたとえなっても適当な治療で治癒させられる。 これが我々年来の主張で、そのために学会も設立され、今日の(株)ケープ主催の「褥瘡予防ケア最新情報」もその趣旨で、看護師や介護関係者を対象に開催された。 俺、そんなの関係ないと思わないでいただきたい。 明日は我が身かもしれないですぞ。 厚労省が望むように全国民がぴんぴんころりと逝ってくれればいいが、統計的には最後の数年は要介護ということが、世界的に言われている。認知症を含めた様々な老人病や、それでなくても高齢による車いすや寝たきりの生活、これが褥瘡発生の環境を作る。 そして今政府は、医療・福祉の予算削減をめざして、折角スタートした介護保険を削減し、介護施設を切り捨て、屁理屈をつけて在宅介護にシフトしようとしている。 あなたご自身でなくても、いつ家族にこの問題が発生するかわからないと事態になった。 長時間皮膚が圧迫されれば、ことに骨の上だと、褥瘡が発生しやすい。 裏返せば、頻繁に体位交換し、スキンケアをすれば防げるわけである。だが実際にそれにも限度がある。 そこで今一番重視されている補助手段の一つが、体圧分散マットレスと云って、マットレスに工夫を凝らし、体にかかる圧をなるべく分散させる方法である。 そして(株)ケープはこの道一筋に、介護用ベッドのマットレスを研究開発してきた会社である。 今日のプログラムは 「DTI(深部組織損傷)に対する看護ケア」杏林大学:丹波先生 「褥瘡予防ケアに役立つやさしい物理学」芝浦工業大学:米田教授 「最新の褥瘡管理2009」東京大学:真田教授 の三講演だった。 僕が座長を務めさせていただいたが、素人の僕にもわかりやすい、しかも最先端の興味深いお話だった。 ![]() ![]() 今日の参加者は看護師を中心に約800名。 梅雨時とも思えぬ32度の真夏日をものともせず横浜パシフィコの大ホールに参集し、講師お三方の提供する最新情報を熱心に聴き入り、メモをとり、また鋭い質問を浴びせかけていた。 いつもながらこの問題に関しては、看護師さん達のほうが、大方の医師よりもはるかに熱心で、意識レベルも高いのは、座長としては嬉しいような、医師としては情けないような複雑な心境である。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-27 22:01
| スキンケア
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梅雨の晴れ間を縫って、新緑の八ヶ岳を訪れた。
レンゲつつじは終わりに近かったが、サラサどうだんと菖蒲は今が盛りである。 遠目には緑の灌木に薄桃色の粉がまき散らされたよう見えるサラサどうだんだが、近寄ってみると朱色の風鈴のような可憐な花が横一列に連なっている。 そして草叢のそこここには、ほの白い銀鈴草がみえ隠れしている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ここは何よりも空気がおいしい。 三晩連泊して、やっと都会の毒ガスが体から抜け切った感じになった。 昔「占い師」から言われた言葉をまた思い出した。 “貴方さんはな、森の精気を吸って生きていくお方じゃ。” 確かに数カ月都会暮らしをすると、無性に山が恋しくなる。 山に登るでもない、ひざの故障のため今回は散歩もままならなかった。 読んだ本はタダ一冊、黒木登志夫の「健康・老化・寿命」である。~人といのちの文化史~の副題通り、まことに含蓄のある著書だった。 2年がかりで書き上げたというが、僕の経験に照らしても、さぞ大変な、だが楽しい作業でもあったろう。 そして今日、山から下りると下界は30度の真夏日。 毎夜ストーブを焚いた山の涼しさがウソのようである。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-26 22:30
| コーヒーブレーク
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「僕の死生観」。
大げさなタイトルで、我ながら気恥ずかしくなってしまう。 が、ことの起こりはこうだ。 今作業しているアンチエイジングの啓蒙書について、ライターの方と打ち合わせていると、突然こう聞かれた。 “世間ではアンチエイジングの目的は「QOL」だと言われますが、むしろ大切なのはクオリティ オブ デスではないでしょうか。” 確かにそうかも知れない、感覚的には。だが、クオリティ オブ デスとは一体何だろうと考え始めたのである。 本当のところ、僕はあまり「死」について考えてこなかったのに気がついた。 なぜだろう、人の運命は一寸先は闇ともいえるが、唯一確実なのは死で終止符が打たれるということなのに。 そう言えば去年、「医師の死生観」という本を読んで、いろいろもっともらしい考えが述べられているのに感心したのを思い出した。 どこかの製薬会社の月刊誌に、毎号医学界の著名人が書き記したのを一冊にまとめたものであった。 「原稿を依頼されて改めて考えると・・・」といったニュアンスの書き出しの方も結構おられたので、大方は深く死について考えることなく日常を過ごされているようだと安心した覚えがある。 と同時に、いずれは自分でも掘り下げて考えねばと思っていた矢先だった。 さて「クオリティ オブ デス」とは何だろう? まず、死に直面した時の自分の心構え。 死んで行くときの自分の状態。 死後の世界の有無、これは神の存在つまり信仰につながるが。 等々考えられるが、一つに括れば“死と如何に向き合うか?”ということになるかもしれない。 僕の場合は幸か不幸かあまり大病もせず、死と対決したことがなかった為、この問題にあまり深入りしなかっただけで、何か病気を抱えていれば、特に病気によっては、絶えず死の影にまとわりつかれて、考え方も違ってきたかもしれない。 それと子供の時から刷り込まれた“神体験”のおかげで、死は生の終着点ではなく、新たな生の始まりと無邪気に信じ込んできたおかげでもあろう。 今日のところはここまでにしておくが、「死」についてアインシュタインはうまいことを言っているので引用させていただく。 “死とはモーツァルトが聴けなくなることだ。” ちなみにこれは物理学者のアインシュタインで、モーツァルト学者のアインシュタインではない。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-25 21:45
| アンチエイジング
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先日、中学のクラスメートのWからアマチュア画家のグループ展に自作を出展したという連絡を貰い、銀座の伊東屋ギャラリーを覗いてみた。
ちょうどレセプションの時間帯だったので、クラスメートの何人かに会うこともできた。 Wは中学時代から絵が好きで、セザンヌ張りのなかなか味のあるデッサンを描いていた。 “君たちにはこの絵の味はわからんだろうが”というのが、美術の担当の教師の褒め言葉だった。 よく遊び、更によく遊ぶタイプだったので、大学の最終学年の終わり頃、突然電話があり、“俺、日銀に受かっちゃったよ”と言われ、思わず“ひぇー、まさか!”と叫び、“やだなー、みんなにそう言われるんだよ”と嘆かれたのも、懐かしい思い出である。 Wはその後銀行マン稼業に追われ、キャンバスから離れていたが、少し時間もできるようになったので、3年前にこのグループに入ったという。 そう言えば先週藤原賞をもらった従兄弟も、最近先生について絵を始めたと言っていた。 手先を使い、感覚を刺激する点で絵を描くことは、アンチエイジングの強力な武器の一つと考えられている。 “あなたも始めたらどう”と配偶者にけしかけられて悩んでいる。 最近読んだ安野光雅の「絵のある生活」という岩波新書にこんなような一節があったように思う。 「アマチュアは好きなように描けばいいのです。デッサン力などにこだわることはありません。今は何でもありの時代で、プロが素人っぽく描いたりするが、あれはワザとらしく嫌味です、ま、ピカソならそれも許されるでしょうが。」とアマチュアの特権をけしかけていた。 現役のころ、毎回新入のレジデントに一年間、週一で夜デッサンの指導を受けさせたものである。 デッサン力が目的ではなく、観察力を養うためであった。平たく言えば、いかに自分の目が狂っているか自覚させるためであった。 最後に自画像を描かせたが、これが面白かった。作者の性格がよく出てしまうからである。 ゴッホに似た自画像を描いた男は、その後は手術も生活もゴッホ張りで、周囲を辟易させたものである。 新入医局員の選抜には、面接よりも自画像を描かせた方がよいのではという話にまで発展したのを今思い出す。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-24 22:24
| アンチエイジング
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ひざの痛みがやっと取れてきた。
ひと月前、何もしないのに急に左ひざの内側が痛み始めたことは、このブログでご報告したとおり。 ちょうどその数日前に、知人から“ところで先生は膝は大丈夫ですか?”と聞かれ “何でもありませんが、何故?” “いや年をとるとまず膝に来るそうですから” というやり取りがあったばかりだった。 確かに膝は一番運動と体重のストレスがかかるところで、加齢とともに関節面の軟骨が摩滅しやすい。 それが進行すると変形性関節炎となり、手術や再生医療の対象となる。 整形外科の同僚に診てもらったところ、膝に着く筋肉の軽い腱鞘炎のようなもので軟骨には異常は認められないということで一安心したが、その後回復ははかばかしくない。 しかも曲げ伸ばしするたびにコキン、コキンと音がして不安をかきたてる。 たかがと言ったら失礼だが、膝の故障でこれほど日常生活が不自由になるとは思わなかった。 街を歩いていても、今までは見過ごしていた車いすの方や、つえをついている方が多いのに改めて気がついた。 よく医者は死なない程度に病気や手術を経験すべきだというが、確かになってみないと病人の苦しみはわからない。 幸い今日あたりからやっといたみも取れはじめ、コキン、コキンという音も、あまり気にならなくなった。 アメリカ人の言い草だと“You will live(もうお前は死ぬことはない)”というわけである。 だが、考えてみると、ひざ関節もこれまでストレスを良く耐えてきたものだと感心する。関節の分泌する潤滑液で保護され、それでも摩耗する軟骨は気づかぬうちに修復してくれる。 先日、ヨットになぞらえて人体の逞しい復元力に思いを致したが、今日は改めてその修復能力に脱帽した。 まだまだ老いには負けませんぞ。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-23 22:53
| アンチエイジング
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学会に次ぐ学会で硬い話が続いてしまい、美女軍団はどうしたと言われた。
彼女らは健在である。 多忙な学会の合間にも、美女軍団との楽しい語らいは続く。 今日は目の保養にその2,3ショットを。 個人情報保護条例を順守し、正体を明かすことは控えますが。 ![]() ![]() ![]() ■
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by n_shioya
| 2009-06-22 23:19
| コーヒーブレーク
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この週末は“杜の都”仙台で過ごした。
配偶者の母方の親族は仙台の旧家で、一族から政治家、学者などを輩出している。 だが面識のない従兄弟同士もいるということで、従兄弟会という名目で皆が一堂に会した。 ![]() 市内から広瀬川をへだてた丘陵地に建ち、街を一望のもとに見渡せる、素晴らしいロケーションで、もちろん料理も納得がいくものだった。 明治40年の創業で、土井晩翠が名付け親だという。 親父は土井晩翠に憧れて詩人を志したが、親の意向で医学の道を選ばされたと言っていた。 かの工学界の大御所、西沢先生もお住まいが近くで、よくおみえになるそうだ。 それだけでなく東北大学の教授会は、実質的にはここで行われているような女将の口調だった。 今日は朝から松島見物。 あいにくの雨で遊覧船での島めぐりはあきらめたが、瑞巌寺と円通院を見学した後、港の料亭で海の幸を存分に味わった。 ![]() ![]() 去年亡くなった親父は、旧制二高時代ボート部で、松島湾で毎日練習に励んだと聞かされていた。 紺碧の湾に緑の宝石のようにちりばめられた島々の間を縫ってボートを走らせるのは、まことに気宇壮大なものがあったろう。 だが苦学生の親父が一度でも東洋館を訪れたことがあったろうか。 盛りだくさんの従兄弟会の行事で、仙台名物の牛タンを食べる暇はなかったが、材料を仕込んできたので明日にでも楽しむつもりである。 ■
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by n_shioya
| 2009-06-21 23:19
| コーヒーブレーク
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) 以前の記事
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