人気ブログランキング |
ウーマンエキサイト ガルボ Exciteホーム | Woman.excite | Garboトップ | Womanサイトマップ
ガルボウーマンエキサイト
NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
<   2011年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧
誰か風邪を治せないか!
寒波と共に風邪の季節が到来した。
これまで我々は何とか難を逃れてきたが、配偶者は昨日あたりから関節痛と、今日になって寒気を訴え、ついに?とがっくり来ているようだ。早晩僕もやられるのでは・・・
風邪などひくと、よく患者からは“先生でも風邪をひくんですか、ハハハ。”と笑われるが、どういうつもりだろう。
風邪ぐらい治せないのか、それでも医者か?という感じと、風邪などどうせ大したことはないから、普段のお返しにからかってやれ、というのか、いずれにせよいわれる当人は不愉快である。

だが、いつも言うように、風邪ほど手に負えないものはない。
ビールスと分かっていても、インフルエンザと違い効果的な抗生物質もなければ、ワクチンもない。
鼻づまりやせきなどの症状を和らげる薬はあっても、根本的な治療法はないと言える。
ま、温かくして寝ていれば、ほとんどの場合、数日で治ることも確かだが、高齢者の場合は肺炎を併発したり、又、他の病気の前兆のこともあるので、油断はならない。

なら、なんでもっと研究が進まないのか。
内視鏡だの、放射線だの、再生医療だの技術革新の目覚ましいこの時代に?
一つには、風邪などありふれた一見軽い病気と取り組んでも、余り業績にならないからではなかろうか、と内科医の怠慢が恨めしくなる。
何万人に一人といった難病、奇病と取り組めば、教授の座は近くなるし、あわよくばノーベル賞も、といった思惑が優先してるのではなかろうか。

こういう僕も若い頃は功名心が先行する気味がないわけではなかった。当時は、功名心と向上心は紙一重などと、自己を正当化していたが。
だが、その結果、ほとんどの医師が臓器別の専門を目指し、患者全体を見てくれる、当たり前の医者が居なくなってしまった。具体的に言うと、何となく具合が悪いと感じても、とりあってくれる医者がない。検査値に異常がなければ、病気とは認めず、相手にしてくれないのである。
自分が高齢化して不具合が多くなると、これも俺たちの教育が悪かったのかと、かつての“白い虚塔”の主はほぞをかんでいる。
by n_shioya | 2011-01-11 21:56 | 老年病 | Comments(4)
北里大学形成外科新年会
今日は古巣の北里大学形成外科教室の新年会が、恒例のMM21のインターコンチで催された。
この年になると、こうして昔仲間と再会できることと、若い医局員の元気な姿を見るのが何よりの楽しみになる。
現役、OBを合わせて総勢100人ほど集まっただろうか。
その一部をフォトでどうぞ。
b0084241_21214788.jpg

前列左から
横浜市大:鳥飼教授

北里大:内沼教授
    同夫人
後列左から
聖路加病院形成外科:大竹部長
安富医院:安富院長
ベイサイドさちクリニック:小野院長
クリニック宇津木流:宇津木院長

来年は、内沼教授が第55回日本形成外科学会を主催する。
頑張れ、内沼、頑張れ北里!
by n_shioya | 2011-01-10 21:22 | コーヒーブレーク | Comments(2)
成人の日
明日は「成人の日」だ。
以前は1月15日と定められていたが、今は連休にするために1月の第2月曜日とされている。つまりヘミングウェイの名作の題名でもある“移動祝祭日”というわけだ。
個人的には15日と固定されてた方がよかったと思うが。
考えると我々の時代には、「成人の日」などはなかった。

現役の頃、僕は教室員や関係者を東京アメリカンクラブにお招きして、新年会を催していた。
元日に年始客が押しかけられると我が家はパンクしてしまうからである。
30年近く恒例として続けたが、例年天気には恵まれ、一度も雨も雪に見舞われなかったのを覚えている。
原則として夫婦同伴だが、「配偶者かそれと同等以上の方」という決めにしてあった。独身者はガールフレンドかボーイフレンドをエスコートしてくることになる。相手が婚約者の場合は、予行演習も兼ねてケーキカットをする習わしだったのも楽しい思い出である。

所で僕自身は二十歳の頃何をしていただろう?
医学部の一年生だった。
さしたる目的意識もなく医学部に入った僕は、学業に身が入らず、悶々とうろついていたのを覚えている。
酒も飲めず、マージャンもやらない僕は、本屋やコーヒーショップで暇を潰していた。成人とはほど遠い毎日だった。
丁度東大の赤門の前にルオーというコーヒー屋が出来、店の親父が絵を嗜むので、大方の時間はそこで過ごしたような気がする。その習わしは今も変わらない。

皆さんの「成人の日」は如何でしたか?
by n_shioya | 2011-01-09 22:30 | コーヒーブレーク | Comments(2)
飛鳥Ⅱ
留学時代の習慣で、僕は真冬でもあのズボン下という奴を履かない。
配偶者には“伊達の薄着”と揶揄されても、慣れないものを履くと、何かむずむずして、蕁麻疹が出そうになるからだ。
元来は寒がりで、上半身はモコモコ厚着をしてるくせに、下肢はいたって寒さに強い。
だが、寄る年波で、殊にこの数日の寒さは厳しく、朝7時の散歩の時だけはズボン下を履いて出ることにしている。

今朝も防寒具に身を固めて、港の見える丘公園を抜けて山下公園まで下りていくと、大桟橋には飛鳥Ⅱが純白の船体を寄せていた。
このところ近海クルーズが多いのか、毎週のようにあの優美な姿にお目にかかる。
“彼女”と一緒に世界一周出来たらとふと思うが、思い出すのは学生の頃の船旅の苦い経験である。
b0084241_22313092.jpg

北海道一周の旅の終わり、船の名前は思い出せないが、釧路から東京まで3泊4日の定期航路があると聞いて、有り金を叩いて釧路から乗り込んだ。
有り金をというのが落とし穴だった。
客船では、ボーイへのチップが必須だったからである。
同室の早稲田の学生はボンボンなのか、ポケットを札束で膨らませ、顔を見るたびにボーイに札を手渡す。対するボーイの愛想のよいこと。
僕に対して当てつけるように彼にサービスするので頭にきたが、文無しにはなすすべがなかった。
最終日に、一枚だけ残っていたお札を渡すと、手のひらを返したように愛想よく話しかけてくる。
だが、それも一時間と持たなかった。
金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものである。
その後僕は船の旅をしたことがない。

ですから皆さん、船旅に必要なのは船賃だけではないことをお忘れなく。
by n_shioya | 2011-01-08 22:32 | コーヒーブレーク | Comments(2)
ココナット グローヴ 大火
1942年11月28日。
ボストンのナイトクラブ、「ココナット グローヴ」は超満員の客でパンク寸前だった。
太平洋戦争の最中、その年の6月にはミッドウェー海戦の失敗で、日本海軍はほぼ全滅に近いダメージを受けながらも自滅的抵抗を続け、3年後の原爆投下を受けての降伏へと突き進む。
だが、ボストンのアメリカ市民生活は、戦争と無関係に “ビジネス アズ ユージアル”であった、夜の10時20分までは。

その時、クラブのデコレーションのライトが、飾りの棕櫚の木に引火して、火災が発生する。火はまたたく間に拡がり、僅か7分でナイトクラブが壊滅。約1000人が犠牲となり、その半数以上が死亡した。
有名な「ココナット グローヴの大火」である。
これを契機に熱傷の治療が急速に進歩したのだから、熱傷に関わるものはこの話を耳にするたびに、何ともやりきれない気持ちになる。

この火災の犠牲者の治療から得られた大きな教訓の一つが「下手に消毒しない方が生存率は高まる」ということだった。
それまでは、リスターの消毒法の開発以来、石炭酸のような強力な殺菌剤が火傷にも使われてきた。
ところが、丁度戦時中ということもあり、アメリカ軍は戦禍で大量の熱傷患者が発生した場合、いかに手を抜いて急速に全員の処置にあたれるか検討していた。
具体的には、消毒は一切せず、ワゼリン・ガーゼで唯くるくる巻きにするというプロトコールである。
このマニュアルをココナット グローヴの患者達に適応したところ、結果は従来の方法よりもはるかによいことがわかり、今話題となっている消毒法の根本的な見直しに繋がる。

間違えないで欲しいが、消毒剤を絶対に使うなということではない。
必要に応じて適切な消毒剤を使うことに何ら問題はない。
石炭酸やマーキュロのような、組織障害を起こすような強力なものは乱用するな、ということである。
又、通常の怪我には水道水で機械的に洗い流す方が、はるかに効果的だし、害も少ないということも今の常識になっている。
b0084241_2126478.jpg

ところで「ココナット グローヴ大火」の教訓は他に幾つもある。
以前、アメリカの熱傷専門医の仲間から、「ココナット グローヴ大火」のドキュメンタリー本を贈られ、そのままになっていた。
一寸わけがあって、それを今、積ん読の中から掘り出して読み始めたところなので、別の機会に御紹介したい。
by n_shioya | 2011-01-07 21:27 | キズのケア | Comments(4)
箱根の宿「ダイヤモンド箱根ソサイエティ」
車で横浜から箱根に行くには三つのルートがある。
まずは保土ヶ谷バイパスを上って横浜インターで東名高速に入り、西へ20キロほどいったところの御殿場インターで降り、そこから乙女峠を登って仙石原を経てに出るルート。
次は同じく東名に入るが、厚木ジャンクションで東名厚木道路に入り、小田原に出て、一般道で箱根町に入るルート。
三番目は逗子鎌倉から海岸沿いに小田原に出て、同じく一般道で箱根に入るルート。
三番目は、西湘バイパスを使うシーニック・ルートではあるが交通渋滞が激しく、普段は勧められない。
そこで、1か2のルートを、最初の目的地が湖尻か箱根町かで選ぶことにしている。

今回は目的地が湖尻に近い姥子だったので、御殿場から望む白装束の富士を堪能しながら、乙女峠から箱根に入った。
姥子にはブログにもしばしば登場するフレンチの老舗、オーベルジュ・オー・ミラドーがあるが、昨日の泊りはダイヤモンド箱根ソサイエティという宿であった。
会員制の宿泊施設で、メンバーの一人である友人が一度お試しを、と紹介してくださったのである。
b0084241_21134910.jpg

宿は芦ノ湖と富士を望む絶好のロケーションにあった。
御承知のように、箱根は外輪山に遮られ、湖と富士を同時に見渡せるところが意外に少ない。
だが、広々としたロビーとそして部屋からは、木立の向こうに紺色の水面が輝き、対岸の尾根の向こうに真白き富士の峰が聳えている。
b0084241_21142367.jpg

姥子の湯は単純泉というのかクセがなく、湯量も豊富である。石組みの露天風呂も広々と気持ちがよい。温度も熱湯好きの僕には丁度よい湯加減である、ぬる湯好きの配偶者にはいささか気の毒ではあったが。

そして、何よりも料理がうまかった。イタリアンをとり混ぜた創作和食である。懐石風の少ない量で、皿数が多いのは、高齢者には有難かった。

帰路は、急ぐ旅ではないので、第三の海浜ルートをとり、相模湾の落日を背に、先ほど横浜の我が家に戻ったところである。
b0084241_2115617.jpgb0084241_21155455.jpg
ダイヤモンド・ソサイエティの皆さん、ありがとうございました。
by n_shioya | 2011-01-06 21:17 | コーヒーブレーク | Comments(4)
20世紀美術
昔親父の友人にYさんという画商が居た。
その経営する画廊はT画廊といって、抽象絵画ではリーダー格だったと聞いている。
Yさんは次から次へと「近代絵画の傑作」を持ちこんでは、芸術を介さない親父に、「下らん、持って帰れ」と追い返されていた。
ま、抽象絵画に関しては、今の僕も似たような理解度ではあるが。

あるとき親父は、精神病患者の描いた落書きのような絵と、抽象画家の描いた似たような絵を二つ並べ、“どちらがいい?”とYさんに聞いたところ、躊躇なく患者の絵を選んだといって、鬼の首をとったように喜んだのを覚えている。

大方の日本人と同じで僕の鑑賞眼も印象派か、せいぜいで一部のエコールドパリどまりだが、一旦抽象芸術に晒されるとやはり無視はできない存在となる。
具象の方が馴染み易いが、何かそれだけでは物足りない、というのも正直なところだ。
そこでこの分野の権威、高階秀爾氏に教えを請うことにした。
名著、ちくま学芸文庫の「20世紀美術」である。
b0084241_2182568.jpg

氏によれば、すべては写実主義の破産から生じたという。
「写実主義の破産という歴史的事実の持つ意味は、それが単に絵画の表現法をすっかり変えてしまったということだけにはとどまらない。その結果として、芸術がそれまで自己の拠りどころとしていた基準を失ってしまい、あらためて自分の立つべき基盤を探し求めなければならなくなった点にいっそう大きな意味がある。つまり、何を描くべきかという問題の代わりに、いかに描くべきかという問題がクローズアップされたことは、その必然の結果として、何のために描くべきかという問いをもたらしたのである。」

なるほど。
同じことは音楽についても言えるのではなかろうか?
12音階だの、ミュージック・コンクレートと称するものなど、造るのは勝手だが、なにも無理して観賞することはないと開き直ることにした。
抽象芸術をありがたがるのもそれは当人どもの勝手だが、それを判じものと困惑し、カオスと切り捨てる常識的な立場も許されてしかるべきと思う。
by n_shioya | 2011-01-05 21:09 | 美について | Comments(4)
脳を活性化しよう!
近着のニューズウィーク誌に脳の活性化の特集が載っていた。
アンチエイジングの講演で繰り返し叫んでいるが、アンチエイジングの今後の最大の課題は、認知症の予防と治療にある。
脳も、他の臓器と同様、加齢によって機能が低下するのはやむを得ない。
現実に脳細胞は毎日相当数が死滅していくとされている。
それでも支障がすぐにはおこらないのは、残った細胞が代償する、つまりまだ脳の働きに余裕があるのと、脳細胞間の連絡網が新たに構築されるからだと言われている。
また最近では脳細胞も再生するということが明らかになった。

だから脳の活性化には3つの手段があると言える。
①眠っている細胞をたたき起して、働いてもらうこと。
②細胞間の連絡網を密にすること
③可能なら脳細胞の再生を図ること。

最後は再生医療の分野で、実用化されるのはまだ先のことだが、①と②に関しては、サプリだの脳トレだの最近いろいろなことが提唱されている。
が、ニューズウィーク誌によればその殆どがエビデンスに乏しいという。

サプリの場合は、何らかの理由で本当にその物質が足りなければ、補うのも意味があるかも知れぬが、正常な時にそれ以上追加しても意味がないということだ。これは脳の活性化に限らず、すべてのサプリメントについて言えるだろう。

又脳トレについては、筋トレと違い、その作用のメカニズムが曖昧であり、また効果が検証しにくいということが問題のようだ。
ただ、ある種のテレビゲームが脳の活性化に役立つという報告があるという。
ただ、テレビゲームは、それにはまると他の機能が退化するのではと危惧するが、それは僕の偏見かもしれない。

ニューズウィークが活性化によい手段と取り上げた中で、僕も同意できるのは次の二つである。
適度な運動。具体的には毎日2,30分の散歩。これは僕も実行している。
瞑想。これはリラクゼーションも兼ねており、ストレスで発生し脳神経の働きを妨げるコルチゾールを抑制することにもなる。
これも僕は実行しているが、他人から見ると、瞑想居眠りか区別がつかぬようである。

いずれにせよ、バランスのとれた食事と、適度な運動という、アンチエイジングのライフスタイルが基本に、あとはストレスフリー、つまり能天気に暮せということのようだ。
by n_shioya | 2011-01-04 23:04 | アンチエイジング | Comments(2)
「細菌兵器」
昔、東大が新制大学に切り替わった時、現在の理3という医学部進学コースはなくて、理1でも理2でもよいが、二年の教養課程を終えてから、あらためて医学部の入試を受けることになっていた。
医学部以外の専門課程へ進むものは、二年目の半ばで専門学部に振り分けられるので、医学部を受験予定の者も、医学部受験までどこかの学部に籍を置く必要があった。
医学部入試に合格すれば、その学部から抜けることになり迷惑をかけるので、医学部志望の大方は、希望者の多くない学部を選ぶよう指導を受けた。
そういうわけで、僕は半年間、農学部の農学科にお世話になった。

何を習ったかすっかり忘れたが、一つだけ印象に残った授業がある。
名前は思い出せないが、その教授は繰り返し、細菌戦争の脅威を話された。
だがその頃は戦後間もなくで、やっと平和が訪れ、まだ核戦争も遠い未来の可能性としてしか話題にされず、細菌戦争など日本軍の過去の遺物としか受け止められなかった。
だが、教授は言われた。
“君たちは原爆だけが脅威だと思っているだろうが、本当に恐ろしいのは細菌戦争だぞ”と。

それが9・11後、急に浮上してきた。
ブッシュ政権がイラク攻撃の大義名分としたのが、サダム・フセインが隠し持つとされた大量破壊兵器である。それは原爆細菌兵器だったことは記憶に新しい。
だがイラクの敗北後、そのどちらも見つからないまま、サダム・フセインは処刑された。

やっと今日読了した「シークレット・ウォーズ(イギリスの諜報機関の100年史)」には、大量破壊兵器ありという英米の諜報機関のガセネタに飛びついた、ブッシュとブレアの無様な姿が、又それをカバーアップするために生み出された犠牲者達の姿が、赤裸々に描かれている。

問題は、肝心のテロリストとの闘いはまだ、まだ続き、その先が見えないことである。
さらに言えば、北朝鮮の脅威は原爆だけでなく、細菌兵器もありうるという指摘だ。

だが一つだけ納得がいかないのは、細菌兵器はアンコントローラブル、つまり被害地だけにとどまらず、蔓延して攻撃者にもはねっ返る可能性が十分にあるとすれば、誰にしてもそれを使う勇気があるだろうか。
現代の医学では、自分達だけをワクチンで守るというところまで、免疫療法は進歩していないからだ。
by n_shioya | 2011-01-03 23:11 | コーヒーブレーク | Comments(2)
我疑う、ゆえに我あり。
デカルトは近代哲学の祖らしいが、哲学を介さぬ僕は彼の名セリフ
「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」
のありがたみはさっぱり分からない。
哲学者は分かりきったことを七面倒くさくする名人のようだ。
だからそれをもじって、イギリスの作家オルダス・ハックスレーが
「我糞をたれる、ゆえに我あり(カコ・エルゴ・スム)」
と喝破したと聞いて、ヤッタと快哉を叫んだものである。

所で年末から年始にかけて、英米の諜報機関の暴露本、アメリカの帝国主義の暴走に関する著述など読みふけって、将来が暗澹となってきた。
だが、考えると歴史というものは官軍の歴史であり、真実という刺は抜かれ、勝者の都合に合わせたパッチワークと言えるだろう。

どうだろう、この辺で歴史を見なおしてみるのは。
日本史の場合は、第三者的というのは、外からの目で見直すこと。
世界史の場合は、どちらかというと現在の世界史は、白人中心のキリスト教、しかもプロテスタントの立場が勝った解釈が横行している。
これにもっとアメリカ大陸なら、先住民族の立場、そしてこれからの世界情勢を考えると、イスラムの立場等々を加味した本当の意味でのグローバルな世界史。
それにはまず、すべての定説を疑いの目で見直すこと。
いかにパッチワークが優れていても、必ずどこかほころびはあるはず。それを突破口に、自分の常識を最大限に働かしてみること。
その場合二つのことが基本になるだろう。
まず、人間の心の動きは基本的には、古今東西を通じて変わらないこと。
変わるのはその時代、時代の環境であり、その場に自分の身を置くことで、当時の人々の反応を推理すること。

こう考えると、歴史に限らず、医学、価値観、宗教すべて、既成の概念を一度疑いの篩にかけてみたくなる。
まず、すべてをまず疑ってみること。
次に自分の目で見ること。
そして自分の常識で判断すること。

デカルトにならって、
「我疑う、ゆえに我あり」
をこれからの僕のクレドとして。
by n_shioya | 2011-01-02 22:16 | コーヒーブレーク | Comments(6)




woman.excite TOPへ Copyright © Excite Japan Co., Ltd. All Rights Reserved.
免責事項 - 会社概要 - ヘルプ | BB.excite | Woman.excite | エキサイト ホーム